三 - e.
2017 / 03 / 22 ( Wed )
「さあ」
 返答はそっけない。青灰色の瞳が警戒するように細められた。
 ――そんな、他人事のように言わなくても。
(他人事じゃないわ。あたしにとっても、あんたにとっても。そうでしょ、『婚約者』さま)
 鼻息荒く、拳を握り締めた。

(踏み込んでやる)
 自分にはその権利があるはずだ。
(秘密に怯えて暮らすのはまっぴらごめんよ。気まずいし、周りにもきっと陰で笑われる)
 あの様子だと、少なくとも他の公子たちは布の下に何があるのかを知っているはずだ。自分だけが知らないのは不合理ではないか。人づてに聞くのはマナー違反、ならばこうして訊き出すしかない。

「どうせいつかは見ちゃうなら、その時が今でも変わらないわよね」
「…………」
「そう思わない?」
「断る」
 催促は撥ね退けられ、目も逸らされた。ここまできて後に引けなくなっていたセリカは、知らず声を荒げる。

「何でよ。そんなにひどいの」
「ひどいかどうかは主観、見る者次第だ」
「それなら早い内に慣れさせてよ。これから毎日見なきゃならないかもしれないのに」
 セリカは自分がただ意固地になっていることに、気付かないふりをした。エラン公子の声が段々と低くなっていることにも。

 こんなことは早々に止(や)めるべきだった。大人しく諦めて、日を改めるべきだった。いつか彼が自ら言い出してくれるのを、根気よく待つべきだった。
 そのどれもをできなかったのは、環境の変化で気が立っていたからかもしれない。元より堪え性が無いからかもしれない。

「ねえ、女々しいんじゃないの。男ならどんな顔でも堂々としてればいいじゃない」
 自分の声が塔の中を反響していった。
 あっという間に余韻が消えてなくなったが、その後の静けさに、ぞっと背筋が冷えた。

 ――失言だ。
 自覚したのは、振り返った彼の表情を視認する数瞬前だった。
 呼吸音がしたのである。この大袈裟なまでに引き延ばされた吸い込み様は、人が激情を抑え込まんとしている時の、それだ。

「ご――」
「お前は」
 反射的に謝ろうとして、遮られた。瘴気すら渦巻いていそうな質感を持った一言に、戦慄した。
「お前は初対面の人間に叫ばれたことがあるか」
「違っ、あの」
 心臓が早鐘を打つ。続く言葉が出て来ない。

「顔を見せただけで子供に泣かれたことは? 流行り病に罹患した者を見るように、遠巻きに憐れまれたことが無いだろう!?」
 月に照らし出された表情には底知れない怒りが宿っていた。
 それに、悲しみも――。

「容易く言ってくれるな、私は堂々としていたさ! けど周りが勝手に反応する……だから隠した、憐れまれるのにも怖がれるのにもうんざりしたからな!」
 忌々しそうに吐き捨てて、青年は足早に階段を駆け下りる。
「あ……」

 ――待って。ちがう、違う、そんなつもりじゃなかった。
 棒立ちになっていたのはほんの僅かの時間。もつれる足を引きずって、後を追った。
 けれども塔を出た頃にはもう遅かった。

「タバンヌス、公女殿下を部屋まで見届けて差し上げろ」
「承知」
 従者に命令を下して、第五公子が颯爽と立ち去る。一度もこちらを見向きせずに。
 ――まって! と、その背中に向けて手を伸ばした。

 エラン公子が呼びかけに応えたかどうかを、知ることはできなかった。大きな人影が間に入ったからだ。
 タバンヌスという男は二十代後半くらいだろうか、革の鎧を着込み、腰には刃物と思しきものを何本か佩いている。彼は深く頭を下げてから、抑揚のない声で進言した。

「僭越ながら発言いたします、公女殿下。夜も更けておりますゆえ、寝室にお戻りくださいませ。主に代わってお送りいたします」
「……ええ、そうね。お願いするわ」
 どんなに目を凝らしても、巨体の向こうには裾を風になびかせる青年の姿が見えない。観念して、セリカは戦士風の男の申し出を受けた。

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