3.焦る男、ロドワン - c
2020 / 07 / 05 ( Sun )
 主人は手紙を読み終わるなり握りつぶした。衝動だったのだろう。疲れたように嘆息し、丸めた紙を軽くロドワンの方に投げてきた。
 受け取った黄ばんだ紙の端々を伸ばし、インクが描く文字を指先で辿った。娘を返してほしくばウーデルハインツ家当主が単身で指定の場所へ来るように、と意味する文章があった。時刻の指定はなく「星が最も明るい頃」とだけ書かれている。ロドワンは客人にも伝わるように、手紙の内容を声に出して読み上げた。

「旦那様に供もなしに馬を駆れと言うことですか。危険です!」
「仕方あるまいよ、ロドワン。言われた通りにしなければ、人質の身がどうなるか知れないんだ」
「しかし、どんな交換条件を出されるか。無事に済むでしょうか」
「私が行くしかないんだ」

「旦那様……」
 拳を握り、唇を引き結んでいる主人は、自棄になっているとしか思えない。娘の安否を想うばかり、判断力が損なわれているのではないか。ロドワンは心配したが、そうとは口に出せなかったし、自分も冷静でないのはわかっていた。

 ふと、細やかな金属が擦れ合う音がした。
 ロドワンは音のした方を振り向いた。どうやら黒髪の客人がテーブルにあったものを拾い上げた音らしい。それも巾着袋から転がり出たのだとすれば、手紙の下に隠れていたのだろう。

 銀細工のペンダントと、その細い鎖部分には黒いリボンが結ばれている。シェニーマの趣味とは思えない味気ない色合いに、すぐにロドワンはそれが誰の持ち物であるかを察した。客人はスッと目を細めては無言でペンダントを懐に押し込んだ。

「呼び出された場所は町の結界の外か」
 低く、夜の静寂に響くような声だった。部屋に漂う動揺が、切り裂かれた気がした。
 主人は口髭と顎髭を手で撫でながら答えた。
「ゲズゥさんと言ったね、そうだ。町の外の森で、街道からも遠い。誰かの私邸が建っているという話は聞かないけれど、何せ森が深いから、行ってみなければわからない。ああ、そういえばロドワン、頼まれていたリストを作っておいたよ。あの机に置いてある」

「本当ですか! この短時間に、ありがとうございます」
 暖炉の隣の小さな机を目指してロドワンは立ち上がった。先ほど帰宅した際に、主人に容疑者をリストアップするように頼んでいたのだった。それによると当家の敵と思しき相手は四人だった。どれもロドワンの知る名前ばかりだが、森の中に土地を持っていると聞く者はいなかった。
 主人はバレッタを握り締め、嘆息した。それから出かける時間までひとりで支度したいと言って、客人に挨拶をして、その場を後にした。

「お茶のおかわりをどうぞ」
 入れ替わりに入ってきた女性使用人が熱々のティーポットからそれぞれのカップに新たに茶を注いでくれた。最後に、主人の飲みかけのものを下げると同時に部屋を辞した。
 ゲズゥとふたり部屋に残されたロドワンは、己のカップから立ち上がる湯気をしばらく見つめていた。
 呼ばれたのはウーデルハインツ家当主のみ――お嬢様を迎えに行く大役は、自分が務めるものではない。

(何を当たり前のことを。私は旦那様が迎え入れた、ただの孤児ではないか)
 割り振られた役割だけをこなしていればいい。それすらもできなかったのだから、せめてシェニーマを助け出したいと願うのは、おこがましいだろうか。案じることくらいは許されるのではないか。
 放っておけばどんどん暗い方へ思考が向かいそうだった。まだ熱すぎる茶を無理に一口飲みこんでから、両手を膝の上で組み合わせた。

「さっきはなんだって結界のことを聞いたんだ?」
 気を紛らわせようと思って客人に話しかける。ゲズゥは黒革の手袋をつけている最中だった。
「魔物」
「つまり、魔物を警戒すべきか知りたかったと? だが数年前に大聖女が聖獣を召喚して以来、一晩中外を出歩いていても遭遇することは稀なのではないか。結界の内外はあまり問題ではないはず」

 彼は応答しなかった。席を立ち、持ち込んできた大きな荷物から巻き布を解いていた。露になった湾曲した大剣に、ロドワンは目を瞠った。平均的な成人男性の身長ほどの尺がある。なぜそんなものを、と訊けるより早く、ゲズゥが振り返った。
「例の場所、わかるか」
「貴殿は助けに行くつもりなのか……? 旦那様でなければ交渉がこじれるのでは」

「みつからなければいいだけの話だ」
「そうかもしれないが……」
「来るのか、来ないのか」
 決断を迫られて、ロドワンの脳裏に今朝聴いた声がよみがえった。



ゲズゥの剣は、たぶん本編さいごらへんでリーデンが回収してました。

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