02.a.
2011 / 12 / 18 ( Sun ) なんとも不思議な気分だった。
まるで赤ん坊の頃、母親の腕に抱かれて眠りに落ちた時のような、夢心地。 赤ん坊の頃の記憶などあるはずないのに、そう感じるのもおかしな話だった。ましてや、ゲズゥは母とは十二年前に死に別れている。残っている思い出がそもそも少ない。 触れられた指先から温もりが波の様に広がる。最初に両手を包まれ肌が撫でられるように、次には内の血管、最後に骨の髄まで、暖かい光が踊り込んでくる。何故か心の蔵まで暖まった気がした。 肉眼には金色の淡い輝きとして映るそれが何なのか、ゲズゥには理解できない。 光は、ミスリア・ノイラートと名乗った聖女から発せられている。 「終わりました」 聖女はひとことそう告げると、ゲズゥの手を離した。ぬくもりも離れていく。 茶色の瞳と目が合った。 彼女はこちらを見上げて訊いた。身長差のせいで、上目遣いみたいになっている。 「どうですか?」 ゲズゥは答えなかった。代わりに、自分の手に視線を落とした。何度か拳を握っては開いたが、違和感が無かった。 ……治っている。 杭が打ち込まれていたため手のひらに空いてた風穴が、すっかり塞がっている。まるで、最初から何事も無かったかのように、血の痕すらない。見れば、足首にあった縄の痕もいつの間にか消えている。 こんな能力を見るのも経験するのも、初めてだった。今まで気に留めなかったが、これなら世間一般が聖人聖女をやたらと敬い崇めるのもうなずける。 誰かの感心の声が上がった。 「なんとすばらしい! 『聖気』を扱えるとは、やはり貴女は『本物』の聖女様なんですな」 国家元首の側近の一人らしい男が、拍手を打っていた。口のまわりに髭を生やした、彫りの深い顔の大男だ。 拍手の音に、はっとした。さっきまでの、世界から切り離されたような感覚からようやく醒める。 ゲズゥと聖女ミスリアは、国家元首の公務室に移動していた。壁には書棚が並ぶ、広い部屋だった。天井には窓があり、さっきと変わらぬ明るい陽光が入り込む。 街中の闘技場とそう離れてない距離にある、国会議事堂の中だ。 まだゲズゥは罪人として、始終手枷を付けられ、警備兵に鎖で引かれてここまで来た。そして警備兵に挟まれて、聖女も同行した。 聖女が教団の名を挙げて強く圧し、処刑は一時的に取りやめられることとなっていた。 「既に知れたことだ。聖女ミスリアが持ってきた勅書は紛れもなく教団の印を、教皇猊下(きょうこうげいか)の印をも賜っている。当然、それを持つことを許された者が下手な嘘をつくはずない」 別の側近が言った。長い黒髪を首の後ろで束ねた、細面の男だ。眉間に皺を寄せて、考え込んでいる。ミスリアがゲズゥの怪我を治したことに対しても何かしら不満があるのか、こちらを時々睨んだ。不満を抱いていてもどういうわけか、誰も聖女の邪魔をしない。 「そんなことよりも、総統閣下、勅書には何と?」 黒髪の男が背後の机に座す国家元首に問いかけた。 このシャスヴォル国は軍事国家だからか、元首は総統と呼ばれる階位に当たるらしい。 総統の返事を一同が待つ中、しばらくの沈黙があった。 「有り得ぬ!」 勅書を読み終えた総統は、急に席を立ち上がった。苛立ちを隠せない様子でいる。 皆は続きを待った。 「ゲズゥ・スディルの死刑を、無期限に保留しろとのことだ。それも、その聖女の側から離れないことを条件に、釈放しろと」 「馬鹿な! 教団は何を考えている!」 「教皇猊下はどういうおつもりで!」 「ダメだ! 凶悪犯罪者を再び野放しになどできない!」 「さっき処刑を取りやめた時の民衆の反応……閣下の好感度に関わります!」 「しかし逆らったらどうなります? 教団の恩恵がなければ……」 総統の側近数人から、警備兵や処刑人まで、一斉に騒ぎ出した。 聖女はというと、やはりまったく動じずに笑みを浮かべている。 「静粛に!」 総統の一声で、周りが静まる。 「聖女ミスリア」 総統は聖女の前へと進み出た。 「はい」 聖女は穏やかに応えた。 「我がシャスヴォル国は大陸のほか十七国と同様、教団のお力添えあってこそここまで繁栄した。しかし我が国は教団の直接の管理下にない。最後に従うかどうかは、我らが決める」 「それで十分です」 「ここには、足らない説明はそなたがしてくれると書いてある。そして、そなたの好きにさせろと。どういうことか聞こう」 「勿論です」 聖女は一礼した。頭に被ってる白いヴェールが揺れて、柔らかそうな栗色の髪がのぞく。 一連の展開を、ゲズゥはただ黙って観察していた。歓喜も落胆もなく、まるで蚊帳の外から眺めるように。 どこかでこの状況を面白がっているのかもしれなかった。 そして少女は、澄んだ声で語りだした。 |
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