七 - f.
2017 / 07 / 17 ( Mon )
 微妙な静寂が降りる。セリカは虫から話題を逸らす術を探した。
「ね、触れてみてもいい……?」
 気が付けば大胆な質問を口にしていた。何故そんなことを望んだのか、後になって考えてみても、衝動だったとしか言い表せない。
「どうぞ……? 面白くも何ともないぞ」
 意外そうな返答があった。

「縫った痕っぽいわね」
 まずはじっくり眺めてみる。瞼まで縫い付けられているため、右目は開かないようになっている。
「刃物でざっくり斬られたそうだ。昔のことだ」
「うわあ、痛そう」
 顔を歪めて言うと、実はよく憶えてない、と彼は肩を竦めた。どこか他人事のように語るのもそこに起因しているのだろう。幼い頃の記憶とはそんなものだ。

「あ、ごめん。憐れまれるのが嫌なんだっけ」
 セリカは宙に浮かせた手を止める。
「遠巻きに憐れまれるのは鬱陶しいが、この近距離なら別にいい」
「あんたって、つつけば変な理屈ばっか出るわね」
「何とでも言え。……――痛かったかは憶えてないが、声が出なくなるまで泣き喚いたのは憶えている」

「じゃあ今は?」
 訊きながらもセリカは左手を伸ばした。中指と薬指の先で、肌の盛り上がっている部分を遠慮がちになぞってみる。
「痛くは、ない」
「それはよかった」

 なんとなく継続して指先で触れる。
 傷痕を形成する組織はデリケートなはずだ。これだけ大きい傷ながら、痛くないのには安心した――
 ふいにエランが身じろぎした。まるで撫でる指先から逃れたがっているみたいに。

(あれ。この反応)
 存外に面白いではないか。セリカの中に、おかしな欲求がふつふつと沸き上がる。
「もしかしてくすぐったいのを我慢してた感じ」
「…………」
 無言で身を引いたのが肯定の証。逃げられると追いたくなるのが人の性か、両手を伸ばした。耳の下から包み込むようにして捕らえる。

「やめろ」
 手首を掴まれた。引き剥がそうとしているらしい。セリカは全力で抵抗した。
「いいじゃない、さっきの仕返しよ。足触られるのすっごくくすぐったかったんだからね!」
「それは手当てだっただろうが! 同列にするな!」
「問答無用!」
 腕力が何故か拮抗している状態で、左手の親指を動かす。今度は指の腹で、じっくりと撫でてやる。

「ん……や、め……」
 顔を背けながらエランはまた身じろぎした。その振動が掌を伝わり、肘まで上り詰めた。
 ――唐突に、意識する。

 香(こう)と汗と埃の匂い。爪先に触れる、黒茶色の巻き毛の感触。両手の中にある温もり、頬の柔らかさや顎骨の形、昨日から生え出したのであろう顎髭のざらつき、手の甲に当たっている耳飾の冷たさと硬さ。
 目の前の「男」の存在感を。

 それらへの認識は土砂降りのように降り注ぎ、未知の意欲を突き動かす。
 しかもたった今の一瞬で見え隠れした表情を、敢えて世間の言葉で形容するなら「色っぽい」でいいのだろうか。これが適当な表現かは、よくわからない。誰かにそんな主観を強く抱いたことが無いのだから。
 とにかく背筋がゾッとした。手を放し、次いで委縮した。

「はいあたしが全面的に悪かったですごめんなさい」
 石の上で背中を丸めて頭を下げる。
「急にどうした」
 訝しげな声が聞こえた。
「総評――い、いい顔だと思うわ。断じて醜くなんてないです」
 一方で、こちらはうわずってしまった。

「それはどうも……? いや本当にどうした。無理するな」
 直視できない。どうしたんでしょうね何を口走ってるんでしょうね、とは声に出さずに「さあ戻ろうきっと聖女さまたちが心配してる!」と早口で応じる。
「……裸足でか」
 石から降り立とうとするセリカの眼前に、一対のサンダルがぶらんと見せ付けられる。受け取ろうとして手を伸ばす。
 が、サッと取り上げられた。

「返してくれませんか」
「包帯巻いてる足では履きづらいだろう。背負って行ってやる」
「それはイヤ! ヤメテ!」
 負ぶさるともなると接触する面積が広すぎる。ありがたいけれども、今この時に限っては迷惑としか感じられない提案であった。


なんだこのラブコメ波動は。作者がどんな顔をしてこの場面を書いたのかは想像しないでいただきたいw


@ナルハシさん

そーなの、私の作品が好きな人なら私の好きな作品もきっとお口に合うはず論でした( ´艸`) 予言の聖女なら軽く読めるしちょうどいい長さ。
本当は違うところから先にクロスオーバー案があったのですが、ついミスゲズをドラマティック登場させてしまいました。反省はしてません!

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