45.a.
2015 / 07 / 02 ( Thu )
 ――充血している。
 頭蓋骨の中の圧迫感と不快感に引きずられるようにして、リーデン・ユラス・クレインカティは目を覚ました。
 薄暗い場所だった。己の居る位置に陰がかかっているがゆえに暗く感じるけれど、視界の中には青空のものと思しき明るさも入っていた。なのに、どこか釈然としない。

(ああそうか、青い色が「下」にあるからだ)
 それでいてこの不快感と、足首に食い込む無機質な硬さ。何故こうなっているのかは全くもって不明だが、鎖に繋がって逆さに吊るされているらしいことだけはわかった。

(逆さである必要性がわっかんないんだけどー。股間のパーツも重力の餌食になってて不快だなぁ)
 身ぐるみ剥がされたのか、最も内なる層を除いて衣服が丸ごと消えている。つまり腰周り以外の肌が自然の脅威に晒されているのだ。
 リーデンの場合は、これをスッキリしたとは感じずに、心もとないと感じる。肌寒さは当然のこと、愛用の武器や暗器も奪われたのだ。

(んん、違った。一つ残ってた)
 鼻の前にぷらん、と黒い石の首飾りが揺れているのが目に入った。この黒曜石のナイフが唯一手元に残っていて何よりだ。いざとなったらこれで敵の目玉をくり抜くなり首筋を掻っ切るなりできそうだ。ただし、相手が一人であった場合に限るが。

 それにしても寒い。
 春の風とは思えないほどの強風が吹き抜けている。空気の匂いや轟音からして、ここは高い場所なのだろう。

 記憶が途切れる前まではカルロンギィ市国の渓谷に向かっていたはずだ。一度単独でヤシュレ公国に寄ったリーデンは渓谷の手前でミスリアたち三人と落ち合う手筈であった。まさに合流寸前、数ヤード先から顔を見合わせて声をかけたところまでは憶えている。その直後に何があったというのか。後頭部の鈍痛と関係がありそうだ。

 とりあえずは、兄の気配を探ってみた。意識は無いようだが、近くに居るらしい。素直に安堵した。
 残るミスリアやイマリナの身を心配しても現状はどうしようもないため、リーデンは次に状況を把握すべきと判断した。

(ここは谷の側面かな)
 風や雨から守られたこの空間は洞窟と呼ぶには浅く、ちょっとした岩棚か谷肌を抉ったみたいな地形に思えた。
(逆さじゃわけわかんない、な)
 改めて映像をもう一度分析せねばなるまい。

 ふと目の乾きを潤わせようと何度か瞬いて、カラーコンタクトをいつの間にか紛失していたことに気付く。
 瞼の下の感触を頼りにそう感じているだけで、指を使って確認できるわけではない。腕は背中側に縄で縛り付けられていて動かせないのだ。

 身じろぎしてみた。他人には決して悟らせないが、リーデンはこう見えても筋力の鍛錬を怠らない。腹筋のみを用いて逆さ吊りの体勢から反転するくらい造作も無いのである。上体を捻り、周囲を見回そうと試みた。

「おふ」
 真実の「下方」が見えた途端に思わず変な声が出た。ちょうどその時、鼻水が一滴落ちた。すぐにそれは大気の一部となって消えた、ように見えた。
 地面が落ちてなくなったのかと疑うくらいに遠いのである。

 そこでこの吊り方――高所恐怖症でもない、むしろ高い所は割と好きなリーデンでさえ、意味不明な嗚咽が漏れる程度にはとんでもない状況だ。捻った姿勢を解く為に腹筋から力を抜こうにも、慎重にやらねば気絶しそうだった。

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