2.逃げたい娘、シェニーマ - c
2020 / 06 / 07 ( Sun )
「まあいい。餌として機能するなら、どっちが本物でも大差ない」
 男はぬっと、燭台を持っていない方の手を出した。指は長いが傷痕の多い、不格好な手だった。

「身元を示すものを出せ。ウーデルハインツ家が一目見てお前のものだとわかるものがいい。渋るなら、身ぐるみを剥がす」
 流れるように脅し文句を口にした男は、表情筋を動かさなかった。いっそ事務的と呼べるやり取り、そこに一切の私情も容赦も感じられない。言うとおりにした方が得策に思えた。

「どうぞ」
 ミスリアの方を見やると、彼女は既に懐から装身具を取り出し、男に明け渡していた。男は鎖部分を親指に引っ掛け、手を挙げて十字に似たペンダントを無感動に眺めた。
 縦長の棒を、中心よりやや上のところに交差する横棒は直線ではなく、左右がそれぞれ端に向かって渦のような形を描いている。この大陸に住まう大抵の人間は見覚えがある象徴だ。鎖の半ばのところに黒いリボンが結んであった。

「信徒か」
「教会でいただいてから、肌身離さず付けていたものです。私が貴方がたのもとにいること、確かに伝わるでしょう」
 男はミスリアの答えに満足したのか、ペンダントを黒衣のポケットに突っ込んだ。
「お前は、どうだ」

 次いで矛先を向けられ、シェニーマは急いで考えた。真に貴重なものを渡すのは憚れる。
 髪を後ろで留めていたバレッタを外し、男の手の平に落とした。成人した時に父が職人に特注した珍しい金細工のものだ。値は張るものの、身分証明のために着けているアンクレットの価値とは比べるべくもない。

「これなら間違いないわ」
 受け取り、男はバレッタに施された花の形に指を這わせた。まるで芸術品を愛でるような目をしているのが、かえって不気味だった。

「よし。ウーデルハインツ家当主を呼び出し、雇い主と対面させる」
 男が不自然なほどはっきりと告げた。
(わざわざ予定を教えてくれるの? 親切心……なわけないか)
 男の背後に、部下と思しき人影が現れた。予定を教えていた相手は、彼らの方だった。

「お前らはここで大人しく時間を待て」有無を言わせぬ圧力だった。「水くらいは与えてもいいが、それだけだ。小便はその場でしろ。わかっていると思うが、お前らが逃げられる隙などどこにも無い。変な真似をしたら、迷わず足首をへし折る」
 男はそう言い捨てて、何故か燭台ごとろうそくを置いて行った。

(だからいちいち脅さなくたって! 迷わずって何よ、誰もあんたが人様の骨を折るのに迷うなんて思わないわよ!)
 腹いせに、去り行く背中に舌を出す。
 ふう、と横のミスリアが小さく息を漏らした。張りつめた緊張が緩んだのだろう。

「大丈夫?」
「ええ。シェニーマさんこそ、気を落としていませんか」
「へーき。あんな嫌味くさいヤツ、怖くない――怖くなんてないんだから」
 強がりだ、声が震えたのは自分でもわかっていた。ゆらめくろうそくの火を見つめ、心を落ち着かせようとゆっくり呼吸した。

 そうしていつの間にやら舟をこいだらしい。ろうそくはいくらか短くなっていた。
 膝を抱えた姿勢で眠ったのがこたえて、肩や首が凝ってしまい、お尻も硬い地面のせいで痛くなっていた。心の中で悪態をついた。立ち上がり、伸びをして、傍にいるはずのもう一人の栗色の髪の女性の姿を探す。

 ミスリアは両手を組み合わせて頭を垂れ、瞳を閉じて祈祷の姿勢をとっていた。裾の長いスカートが汚れるのも顧みず地面に膝をついている姿が、どこかさまになっている。
 彼女はこちらの視線に気付くと、顔を上げて微笑んだ。

「祈ってたの?」
「貴女をさがしているひとと、私をさがしているひとが、出会えますようにと」
 妙な答えだった。出会ってどうなるのかと訊き返そうかとも思ったが、その前に謝罪した。
「どうして謝るのですか」

「だって、あのペンダントは大事なものだったんでしょ? あたしの事情に巻き込まれたせいで、もう手元に戻ってこないかも」
 するとミスリアはきょとんとした。
「大切といえば大切ではありますけれど……何しろ量産品ですし」
「へ?」

 これまた妙な答えだった。
 ミスリアは握り合わせていた手を開いて見せた。なんと、十字に似た形の銀のペンダントが握られていたのだった。先ほど例の男に差し出したものより一回りも二回りも大きく、左右の棒の渦巻く部分には紫色の石がはめられている。

 シェニーマにも知識はあった。
 水晶の嵌められたアミュレットは数が少なく、ヴィールヴ=ハイス教団の関係者のみが持っている代物だ。教団の象徴を模しただけのペンダントと違い、神秘的な力を行使するための道具であるはずだ。

「ミスリア、あなたいったい……?」
 質問に込めた感情は畏怖であったように思うし、期待か希望のようなものでもあったかもしれない。
 それを受けた小柄な女性はポスンと音を立てて腰を下ろし、膝の上に両手を休ませて、にっこり笑った。
「私はただの主婦ですよ」



次話、「3.焦る男、ロドワン」

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