01.
2011 / 12 / 17 ( Sat )
 それは、いつに無く空気の乾いた日だった。
 夏を迎えたばかりの街に陽が燦燦と降り注ぎ、天は数日ぶりに晴れ渡っていた。

 半球闘技場は、見物人で溢れかえっていた。まさに全国、或いは大陸全体から、今日のためにわざわざここまで足を運んできた人々であり、年齢人種問わずに数多く集まっている。南東地方の暑さに慣れずに失神する者もいる。それでも席を立たないのは、まもなく始まるイベントを見逃したくないからだろう。

 数週間前から予定されていた本日のイベントは、闘技などではなく、公開処刑である。
 国家元首自ら、処刑台の傍らの高い椅子に座して参加している。

 ざわめく見物人の視線の集まる先には、木製の柱に縛り付けられた青年がいる。頭上にて両の掌を杭で柱に打ち付けられ、足は血がにじみ出るほどきつく縄で縛られている。腰布以外、何も纏っていない。

 既に三度投獄されて二度も脱獄したからか、警備は厳戒だった。処刑台は数人の警備兵に囲まれている。

 ふいに、俯いていた青年が上を向いた。もしかしたら、気を失っていたところ目覚めたのかもしれない。頭に巻かれた包帯が左目を隠し、右目だけが開かれた。罪人の割と整った顔には何の感情も表れていなかった。観衆にはそれがかえって不気味に映ったらしく、ざわめきは徐々に静まってゆく。

 青年の漆黒の髪が熱風に撫でられ、長めの前髪が僅かに揺れる。

 その時、昇る太陽が青年の真上に達した。それは、処刑が始まる時刻になったことを意味する。

 ドラの音が鳴り響くと、国家元首が右手をかざして観衆の静粛を促した。
 次に、国家元首は一枚の巻物を取り出し、声を張り上げて朗読しだした。それは、罪人の名と罪状をまとめた書状だった。


 「天下の大罪人」と大仰な呼び名を持つその男は、まだ二十歳にも満たない。


_______


 火あぶりにされるには最高の日和だな、と処刑される当人がこともなげに思った。乾いているだけに、すぐに焼けて死ねるだろう。

 顔のまわりを蜂みたいな虫が飛び回っていて五月蝿かった。おかげで、国家元首の声がほとんど聞き取れない。
 強姦殺人、強盗殺人、みたいなことを言っているような気がする。当然、身に覚えはあった。

 死を前にした罪人の罪状を読み上げるという行為に何の意義があるのか、彼にはわからなかった。
 ただ、わかっていることもある。公開処刑とは他の民に対する見せしめであると同時に、ある種の暇つぶし、いわばエンターテインメントだ。観衆の顔を見れば明らかだった。中には、感動しているように号泣する人間もいた。これは、純粋に彼の死を期待して安堵しているようにも見えた。

 自分が焼け苦しむ様を想像して、面白がり、泣き喜ぶ人間さえいるという現実を、彼は特に何とも思わなかった。それを望むのはその者らの勝手であり、数えるのも億劫なほど罪を犯してきた彼にとっては、恨まれるのは日常だった。敵討ちに遭って死んでもそれはそれだ。

 心残りが無いわけではない。生きることに執着がないわけではない。強いていうなれば、飽きただけかもしれなかった。
 
 生き物は生まれた瞬間から死に向かって生きている、と誰かが言っていた。死に対して恐怖は不要、死ぬまでにどういう風に生きるかが勝負である、と。
 その理論でいくなら、彼のたった十九年の人生はどうか。

 確実に近づく「終わり」を想って、彼は一瞬だけ物足りなさを感じ、やはりすぐにどうでもよくなった。

 手の傷の血は乾き、痛みはすっかり麻痺し、足首に食い込む縄もそれほど気にならなくなっている。もう、何が起きたとしても受け入れて終われるだろう。包帯に隠れていない方の右目を、静かに閉じた。

 国家元首の声が止まっている。どうやら、「この罪人が処されることに異議を唱える者が居るか? 今こそ、名乗り出よ」、と言ったらしかった。

 この問いは形式的なものに過ぎない。この国では公開処刑に至るケースは珍しく、ここまで持ち込まれた時点で罪人の死は決定事項だった。誰が何を申し出たところで、大抵は覆らない。

 誰もいないな? 再度確認する声が響く。

 処刑人が一歩、二歩、歩み出る気配を感じた。

「待ってください」

 それはその場にはあまりにも不自然な音だった。
 鈴が鳴ったかのような、少女の澄んだ声。やや息が切れているようだが、それでもはっきりとした意思を帯びていた。

 思わず目を開けた。

 闘技場の通路を軽く駆けて近づいてきているのは、確かに十代半ばか前半くらいの少女だった。全身に纏った白装束に土埃がつくのも気にせず、まっすぐに処刑台に向かっている。どこかで見たような服だったが、思い出せない。

 国家元首の前で足を止め、少女は両膝を着いて敬礼をした。

「待てとはどういうことだ、娘。処刑を待てとでも? その服、修道女か? いや、聖女? 顔を上げよ」

 元首は顎に手を当て、奇妙なものを見るような目で見下ろしてる。

「はい。いかにも、私は教団に属する聖女」

 少女は顔を上げて応じた。

「ミスリア・ノイラート、と申します。どうか私の話を聞いてください。天下の大罪人、ゲズゥ・スディルの処刑を、取りやめて頂きたくて参上しました」

 ゲズゥは、開いている右目を細めて聖女ミスリアを凝視した。気づいて、彼女が明るく微笑みを返す。


 何が起きたとしても受け入れるつもりでいたが、流石に彼は驚きを覚えていた。

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