04.d.
2012 / 01 / 08 ( Sun )
 厩舎にて馬にブラシをかけてる女性は、手を止めて会釈した。

「こんにちはぁ。これはまた可愛らしいお客様だわー」
 最初に話した農家の人といい、地方の訛りのようなものがある。

 そばかすの多い中年女性はミスリアに明るく手を振ってきた。
 こんにちは、と返し、ミスリアは遠出用に馬を買いたいという事情を話した。
 女性は快く応じ、いま一番の良質だという馬たちを呼ぶ。
 
 彼女は上からの視線に気づかない。

 ちょうど厩舎を覆うようにそびえる大樹の中にゲズゥが潜んでいると知らなければ、ミスリアだってまったく気づかないかもしれない。見事に気配が消えている。

 その様子は、昔絵本で見た黒ヒョウにどことなく似ていると思った。

 いい隠れ場所が見えるので今度は近くに潜んでおく、と言い出したのはゲズゥの方だったので、そういうことになった。
 厩の女性がミスリアに注意を向けてた間に、ありえない速さで彼は樹を登った。ほとんど音を立てなかったことといい、慣れていそうだ。

(別に見張って無くても大丈夫なのに、心配してくれてるのかしら)
 ほんのちょっとだけ期待した。

「この子なんてどう? おとなしい子だし、脚が丈夫でスタミナあるからね。いい毛並みよ。触ってみる?」
 勧められた黒馬にミスリアはそっと手の甲を触れた。黒光りする毛並みは、確かにいいものだった。
 
 他にも何頭か見て回るうちに、少し離れた小屋の方から男性が出てきた。

 畑仕事に向かう途中と思しき格好をしている。片手には鎌を持っている。
「おお、客が来てるのか……」
 言いかけて、中年男性は固まった。警戒心を表している。

「嬢ちゃん、ひとりか?」
「え? 私ですか?」
 質問の意味も、何故訊かれるのかも、ミスリアには何が何だかわからない。ゲズゥは相変わらず気配を発していないので、見つかったとは考えにくい。

 男はミスリアに向けて鎌を構えた。慌てて女が間に入った。
「何してるの、あんた」

「鳩で伝書が来ただろ? 十四、十五歳ぐらいの女の子と二十歳ぐらいの男の二人連れに気をつけろってさ」
「この子は一人よ」
「それはそれでおかしいじゃねーか。女の子の一人旅なんてさ」

 ミスリアは無意識に、半歩さがった。
 ――伝書鳩でお触れが回っている? さっき行った家はたまたま届いてなかったまたは見てなかった?

 男女はまだ言い争っているが、状況はおそらく悪い方に転んでいる。
 総統の言っていた「五日の猶予」の意味を考え直す必要がありそうだ。

 そばかすの女性が勢いよくミスリアを振り返った。
「ねえ、違うでしょ? 『天下の大罪人』を連れてたりしないよね?」

 そういう風に問い詰められると、絶句するほかない。こんな大きな嘘を突き通せる自信が無かった。
 ミスリアは笑顔を引きつらせた。

「答えられないってことはそうなんじゃねーか!」
 男の大声に馬たちが驚いている。

 その時、樹の上からガサッと音がして、件(くだん)のゲズゥが降ってきた。

「なっ!?」
 男女が吃驚してる間にゲズゥは曲刀を抜いていた。
 素人のミスリアにも殺気のようなものが感じられる。

「……待ってください!」
 彼女がそう叫ぶより早く、彼は刀を振り下ろしていた。女性の背中を浅く斬り、次に男性めがけて刀を薙いだ。

「ゲズゥ、やめて! お願いです!」
 男は最初の一撃を鎌で何とか受け止めていたが、明らかに実力の差が出ている。足払いかけられて男性は簡単に落ちた。ゲズゥは容赦なくその腹に低い蹴りを入れた。
 そこで思い出したように、ゆっくりミスリアを振り返った。

「殺さないでください」
 涙目で訴える。
 ゲズゥは無表情のままなので、届いたかどうか知れない。色の合わない両目に今はぞっとする。

 彼は首を横に傾げて、一度コキッと鳴らした。次に地を蹴った。
 目の前からゲズゥの姿がまた消えたと思ったら、ミスリアは腰からさらわれ、気がつけば馬上の人となった。

 黒馬には鞍がないけど、手綱はある。
 ゲズゥは掛け声の代わりに馬の腹を蹴った。

「待て、馬泥棒……! 大罪人がっ」
 背後の必死な呻き声から一気に遠ざかり、確かに黒馬の脚は速かった。
 ミスリアはこんな速さでの乗馬は初めてで、ひたすらに怖い。

「あの人たち、お、追ってくるんじゃ……」
 罪悪感でいっぱいだった。二人の怪我も治してあげたいのに。

「舌かみたくなけりゃ口閉じろ」
 言われたとおりに口を閉じて、ゲズゥのお腹辺りにしがみついた。

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