19.e.
2013 / 01 / 10 ( Thu )
 およそ人間とは思えないスピードで、ゲズゥがあの人に斬りかかっている。
 応酬が速すぎて肉眼で捉えるのがもう無理だった。観衆のほとんどは何が起こっているのかわからないながらもひたすら拳を振り上げて叫んでいる。
 
(そうこなくちゃね)
 今日のヴィーナキラトラは見渡しが良くて高いスタンド席よりも、より緊張感の伝わる最前列の席を選んでいた。
 目下には、腕を組んで戦闘を見守っている、長身の男の背中があった。
 
「ねえ、イトゥ=エンキ」
 ヴィーナは手すりに両肘を乗せ、重ね合わせた手の上に顎を乗せた。客が会場に飛び出さないよう、そして選手が吹き飛ばされても簡単には観客に当たらないように立てられた壁と手すりだ。
 
「何でしょう姐さん」
 彼は振り向かずに返事した。
「アンタは、どっちが勝つと思う?」
「難問ですね」
 
「私には、ゲズゥが慎重になりすぎてるように見えるわ。少なくともさっきまでは」
「あー、だってアイツ鎧とか着けてないし。慎重にもなりますよって。下手したら一撃入喰らっただけで終わりますから」
「それはそうね」
 イトゥ=エンキの言葉で腑に落ちた。昔からゲズゥは、動きが鈍る、という理由で絶対に防具の類を着けたがらなかった。
 
「今は頭の方が押されてます。時々受け切れなくて掠ってるけど、胴体をチェインメイルで覆ってるんでまだ斬られてはいませんね」
 鉄同士がぶつかり合う音が頻繁に聴こえる。イトゥ=エンキにはあの応酬が視認できているということになる。
「やっぱ頭の方が何枚か上手に見えるなー。もうゲズゥは岩と戦ってる気分になってんじゃないかな。オレにはその気持ちがよーくわかるぜ。年季が違うんだよ。そりゃー底力だけなら大差ないだろうけど」
 イトゥ=エンキが独り言のように漏らした。
 
「こういう、戦況を操りにくい一対一の決闘でなければアイツももっと抗えたかなー」
「でもこういう公の場で、公平そうな勝負でなければあの人は条件を呑まなかったわ。アンタの目論見はどっちかといえば成功した方だと思うわよ?」
 ヴィーナがそう指摘すると、イトゥ=エンキは首を少し仰け反らせた。
「そう思います?」
 紫水晶色の瞳がどんな感情を隠しているのか、正直読めない。
 
(食えない男……カマかけても簡単には乗らないのね)
 やがてヴィーナはにっこり笑って話題を変えた。
 
「勝ったらきっとあの人はゲズゥを遠くへ売り飛ばすか、殺すわ。近くに置こうとは思わないはずよ」
「でしょうね」
 再び会場を見つめるイトゥ=エンキは、抑揚のない声で答えた。頑として己の考えをあらわにしない男だ。手強い。
 しばし思案してから、右隣に座る少女に向かって、ヴィーナは問いかけた。
 
「そういうわけだからちゃんとお別れした? ミスリアちゃん」
 今日のミスリアは薄緑色の単調なワンピースに身を包み、栗色のウェーブがかった髪を下ろしている。化粧も一切していない。この格好に特別に可愛らしいポイントがあるとすれば、肩の袖口の部分にフリルが付いているぐらいだ。
 今朝ヴィーナがどんなにおめかしを勧めても一向に乗ってくれなかったのが、少しつまらない。
 
 ミスリアはこちらを見上げはしたが、何も言わない。むしろ戦闘が開始してから今までにも、彼女は一言も発していない。
 昨夜のような笑顔の仮面を被るのかと思っていたが、その予想は外れた。
 
(きっと、心配で胸が押し潰れそうになっているのね)
 と、勝手にヴィーナは想像している。何せミスリアは、ずっと唇を真一文字に引き結んで真剣な目で観戦していたのだから、そうに違いない。
(かわいいわ)
 茶色の大きな瞳が、ただ無言でじっとこちらを見上げてくるのが段々可笑しくなってきた。
 
「そういう反応ってゲズゥっぽいわね。一緒に居すぎてうつったんじゃない?」
 無言で見つめ返してくる辺りがそっくりである。
「……はい?」
 ようやく桃色の小さな唇が開いたかと思えば、疑問符だった。
 
「なんでもないわ。ねえ、不安でしょう。何もできない自分が悔しい?」
 ふと気が付けば、そんな言葉を囁いていた。
「それ、は…………」
 消え入りそうな声が返ってきた。
 
「私は、受け入れることにしているわ。この世の中には自分にどうにか変えられる状況と、そうでない状況がある。自分が本当に無力な時は、受け入れるのよ。でもそんな状態はいつまでも続かないし、自分に変えられなくても他に変えられる人間が居るかもしれない。見極めればいいの」
 ――己の動くべき時と、取るべき行動を。
 
「……強いんですね。そういう考え方ができるなんて」
 ミスリアは感心したように、少しだけ笑った。
「ありがとう。ミスリアちゃんが何を抱えているのか知らないけど、頑張ってね。私、頑張る女の子は凄く好きなのよ――」
 これは本心からだった。ヴィーナが己の信念を誰かに語るなど滅多に無いことだが、今はそんな気分だった。
 
 ――ギィイイイン!
 一際大きな音が響いて、二人の会話は中断された。視線を前へ戻すと、ちょうど、一合打ち合った直後の二人は距離を離していた。すぐにまた、打ち合いは再開した。
 
 武器がかち合う間隔は次第と長くなり、二人の動きがまた目に見えるスピードに落ちていた。
 ふいに、ゲズゥが剣を逆手に持ち替え――
 
(何か仕掛ける気ね)
 ――再び、目に留まらないスピードで彼は動いた。

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