17.h.
2012 / 11 / 12 ( Mon )
 するりと、暖かい髪が首筋に触れる。くすぐったさに、ミスリアは身じろぎした。
 すぐに背後からくすくすと笑い声が聴こえた。

「くすぐったかったかしら。ねえ、若さっていいわねぇ、少しぐらい手入れを怠っても髪の毛がこんなに柔らかくてサラサラなんだもの」
 艶やかな女性の声がすぐ近くにある。

(若さって……そういう貴女はおいくつなんですか……)
 とは、口に出して問うことができない。

 食事も済んで、何故かミスリアはヴィーナに髪を梳かしてもらっていた。勿論言いだしっぺはヴィーナである。食堂にいきなり現れてはミスリアを自室へ連れて来たのだった。広い部屋には灯かりがいくつも灯されていて、洞窟の中であるとはまったく感じられない。

 そこでヴィーナは着せ替え人形にするように服を選び、次々とミスリアに着せた。ようやく、白地に真紅の花柄とフリルの付いたドレスに落ち着いたかと思えば、今度は鏡台の前に座らせて髪を梳き始めた。
 馬の体毛を用いた高価なブラシが、ミスリアの栗色のウェーブがかった髪を通る。
 その間、ミスリアは黙りこくっていた。

「生き別れた妹を思い出すわー」
 うきうきとヴィーナが言った。
「妹さんはどうされたんですか?」

「あら? 適当に言っただけなんだけど、信じちゃったの?」
「はい?」
「いないわよー、妹なんて」
 またくすくす笑う声がする。

(何でそんなこと)
 一体何のために適当に嘘をつくのだろう。理由があろうともなかろうとも、からかわれているのは確かだ。ミスリアはわけがわからず、イライラしてきた。数時間も着せ替えに付き合ったストレスも溜まっている。しかし断れない性格のミスリアと強引なヴィーナとでは、覆せない結果である。

「ねえ」
「今度は何ですか」
 いつになくキツイ口調になってしまい、ミスリアははっとした。謝るべきか検討するも、ヴィーナは気にしていないようだった。
「赤いチューリップに合わせて赤いカチューシャ。これを付けたら出来上がり」

 フリルのついたカチューシャを渡された拍子に、ヴィーナのあの不思議な香りが微かに鼻に届いた。
 ミスリアは言われたままにカチューシャをつけ、改めて鏡の中の自分の姿を確かめた。
 すると自分でもどう反応すればいいのかわからないくらい可愛いらしい少女が写っていた。

 着飾り、下ろした髪を綺麗に整えるだけで普段と全然違う印象をかもし出している。こういった柄や色は滅多に着ないので新鮮だった。
 初めて味わう浮遊感に戸惑いつつも、ミスリアはお礼を伝えた。

「いいわよ、その服あげる。元の持ち主が着れなくなっちゃって。でもあんまり可愛いから取って置いたのよ。似合う靴が揃ってなくて残念だけど」
 そう言って、ヴィーナはミスリアの肩を掴み、自分に向けるようにくるりと回転させた。
 サファイア色の瞳が満足そうに輝いていた。

「ありがとうございます。でも、私には勿体無いので謹んで遠慮します」
 もらった所で今後使い道が無さそうな服である。それでも、一応深々とお礼をした。それについては、ヴィーナは何も言わなかった。
「ねえ」
「はい?」

「私とゲズゥがどういう関係だったか、気になる?」
 彼女は首を傾げて、ゆっくり訊ねた。刹那、彼女の両耳の大きなイヤリングが光を反射した。
 ミスリアはその場で固まった。

「気になるでしょう」
「そ、それは……」
 気にならないわけが無い。唐突に訊くものだから、取り繕う余裕が無くて困る。
「知りたかったら、教えてあげてもいいわよ」

 ヴィーナはにっこり笑って見せた。優位に立つ者の話し方だった。
 それからの沈黙がやけに重い。
 鏡台の上に置かれた蝋燭の炎が揺らめいた。広い部屋で二人きりである事実を何故か急に意識してしまう。

「知りたいです」
 ついには搾り出すような声で、ミスリアはお願いした。ゲズゥに聞いても答えてはくれないだろう。
 人の過去を聞くことに後ろめたさはある。それでも、知りたい願望の方が圧倒的に強かった。或いはこんな風に追い立てられるように訊かれたのでなければ、「知りたくない」と答えられたかもしれない。

「――男と女の関係」
 ふくよかな唇が囁いた。

(やっぱり)
 予想内の返答に、ミスリアは膝の上で手を握り合わせる。

「……でもそこに愛は無かったわ」
 淡々と言って、ヴィーナは簪を唇の間に銜えた。次いで空いた両手で長い紺色の巻き毛を一つにまとめ、簪を挿した。
 ミスリアは彼女の次の言葉を待ちながら、鏡を見ていないのに器用だな、と思った。

「アナタにはまだ、意味がわからないかしら」
「……そう、ですね」
「あの子は恋と勘違いしてた時期もあったみたいだけど……」
 ヴィーナは懐かしむように目を細めた。

(あれ? 何だかものすごく意外な単語を聞いたような)
 返すべき反応がわからなくてミスリアは何も言わずに居る。

「あとは、本人に訊いてみるといいわ」
 ふわっと微笑んで、ヴィーナは部屋の出入り口へ向き直った。ミスリアもそれに合わせて視線を右へずらした。
 入り口の左右に、それぞれゲズゥとイトゥ=エンキが佇んでいた。二人とも気配が消えているのに、ヴィーナは良く気付いたものである。

「何を訊いてみるって?」
 面白そうに訊ねたのはイトゥ=エンキだ。耳から上の髪の毛を後頭部で束ねている。
「なぁに、立ち聞きしてたんじゃないの?」
「生憎とオレは地獄耳じゃないんで。コッチは聴こえたかも」
 彼は親指で向かいのゲズゥを指した。

「……」
 ゲズゥは無言無表情を崩さなかった。
「まあ、私はどちらでも構わないわ」
 そう言ってヴィーナはミスリアの手を引き、入り口まで近付いた。

「はは。嬢ちゃん、そういう格好もカワイイな」
「ありがとうございます」
 ドレスを広げる礼を返した。

「それで? 私に何か用があったの? それともミスリアちゃんの方?」
「両方かな。頭から通達が来ましたよ。今晩の夜には戻るそうです」
「そうなの。それは色んな意味で楽しみね」
 ヴィーナは二人の男の間を通って通路へ出た。身体にぴったりとしたドレスによって、後姿の曲線が目立つ。いっそ羨ましいほど綺麗なくびれである。

「そういうことだから、心の準備でもしとくんだな」
 ミスリアを振り返ったイトゥ=エンキの顔には、意味深な微笑が浮かんでいた。
 すぐに彼はヴィーナの後を追った。

 残されたミスリアはゲズゥをチラッと見上げた。
 左右非対称の両目が、じっと見つめ返す。
 やがて彼は瞑目し、溜息を吐いた。

「……アズリが言うほど当時の俺は勘違いしていなかったが、アイツをがむしゃらに求めた根本にあったモノは支配欲とでも形容した方が的確だな」
「しはいよく……?」
「どの道アイツは俺を選ばなかった。ただの暇つぶしのつもりだったんだろう」

 そう言って歩き出した青年の背中には、哀愁も何も漂っていなかった。
 以前言った通り、再会してもしなくてもどうでも良いほどに未練が残っていないのかもしれない。

 ミスリアは頭を振った。
 恋だの欲だの、自分にとっては全く未知の世界である。考えれば考えるだけ頭が痛くなっていく。
 そんなことより生死のかかった問題から焦点を当てていこう。
 拳を握り締め、ミスリアはそう心に決めた。

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23:41:41 | 小説 | コメント(0) | page top↑
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