七 - g.
2017 / 07 / 20 ( Thu )
「拒否できると思っているのか」
 青年は眉間に皺を寄せて高圧的に言う。右手の指からサンダルがこれ見よがしに揺れている。
「じ、自分で歩けるわよ」
「却下。細かい傷が増える」

 もはや言い返せないと判断し、セリカは肩を落とした。差し出された背中に渋々ながら掴まる。
 体格が近いゆえに重心を安定させるのはきっと難しいと見越して、これまた渋々とエランの首に腕を回す。脚もしっかりと腰に巻き付けて、こうして、来た道を引き返すこととなった。

(無心になれ……無心に……)
 接触している各部位のことは気にしてはいけない。太ももに触れている腕など、そんなものは存在しない。
 会話が途切れているので、気を紛らわせる為にセリカは脳内で祖国の国歌を再現した。曲を半分ほど進めたところで、割り込む音があった。
 咳だった。悪寒が、背骨を駆け抜ける。

「大丈夫?」
 完治したと思い込んでいたが、後遺症があるのだろうか。腰にかけている圧力は、実は身体に障るのだろうか。
「喉が渇いただけだ」
「……そっか」
 明らかに安堵して、強張らせていた手足から力が抜けた。自分がこんなに神経質になっているとは知らなかった。

 咳の音で、昨日のあらゆる出来事を思い出してしまったのだ。どんな風に恐怖し、苦しみ、思い悩んだのかを。同時に、今の状況を改めて見つめ直せた。
 この男を変に意識し出したせいで気持ちが逸れたが、本来抱いていた感情が呼び起こされる。

「さっきのあんたと聖女さまとの会話、少し聞こえてたの」
「聞こえてたのか」
 これといった感情が付随していない返事だった。意に介さずにセリカは続けた。
「聖女さまの真似じゃないけど、あたしもね。あんたが元気になって、こうしてまた話ができて……すごく満足してる。恩返しとか犠牲を払っただとか、気にしなくていいからね」

 ――伝えた。伝わった、だろうか。
 求めていた見返りは単純だ。会いたかった、ただそれだけだ。
 そのことを思えば、こうして触れている温もりも髪の匂いも、心地良いものに感じられた。自然と目を瞑る。しばしそうしていたが、沈黙がいつまで経っても破られないことを不審に思い、目を開けた。

「ちょっと聞いてたの、エラン。さっきから静かじゃない」
 勇気を出して胸の内を吐露したのに、無反応とはあんまりではないか。首を伸ばし、表情を窺おうとする。
「……聞いてる」
「ならいいのよ。相槌が欲しかっただけ」
 唇を噛んでいるのが見えた。この仕草には覚えがある――

「嬉しくて、思考が止まった」
 ――不意打ちだった。
 よく見れば耳も赤くなっているようだ。
「え、えー。そういうこと言う? あたしまで照れるんですけど」
 セリカは上体を仰け反らせる。多分だけれども自分もつられて体温が高くなっている気がして、気付かれるのを避けたくなった。この状況では、他に距離の取りようが無い。

「元はと言えば誰のせいだ」
「何も変なこと言ってないわよ、『元気なあなたに会えて幸せだ』とかそんなんでしょ」
 あれ、とセリカは口を開けたまま視線をさまよわせた。簡略化して言い換えると、まるで想いを募らせた恋人同士の逢瀬の挨拶だ。
 会えなかった期間は短かったのに、大層な言い様である。かなり恥ずかしい。

(でも、生死を彷徨ってたのを見守るのはキツかったわ)
 青くなっていた唇や溢れ出した鮮血を思い出すと、照れて暴れる気も失せた。
「……本気でそう思ったのよ」
 ふと、エランが笑った気配があった。
「ありがとう。私も元気なセリカに会えて、幸せだ」

_______

 ――ええ全く、殿方には呆れますわ。乙女の機微を読み取る努力をもっとしていただきたいですわね。
 ――簡単に見せないから機微と呼ぶんじゃないのか。
 ――いいえ兄さま! 隠したいから隠しているものは別でして、気付いていただきたいから隠す感情というのがありますのよ。

 ――ややこしい。お前にもそんなものがあるのか、リュー。
 ――ありますとも。この気持ちを知って欲しい、けれど自分から言うのが悔しい、だから言えない! なんて想いが。
 ――なんだそれは……。言わなければ伝わらないだろう。
 ――ええまあ、わたくしと兄さまほどの仲なら、思った傍から何でも話しますけれど。

 ――なら何も問題がない。
 ――そう思いますでしょう? でもいつかお妃さまを娶る時が来ましたら、こうはうまく行きませんわよ。わたくしはエラン兄さまを心配しているのです。ちゃんとお妃さまを、見ていて差し上げなさいな――

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