18.a.
2012 / 11 / 15 ( Thu )
 背後から迫り来る脅威に反応して、首周りの肌が粟立った。
 すかさず身を屈め、ゲズゥ・スディルはその拳の威力を味わわずに済んだ。
 地面に右手を付けてそのまま蹴りを組み込んだ宙返りを展開した。

 対する男は両腕を交差させて堅くガードした。
 口元が少し釣り上がった以外に反応を見せない、冷静な対処だった。どんな表情を浮かべていても、男の左頬の複雑な紋様が冴えるので不思議である。

 ――模様の男。やはり最初に見積もった通り、かなりやる方だ。
 ゲズゥは久方ぶりに沸き起こる高揚感に自分でも驚いていた。

 日没頃、山頂に建てられた闘技場の中心で、誰の邪魔も無く一対一の戦闘を繰り広げている。
 人気が無い訳ではない。
 円の形をなぞる客席にはまばらに人が座している。急遽始まった試合の割には見物人が多い方だろう。人が一番固まっている箇所では賭け事が盛り上っているに違いない。

 一番高くて見やすいバルコニー席には、足を組んでワインを飲みながら観戦するアズリの横で、ミスリアが所在無さげにちょこんと座っていた。
 アズリに派手な服を着せられたためか、ミスリアに絡んでくる輩は増えたようである。
 だからと言ってそれらに害は無さそうなので今は気にしない。

 模様の男が拳の連打を繰り出した。それをどれも際どい所でかわしながら、ゲズゥは反撃を仕掛ける瞬間を伺う。

 発端は、向こうからの一言だった。
 ――頭が帰るまで暇だし、ちょっと組み合わないか。

 良い機会だと思った。
 純粋な興味の他に、ゲズゥは山賊団の中で一目置かれているらしいこの男の実力を測ろうと考えた。

 模様の男の強さは、軸の安定から来ている。足腰の鍛錬は勿論のこと、幾度となく拳を打ち出して得る強さだ。体格はゲズゥと多少似ているが、腕力と技術では奴の方が僅かに上回っている。
 直刀を含んだ武器類を扱える上に、素手でのこの実力。この分なら頭領にも期待できる。アズリの男の好みを思えば、どうせ頭領はとてつもなく強いのだろう。
 期待する一方で懸念もある。敵が強ければ強いほど、山脈から無事に逃げられる確率が減るからだ。

 相手が立ち止まった刹那。
 それが奴からの誘いであると知りながら、ゲズゥは素早くローキックを放った。模様の男はまた巧く防御し、逆に間合いを詰めた。
 掌底を叩き込まれる一瞬前に、ゲズゥは男のみずおちを肘で打った。

「ぐっ……!」
 男は呻きを漏らした。が、倒れるどころか、びくともしない。
 体を回転させて、ゲズゥは男の背中に回った。

 体重はおそらくこちらに分がある。投げ技ならば決まる可能性が大きい――
 模様の男の次の行動は意外だった。こちらの手を弾き、距離を取ったのである。

 防御がしっかりしていて攻撃に溺れない、慎重なスタイルだと思った。
 不意打ちや先手を狙うのが多い賊にしては、このやり方は珍しい。不意打ちは裏を返せば失敗した時のリスクが大きいものだと、熟知した者のやり方だ。
 性急さが無くて落ち着いた性質は少しだけオルトを思い出させた。ただしこの男のそれは生来のものというより、意思で昂ぶりを制御している印象を受ける。

「……あ」
 不意に、向かい合った相手から気の抜けた声が発せられた。
 模様の男の視線が上へずれた。何かを見つけて瞠目し、緊張を解いている。

 ゲズゥが次の瞬間に走り出したのは何の根拠も無い、直感に基づいての行動だった。
 助走を付け、流れる動作で宙を高く跳んだ。己の全身の筋肉と瞬発力の総てを駆使して跳んだ。
 目指していた場所には届かなかった。仕方なく、着地点から目標を抱きすくめた。

_______

 全身を真っ先に駆け巡ったのが恐怖だったのか畏怖だったのか或いはただの驚愕だったのか、ミスリア・ノイラートには確認する術が無い。
 岩のような存在感を漂わせる巨漢に見下ろされてかろうじて平然としていられたのは、背中とお腹周りに感じた、知った感触のおかげだと思う。
 何故彼がそこに居るのかはわからないけれど、おそらく自分が闘技場の中心から背を向けた間にどうやってか移動してきたのだろう。

 珍しく上がった息に伴って、ゲズゥの胸板も通常より速いリズムで呼吸を繰り返している。
 背中越しにぼんやりそんな発見をしたミスリアは、口を開いた。

「こんばんは」

 目前の巨漢からの返答は無かった。ちょうど影がかかっていて顔も見えない。
 男は数秒或いは数分の間、ミスリアを見下ろしていたように思えた。
 さっきまで闘技場を賑わせていた歓声がいつの間にか止んでいる。己を抱きすくめる青年の呼吸音しか聴こえない。

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