37.i.
2014 / 10 / 30 ( Thu )
「――ともかく」
 女が大声で遮った。ゲズゥを睨んで、宣言する。
「ジュリノイの組織力を甘く見るなよ。我々の同志は大陸中に散らばっている。その気になれば村や町の協力を仰ぎ、隙の無い包囲網だって組める。貴様に逃げ場など無い」

「本部は許可しませんけどね~?」
「フォルトへ、お前は余計なことを言うな! まあ、何度でもしつこく申請すればなんとか許可を下りさせることだってできるはずだ。それくらい、私はやってみせる」――女は部下を疲れた顔で見やり――「だがこのバカがうるさくてかなわん。特別……特別にだ。一つ条件を飲みさえすれば、貴様らの旅が終わるまでは、追わないでいてやる」

 ――何を言い出すかと思えば。
 一体どんな条件を出すつもりなのか。ゲズゥは目を眇めた。

「我々は血を証とした誓約を求める。指でもなんでも切って、聖女の私物だったこのハンカチに染み込ませろ」
「肝心な誓約の内容は何ですか?」
 ミスリアが用心深い目で問う。女は腕を組んで眉を吊り上げた。

「二度と人を殺さないことだ。それ一つが守れるなら、私はひとまず貴様らを裁くのを諦める。ただし旅が終わった後は別の話だ」
「血の証、ねえ……」
 リーデンがつまらなそうに呟いた。

「血を流したくらいで貴様が誓約を守る保障にはならないかもしれない。我々を相手に誓いを立てる行為が貴様にとって無意味かもしれない。それでも誓いを守れたなら、少なくとも貴様が最底辺のクズでも多少の更生の余地がありそうだと認めてやる」
 女の偉そうな口調を、ゲズゥは何の感慨も受けずに聞き流した。この女に認められたくらいで何も変わらない。
 守る理由の無いくだらない誓約を、立ててどうなるわけでもない。

 しかし葛藤を映し出すミスリアの茶色の双眸と目が合って、気が変わった。
 これ以上罪を重ねたら貴方は魔物になってしまう、と嘆いてくれたこの少女。
 今自分が罪を犯せば、ミスリアとの連帯責任にされかねない。しかも組織に照準を定められたら旅どころではない。奴らの本領発揮がどういうものなのか、ゲズゥは過去の経験からよく理解していた。

「いいだろう」
 その上で、条件を飲む真の理由は――
「そんな顔するな」
「…………あ……でも、無理に、痛い思いをしなくても……」
 歯切れの悪い返事が返る。

「これこそが、お前が望んでいた『約束』だ」
「……っ」
 両手を握り合わせ、ミスリアは目に見えて怯んだ。

「リーデン」
 少女の向こうに佇む男を呼ぶ。手を出し、「首のソレを渡せ」と視線で訴えた。リーデンはすぐには応じなかった。
 意図が伝わらないはずがない。ゲズゥは指を動かして、催促した。
 弟は不快そうに表情を歪める。が、最終的には折れ、ネックレスの先端の黒曜石を外して投げてきた。

 受け取った瞬間、ゲズゥは顔に出さずに驚愕した。
 見覚えのある黒曜石のナイフだったからだ。大昔にリーデンにあげた物と良く似ているような気がする。それがどれくらい昔だったのかまでは思い出せないが、まさか同じ物だったりするだろうか。

 掌の上でナイフを何度も翻しながら、そんな雑念を捨てる。
 次に、どこを切ればいいのか検討する。やはりこの場合は命を懸けるつもりだと意思表示したい。
 それを踏まえて、ゲズゥは黒曜石の鋭い刃を顎下に当てた。首の右側、顎のラインに添うように斜めに押し当てる。

「なっ――」
 誰の声だったかはわからない。誰かが文句を垂らす前に手を引いていた。
 荒削りの刃が、閃光みたいな痛みをもたらす。

 ミスリアは口を覆って悲鳴を抑え込み、リーデンは生まれつき整った顔を思いっきりしかめている。その後ろのリーデンの従者の女も声を出さずに、泣きそうな顔をしている。
 いつの間に表情を硬くした組織成員二人を交互に見やって、ゲズゥは適当な誓いの言葉を連ねた。

「我、ゲズゥ・スディルはこの身に流れる先祖の血に誓う」
 首筋を押さえる右手の指の上を、生暖かい血液が通り過ぎている。痛みを頭の奥に押しやって更に続けた。
「聖女ミスリア・ノイラートがこの世に生きる限り――断じてヒトの命を奪ったりしない、と」
 言い終わる直前にフォルトへがハンカチを差し出してきた。

 ゲズゥは黒曜石のナイフを傾け、先端から滴る赤い液を何滴か桃色の柔らかい布に落とした。隅の刺繍にも赤い染みが触れる。かくして、決して美しいとは言えない血模様が出来上がった。

「ご苦労さまです。以上で休戦協定代わりとさせていただきます~。ご迷惑おかけしました!」
 礼までして、丁寧にフォルトへが挨拶した。
「お前が罪人に頭を下げるな!」女は部下を一度殴り、そしてこちらを見据える。「条件を飲んだのは正直意外だったが……私は約束は守る。これで当分顔を合わせる機会は無いだろう。せいぜい、役目を全うするんだな」

 嘲笑交じりに言い捨てて、女は武器の山からクロスボゥとモーニングスターを回収した。フォルトへもそれに倣う。二人は元々少ない荷物を手早くまとめて、旅立ち支度を終えた。

「聖女ミスリア、絶対聖獣を蘇らせて下さいね~。自分は応援しますんで! 今後のご活躍を耳にするのを楽しみにしてます!」
 去り際にフォルトへが大きく手を振った。
「ありがとう……ございます」
 ミスリアは小さく頭を下げた。

 奴らの草を踏む音が遠ざかった後、ミスリアが必死の形相で振り返った。
 傷を治したいのだろう。そう予想して、ゲズゥはとりあえずその場に座り込んだ。聖気の温もりが首筋を撫でるのを感じ、目を閉じる。時折肌をくすぐる感触は、或いは少女の指先なのかもしれないが、なんであれ心地良かった。

「こんなことして、バッカじゃないの」
 弟の呆れた声が頭上から降ってきた。
「大袈裟だ。浅い」
 ゲズゥは右目だけ開いて答えた。

「浅い深いの問題じゃないよ」
 言葉とは裏腹に、心配の混じった表情だった。
「返す」
 ゲズゥは黒曜石のナイフを差し出した。弟は驚いた顔の後、どこか照れ臭そうにはにかみ、ナイフを受け取らんと手を伸ばした。掌を掠めた象牙色の指は、やはり温かい。

 そして今度は、治癒を終えても俯いたまま顔を上げない少女に意識を向けた。
 頭を撫でたら機嫌が直るだろうかと、そう思って実行したのは気まぐれだった。

「泣くな」
「…………はい。ありがとうございます」
 ミスリアは涙を手でゴシゴシと拭いて顔を上げた。
 嬉しさと安堵で一杯の、不思議と眩しい微笑みだった。

 ――また、礼を言われた。
 自傷して言葉を連ねたところで何かが変わるわけでもない、そう思っていたが、それでも今確かに、ゲズゥ・スディル・クレインカティは自分の中の何かが変わりつつあるのを悟った。

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