三 - d.
2017 / 03 / 20 ( Mon )
「あれを天へと続く道だとすると、人は光の上を歩けるのか?」
「魂に重さは無いんでしょう。歩けそうなものだけど」
「だとしてもだ。神々は本当に人間に会いたいのか。人間を見捨てたんじゃないか」

 突拍子もない話に、セリカはしばし呆気に取られた。
 神々の意図について深く考えたことはない。この大陸を創りたもうた偉大なる存在はとうの昔にどこか遠くへ去っているというのが、一般的な認識なのである。

「捨ててはいないわ。だって、人々を導くようにって、世界を浄化するようにって、聖獣を遺したんでしょ」
 と言っても、伝承によれば聖獣は数百年に一度しか地上に顕現しないそうだが。
「その聖獣は尻拭いをしているだけじゃないのか。人間の世話が面倒になって地上を去った神々の。そもそも数百年に一度しか蘇らないのも、世界中を飛行するのが大変だからと、聖獣も面倒臭がっているのかもしれない」

「あんたいつもそんなこと考えながら星を観賞してるの」
 呆れてそう言うと、彼はむっと口元を引き結んだ。
「いつもじゃない、たった今考えた。お前が光の川などと言うから」
「えぇ、あたしのせい?」
「そうだ」
 きっぱり断言する青年の横顔を、セリカはやはり微妙な気持ちで見やる。

 ――変な奴。
 出会った時から、この感想は一貫している。
(気を張らなくてもいいのはわかった)
 こんな人となりであったのか、「未来の夫」。
 慣れない距離感である。歯に衣着せぬ話し方をしても怒らないどころか、同様の率直さで返してくる。淑女を壊れ物のように扱おうとする男よりかはよほど接しやすいが、この国の慣習には添わないのではないか――。

「母上は神々の元に辿り着けただろうか」
 ぽつりと呟いて、エラン公子が立ち上がった。その後ろ姿を三秒ほど呆然と見上げた。
(それってつまり)
 第五公子を産んだ妃は既に他界しているということになる。

 孤立、という言葉が脳裏を過ぎる。それは知り合いの居ない異国の地に嫁がされた自分の心細さとは、似て非なる孤独。
 母親が死んでいるという事実だけでそこまで想像するのは飛躍しているかもしれない。青年が立ち去る際に発生した微風から漂う物寂しさは、全てセリカの思い込みかもしれない。
 ――思い込みであれば、いい。

「塔に来てから充分に時間が経っているな。これで親睦を深めたことにはなるはず」立ち止まり、彼は何でもなさそうに呼ばわった。「戻りましょうか……『殿下』?」
「あんたに殿下って呼ばれるとサムイわ。セリカ、でよろしくお願いします」
 何でもないように話しかけてくるのならこちらも同じように応じればいい。公子は、わかった、とだけ返事をして再び歩き出す。

 セリカも急いで立ち上がり、後に続いた。
 吹き抜ける風がいつの間にか随分とひんやりとしていた。春だと言っても、まだ夜は冷える。建物の中に戻るには良い頃合いだ。
 螺旋階段を下りるのは上るよりもずっと楽で、それぞれの靴は干しレンガを小気味よく打ち鳴らしていった。

 手摺りの無い階段を慎重に下りながら、セリカはぼんやりと紫色の布を目で追う。
 ひらり、ふわり。
 カーテンの端みたいに揺れるそれは右の耳を見せては隠し、見せては隠す。大きな滴型の耳飾を垂らしている左耳と違って、右耳はまっさらである。

「その布――」
 なんとなくだった。なんとなく訊きたくなってそのまま質問が口をついたのである。後になって思い返せば、そんなに答えが知りたかったわけでもなかった。
「寝てる時もしてるの?」
 先の方からひと際大きな足音が響いたかと思えば、それきり靴音が止まった。その間にセリカの方が追い付いてしまう。二人して階段の途中で立ち尽くすこととなった。

 ちょうど合間に窓がある。
 薄明りが、右回りに下る階段と一人の公子の輪郭を映し出していた。

「さすがに寝る時は被り物を脱ぐ」
「……そうよね」
 思わずこちらが声を潜めてしまうほどに青年は無表情だった。
「それじゃ、これから……けっこん、するんだから――今後は、隠してる側の顔も見るかもしれないって、こと……よね」

 他人に触れられたくないところに触れてしまった、そう勘付いていながらも止められなかった。根底にあったのは好奇心だったかもしれないし、今日の間に多少は距離を縮められたという安心感と自惚れだったかもしれなかった。

 ――容認しがたいが、己の内にある戸惑いだったかもしれなかった。これから最も近くに居るであろう人間の素顔を知らずに生きなければならないことと、その素顔自体への、邪推や不安。





この辺のエランの台詞はミスリア読了後だとまた違った面白さがあるかもしれませんw

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