七 - g.
2017 / 07 / 20 ( Thu )
「拒否できると思っているのか」
 青年は眉間に皺を寄せて高圧的に言う。右手の指からサンダルがこれ見よがしに揺れている。
「じ、自分で歩けるわよ」
「却下。細かい傷が増える」

 もはや言い返せないと判断し、セリカは肩を落とした。差し出された背中に渋々ながら掴まる。
 体格が近いゆえに重心を安定させるのはきっと難しいと見越して、これまた渋々とエランの首に腕を回す。脚もしっかりと腰に巻き付けて、こうして、来た道を引き返すこととなった。

(無心になれ……無心に……)
 接触している各部位のことは気にしてはいけない。太ももに触れている腕など、そんなものは存在しない。
 会話が途切れているので、気を紛らわせる為にセリカは脳内で祖国の国歌を再現した。曲を半分ほど進めたところで、割り込む音があった。
 咳だった。悪寒が、背骨を駆け抜ける。

「大丈夫?」
 完治したと思い込んでいたが、後遺症があるのだろうか。腰にかけている圧力は、実は身体に障るのだろうか。
「喉が渇いただけだ」
「……そっか」
 明らかに安堵して、強張らせていた手足から力が抜けた。自分がこんなに神経質になっているとは知らなかった。

 咳の音で、昨日のあらゆる出来事を思い出してしまったのだ。どんな風に恐怖し、苦しみ、思い悩んだのかを。同時に、今の状況を改めて見つめ直せた。
 この男を変に意識し出したせいで気持ちが逸れたが、本来抱いていた感情が呼び起こされる。

「さっきのあんたと聖女さまとの会話、少し聞こえてたの」
「聞こえてたのか」
 これといった感情が付随していない返事だった。意に介さずにセリカは続けた。
「聖女さまの真似じゃないけど、あたしもね。あんたが元気になって、こうしてまた話ができて……すごく満足してる。恩返しとか犠牲を払っただとか、気にしなくていいからね」

 ――伝えた。伝わった、だろうか。
 求めていた見返りは単純だ。会いたかった、ただそれだけだ。
 そのことを思えば、こうして触れている温もりも髪の匂いも、心地良いものに感じられた。自然と目を瞑る。しばしそうしていたが、沈黙がいつまで経っても破られないことを不審に思い、目を開けた。

「ちょっと聞いてたの、エラン。さっきから静かじゃない」
 勇気を出して胸の内を吐露したのに、無反応とはあんまりではないか。首を伸ばし、表情を窺おうとする。
「……聞いてる」
「ならいいのよ。相槌が欲しかっただけ」
 唇を噛んでいるのが見えた。この仕草には覚えがある――

「嬉しくて、思考が止まった」
 ――不意打ちだった。
 よく見れば耳も赤くなっているようだ。
「え、えー。そういうこと言う? あたしまで照れるんですけど」
 セリカは上体を仰け反らせる。多分だけれども自分もつられて体温が高くなっている気がして、気付かれるのを避けたくなった。この状況では、他に距離の取りようが無い。

「元はと言えば誰のせいだ」
「何も変なこと言ってないわよ、『元気なあなたに会えて幸せだ』とかそんなんでしょ」
 あれ、とセリカは口を開けたまま視線をさまよわせた。簡略化して言い換えると、まるで想いを募らせた恋人同士の逢瀬の挨拶だ。
 会えなかった期間は短かったのに、大層な言い様である。かなり恥ずかしい。

(でも、生死を彷徨ってたのを見守るのはキツかったわ)
 青くなっていた唇や溢れ出した鮮血を思い出すと、照れて暴れる気も失せた。
「……本気でそう思ったのよ」
 ふと、エランが笑った気配があった。
「ありがとう。私も元気なセリカに会えて、幸せだ」

_______

 ――ええ全く、殿方には呆れますわ。乙女の機微を読み取る努力をもっとしていただきたいですわね。
 ――簡単に見せないから機微と呼ぶんじゃないのか。
 ――いいえ兄さま! 隠したいから隠しているものは別でして、気付いていただきたいから隠す感情というのがありますのよ。

 ――ややこしい。お前にもそんなものがあるのか、リュー。
 ――ありますとも。この気持ちを知って欲しい、けれど自分から言うのが悔しい、だから言えない! なんて想いが。
 ――なんだそれは……。言わなければ伝わらないだろう。
 ――ええまあ、わたくしと兄さまほどの仲なら、思った傍から何でも話しますけれど。

 ――なら何も問題がない。
 ――そう思いますでしょう? でもいつかお妃さまを娶る時が来ましたら、こうはうまく行きませんわよ。わたくしはエラン兄さまを心配しているのです。ちゃんとお妃さまを、見ていて差し上げなさいな――

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23:45:31 | 小説 | コメント(0) | page top↑
七 - f.
2017 / 07 / 17 ( Mon )
 微妙な静寂が降りる。セリカは虫から話題を逸らす術を探した。
「ね、触れてみてもいい……?」
 気が付けば大胆な質問を口にしていた。何故そんなことを望んだのか、後になって考えてみても、衝動だったとしか言い表せない。
「どうぞ……? 面白くも何ともないぞ」
 意外そうな返答があった。

「縫った痕っぽいわね」
 まずはじっくり眺めてみる。瞼まで縫い付けられているため、右目は開かないようになっている。
「刃物でざっくり斬られたそうだ。昔のことだ」
「うわあ、痛そう」
 顔を歪めて言うと、実はよく憶えてない、と彼は肩を竦めた。どこか他人事のように語るのもそこに起因しているのだろう。幼い頃の記憶とはそんなものだ。

「あ、ごめん。憐れまれるのが嫌なんだっけ」
 セリカは宙に浮かせた手を止める。
「遠巻きに憐れまれるのは鬱陶しいが、この近距離なら別にいい」
「あんたって、つつけば変な理屈ばっか出るわね」
「何とでも言え。……――痛かったかは憶えてないが、声が出なくなるまで泣き喚いたのは憶えている」

「じゃあ今は?」
 訊きながらもセリカは左手を伸ばした。中指と薬指の先で、肌の盛り上がっている部分を遠慮がちになぞってみる。
「痛くは、ない」
「それはよかった」

 なんとなく継続して指先で触れる。
 傷痕を形成する組織はデリケートなはずだ。これだけ大きい傷ながら、痛くないのには安心した――
 ふいにエランが身じろぎした。まるで撫でる指先から逃れたがっているみたいに。

(あれ。この反応)
 存外に面白いではないか。セリカの中に、おかしな欲求がふつふつと沸き上がる。
「もしかしてくすぐったいのを我慢してた感じ」
「…………」
 無言で身を引いたのが肯定の証。逃げられると追いたくなるのが人の性か、両手を伸ばした。耳の下から包み込むようにして捕らえる。

「やめろ」
 手首を掴まれた。引き剥がそうとしているらしい。セリカは全力で抵抗した。
「いいじゃない、さっきの仕返しよ。足触られるのすっごくくすぐったかったんだからね!」
「それは手当てだっただろうが! 同列にするな!」
「問答無用!」
 腕力が何故か拮抗している状態で、左手の親指を動かす。今度は指の腹で、じっくりと撫でてやる。

「ん……や、め……」
 顔を背けながらエランはまた身じろぎした。その振動が掌を伝わり、肘まで上り詰めた。
 ――唐突に、意識する。

 香(こう)と汗と埃の匂い。爪先に触れる、黒茶色の巻き毛の感触。両手の中にある温もり、頬の柔らかさや顎骨の形、昨日から生え出したのであろう顎髭のざらつき、手の甲に当たっている耳飾の冷たさと硬さ。
 目の前の「男」の存在感を。

 それらへの認識は土砂降りのように降り注ぎ、未知の意欲を突き動かす。
 しかもたった今の一瞬で見え隠れした表情を、敢えて世間の言葉で形容するなら「色っぽい」でいいのだろうか。これが適当な表現かは、よくわからない。誰かにそんな主観を強く抱いたことが無いのだから。
 とにかく背筋がゾッとした。手を放し、次いで委縮した。

「はいあたしが全面的に悪かったですごめんなさい」
 石の上で背中を丸めて頭を下げる。
「急にどうした」
 訝しげな声が聞こえた。
「総評――い、いい顔だと思うわ。断じて醜くなんてないです」
 一方で、こちらはうわずってしまった。

「それはどうも……? いや本当にどうした。無理するな」
 直視できない。どうしたんでしょうね何を口走ってるんでしょうね、とは声に出さずに「さあ戻ろうきっと聖女さまたちが心配してる!」と早口で応じる。
「……裸足でか」
 石から降り立とうとするセリカの眼前に、一対のサンダルがぶらんと見せ付けられる。受け取ろうとして手を伸ばす。
 が、サッと取り上げられた。

「返してくれませんか」
「包帯巻いてる足では履きづらいだろう。背負って行ってやる」
「それはイヤ! ヤメテ!」
 負ぶさるともなると接触する面積が広すぎる。ありがたいけれども、今この時に限っては迷惑としか感じられない提案であった。


なんだこのラブコメ波動は。作者がどんな顔をしてこの場面を書いたのかは想像しないでいただきたいw


@ナルハシさん

そーなの、私の作品が好きな人なら私の好きな作品もきっとお口に合うはず論でした( ´艸`) 予言の聖女なら軽く読めるしちょうどいい長さ。
本当は違うところから先にクロスオーバー案があったのですが、ついミスゲズをドラマティック登場させてしまいました。反省はしてません!

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23:32:08 | 小説 | コメント(0) | page top↑
七 - e.
2017 / 07 / 15 ( Sat )
「ねえ、すごくいい話をしてるのに悪いんだけど」――ひと呼吸を挟んでから続ける――「気になってしょうがないのよ。顔……隠さなくていいの」
 黙っていようと思っていたのについに言ってしまった。微かな後悔に、目を逸らす。
 視界の端で青い宝石が揺れるのが見えた。

「牢を駆け回れるような勇敢な姫が、こんなものを怖がるのか」
 その声は、落胆しているようにも聞こえた。慌てて否定する。
「平気! 全っ然余裕ですね!」
 再び目が合った時、そこには悪戯っぽい笑みがあった。
 ――はめられた。

「誘導するみたいな言い方しなくても……叫んだりしないわ。勇敢って何よ、嫌味?」
「まさか」
 洗う作業を終えたらしいエランが、残った布を引き裂いて包帯を作る。まだむず痒さが続くことにセリカは内心で呻いた。これ以上、我慢せよというのか。

(やだもう。反射で蹴っちゃいそう)
 公子をうっかり足蹴にしては大問題だ。いや、相手が公子でなくても結構な問題である。
 こうして悶々としている内に片足の処置が終わって結び目がこしらえられた。残る足に移ったところで、エランはこちらを見ずに口を開いた。

「毒にやられてた間のことは、断片ながら後になって徐々に思い出せた」
「……うん」
 まるで溺れていたようだったと、彼は語った。諦めて流されればその度にまた息継ぎができてしまい、遠ざかっていた五感が恨めしい激しさで戻った――痛い、苦しい、いっそ死んでしまえたらいい、そこまでして生きる価値なんて無い――かわるがわるそう感じたと。

「価値が無いって、そんな」
「ああいう状態では心の澱が浮かび上がるものだ。きっと自分がいなくなっても誰も悲しまない、あがくまでもない、と」
「やめてよ。あんたがどんな闇を抱えてるかなんて知らないけど、冗談でもそういうこと言わないで!」
 身を乗り出して怒鳴った。

「そんな感じだ」
「なっ、何が」
 妙な反応をされて、セリカは怯んだ。
「激励する声を聴いた。腕を引っ張る手の温かさを感じた。不確かなものしかない世界の中に、お前の気配を捉えられた。いわばその熱量が、私を生かしたのだろう」

 打ち明けられた想いの深さに戸惑った。何やら胸の奥がこそばゆい気がする。
 彼の挙げたものに、心当たりは当然ながらある。それでも、この瞬間にどんな言葉が見合うのか、セリカにはわからなかった。褒めてもらいたかったのは認めるが、いくらなんでもこの言い方は大げさではないか――。
 ふたつ目の結び目が完成した。足が解放された機に、早速石の上で座り直す。
 エランは俯きがちに、依然としてしゃがんでいる。

「話戻すけど、もう隠さないの」
 青年の額の右側から頬まで、眉骨や右目を巻き込んだ縦長の傷痕を、控えめに指さして訊ねる。
「ルシャンフに帰っている間などは特に隠してないが……この際、率直な感想を聞こう。――醜いか」
 男でもそういうことを気にするんだとセリカは意外に思い、しかし反省する。周りの目が気になるのに老若男女の違いなんてないはずだ。

「率直って、本当の本当に言っちゃっていいの」
「頼む。取り繕われるよりは、その方がわだかまりなく付き合っていける」
 当人がそこまでの覚悟なら仕方がない、じゃあ、とセリカは切り出した。

「強いて言うなら、でっかいムカデが這ってるみたいよ」
 直後、顔を上げたエランの口元が引きつっていた。
 ――傷付いたのか。どんなに前置きがあっても傷付いてしまうものなのか!
「だって率直な感想が欲しいっつったのそっちでしょ!?」
「その通りだ。なるほど、そうか……虫。セリカは、虫は平気か」
 まだ表情筋が引きつっている。

「気持ち悪いし触るのも嫌よ。でも怖いというよりは敬意を払うべき強靭な生命体だと思っているわ、特にムカデ級ともなるとね、うん」
 論点がずれた気がしなくもないが、問われたので答えた。

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06:27:00 | 小説 | コメント(0) | page top↑
今日は更新できる予感がしないッ
2017 / 07 / 14 ( Fri )
いい…とこ……なのに……!(血涙


リアルが邪魔をしやす。

ていうか私は仕事ができる頭のいい女子と通してるんだけど(ドヤァ)、大抵サボってる。今日みたいにすごく働いてる日ばかりが人の記憶に残る。好都合。明日は朝は歯医者行きます。


ブログのお客様が更新待ちしている間に退屈だとしのびないから、ナルハシさんの予言の聖女あたりを読めばいいんじゃないかな。http://ncode.syosetu.com/n7318bp/

読み終わる頃にはまたここに戻ってくるといいんじゃないかな★

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06:04:08 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
七 - d.
2017 / 07 / 11 ( Tue )
 にわかに芽生えた感情を、セリカは隅に押しやった。話を続ける二人を邪魔しないように、静かに寝床から抜け出る。
 唯一、枝に刺した小動物を焼いているらしいあの不気味な男だけが、気付いてこちらを一瞥した。けれど何も言わなかった。
 それからセリカは、特に当ても用も無く森の中をねり歩いた。

(何よ。そりゃあ聖女さまに出会わなかったらやばかったけど……あたしだってすっごく頑張ったのに。あの子ばっかり)
 ぱしゃん! と勢いよく水を踏んだ音で、我に返る。
 この感情と思考。これではまるで、妬み嫉みだ。

(ち、ちがっ、別にあたしは、あいつに褒めて欲しくて助け出したんじゃないのよ)
 自己嫌悪が込み上がる。知らない人の為に躊躇いなく飛び出したあの聖女に比べると、今の自分はあまりにも情けないのではないか。
 そうは言っても、堪えられないものは仕方がない。
(なんで…………)
 優しい眼差しの先にいるのが、「顔の傷跡」に関して気楽に話せる相手が自分ではないのが、どうしてこんなにも悔しいのだろう。

 セリカはその場でしゃがんで、先ほど踏んだ水を見つめた。
 湧き水みたいだった。まばらに水たまりができていて、飲めそうなほどに済んでいる。
 それにしても、頭上から聞こえる鳥の鳴き声が明るい。のどかな風景の中にあって、自身のささくれ立った心は滑稽に思えた。
 ――みじめだ。

「なんか、疲れた」
 家に帰りたかった。できれば兄弟を捕まえて稽古に付きあわせて、休憩にはバルバが淹れてくれるお茶を飲んで、夜は母の小言を聞き流しながらキタラーを弾いて月を眺めたい。一生、結婚できないままでも気にすまい。
(もういいじゃない、人のことなんて。あたしには荷が重いわ)
 膝の上に揃えた両手の甲に顔を埋めた。故郷の自室のベッドの匂いを思い出そうとするも、うまく思い浮かべられない。

 枝の折れる音がした。パッと音のした方へ顔を上げる。
 数歩離れたところに、黒染めの革の長靴があった。初めて目にした時に比べて、それは随分と汚れてしまっていた。

「……こんなところで何をしている?」
 呆れた顔で、エランディーク・ユオンが訊ねた。
「別に。物思いに耽ってたの。悪い?」
 思わず顔を逸らした。見るほどの何かがあるわけでもないのに、水たまりをじっと見つめる。

「悪いということはないが、あまり一人で遠くに――……泉か、ちょうどいい」
「ちょうどいいってどういう」
「セリカ。そこの石に座ってくれ」
「は?」
 刺々しい声で答えてしまった。
「いいから座れ」
「ちょっとあんた、元気になった途端に何でそんな偉そうなのよ!」
 睨み付けるつもりで振り仰いで、しかしそこで呆気に取られた。思いもよらなかった光景に、言葉が出ない。

「へ、あの、エラン、ねえ」
 彼は右手でターバンを解きながら、左手でセリカの腕を引いた。されるがままに、近くの石に腰をかける。
「足、触ってもいいか」
「足……? あ、はい……」
 呆然と答える。エランが目の前でしゃがんでいる間も、セリカの目は解かれる被り物に釘付けになっていた。しゅるしゅると、頭上の布が減り、手の中の布が増えていく。

「なに、やってんの」
 かろうじて呟いた。青年はすぐには答えず、左手を伸ばした。
 足首に触れた急な感触に、セリカは無意識に息を止めた。
 紐が解かれ、終いにはサンダルを脱がされた。まずは右足、それから左足。その感覚は温かくてくすぐったくて――そして痛かった。

「だいぶ擦れているな。マメもできてる。聖女さまに治してもらえばいいだろうに」
「うっ、気付かなかったのよ。あちこち痛くて麻痺しちゃったというか」
「だからって放置するなよ」
「ほっといてよ! あんたには関係ないでしょ」
 足を取り返そうとして、失敗した。それより早く掴まれたのである。
 掌の熱に、掴む力の強さに、驚く。

「放っておけるか。関係なら、ある」
 エランはターバンから布を破いて、端を湧き水に濡らした。それでセリカの足を拭うようにして洗っている。冷たくて痛いが、嫌な感じはしない。
(なにこれ)
 心臓がおかしくなりそうだ。なんとなくドレスの裾を握り締めた。目線をどこへやればいいのかわからないので、ラピスマトリクスの耳飾を鑑賞する。それも思いのほか汚れているのがもったいない。

「お前がどれほどの犠牲を払ったのか、真に理解できるとは思っていない。感謝している、それだけはわかって欲しい」
 目が合った。青灰色の瞳は真剣そのものだ。
 息が詰まった。これもまた嫌な感じではなく、むしろ感極まったのかもしれない。

「出会って三日と経たないお前は、命を賭して私をあそこから連れ出してくれた。出会って数秒としない聖女さまは、見返りを求めずに私の命を救ってくださった。一の善意は千の悪意をも上回る輝きを放つものなのだと、実感している。こんな想いは初めてだ。常に謀略を巡らせる人間ばかりの世の中だと思っていた」
「……そう」
 耐えかねて、息を吐く。

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10:34:36 | 小説 | コメント(0) | page top↑
七 - c.
2017 / 07 / 09 ( Sun )
 しゃーり、しゃーり、と硬いものが鉄に擦れる音にいちいち鳥肌が立った。いつになったら終わるんだ――焚き火の傍で腰を丸めていたセリカは、チラリと黒髪の男を盗み見た。
 森の中のいい感じの広場で野営地を組んでしばらく経った頃、あの長身の男が刃物を研ぎ出したのである。あれだけ大きな剣だ、表面の汚れを落とすだけでも手間なのに、男はなんともなさそうに手順を次々と踏んでいった。

 やっと音が止んだかと思えば、今度は男はエランの所持する武器を手に取った。剣とも呼べそうな、長いナイフとも呼べそうな刃物を鞘から抜いた途端、男は不服そうに眉を吊り上げる。
(そういえばエランって武器の取り扱いが雑だったような)
 もしかしたら手入れも怠っていたのかもしれない。現に男は、錆を落としたり石で研いだりして、自分の剣にかけた以上の時間を費やしてそれを整備した。
 ありがたい気遣いである。しかし頭ではわかっていても、セリカがその音にぞわりとするのは不可抗力だった。

「あの。先に横になってもいいかしら」
 静かに問いかけた。男は振り返らずに頷く。
 セリカはたまらずに安堵した。正直、二人きりでいるのが気まずかったのである。
 他の二人は今夜はもう起きそうにないから、この変な空気から逃れるためには自分が寝るしかない。水筒の水を一口飲み込んでからタバンヌスに借りた外套を敷き、荷物入れの袋を枕代わりにして、寝転がった。

「隣、失礼しますよー」
 不慣れな環境でせめて少しでも慣れ親しんだものの傍に居たいと思うのは自然だろう。枕元に愛用の弓、腕の長さほど離れた距離にはエランディーク公子。
(顔色良くなってる……安らかそうな寝顔……)
 視界が点滅する。瞼がひとりでに下りて来たらしい。
 色々と気を揉んで眠れないのではないかと心配していたのだが、肉体の疲労の方が勝ったようだ。泥沼に沈むような深くてねっとりとした眠りに落ちるまでに、大した時間はかからなかった。


 話し声によって、実のない夢から覚めた。
 始めはただ身じろぎした。尾を引く倦怠感と陽の光の暖かさが相まって、セリカは起き上がるどころか目を開けることすらしたくない。

「――――お礼は要りませんよ。その時その場に居合わせて、できることがあったから、したまでです。私は本心から、貴方の元気な姿が見れただけで満足です」
 うら若い女子の可愛らしい声が聞こえる。誰の声だろうか、聞き覚えがある気がする。
「そう思っていただけるのは幸いですが……」
「あっ! でも、お顔の傷痕は古いのでしょうか、聖気では治せませんでしたね」

「ああ、はい。幼少の頃の古傷です。お気に病まないでください」
 気になる単語に、セリカの重い瞼が持ち上がる。
 ――顔のきずあと? 幼少の頃の古傷――
 今度こそ目が開いた。地に横たわっているため視線の位置は低い。ぐるりと目を動かして、少女の立ち姿を見つけた。栗色の髪を首元で一束に括りつけ、いかにも動きやすそうな麻ズボンを履いている。

 少女と向かい合って立つ青年を認め、セリカは胸が狭まるのを感じた。
 たったの一日だったはずなのに。その間ずっと話ができなかったのを思い返すと、何故だか目頭が熱くなる。

「聖女さまに助けていただき、私は死の淵から戻って来れました。感謝してもしきれません。口頭でいくら伝えても足りません。私にできることがあれば、どうぞなんなりと」
「うーん、そうですね」小さな聖女が考え込んだ。「私は貴方がたがどんな身の上なのか知りませんし、他人様の人生に願いを押し付けるのは違う気がするんです……だからこれは私のわがままだと思って聞き流してくださっても構いません」

「はい」
「……せっかく助かった命です。いつか貴方にも人を助けられる機会が訪れた際は、活かして――やっぱり、こんなお願いは尊大すぎますよね、すみません」
 慌てて聖女は頭を下げる。エランはしばらく無言だったが、やがて地に片膝をついて彼女を見上げた。

「いいえ。この身に生ある限り、世のため人のために尽くすことを誓います。それが聖女さまへの恩返しとなるならば」
 彼は彼女の小さな手を取って、指の関節に唇を寄せた。
「ありがとうございます。十分すぎる恩返しですよ」
 ――彼らのあずかり知らぬところで、セリカは目を見開く。

「ふふ、エランさんってなんだか騎士さまみたいですね。もしくは王子さまでしょうか?」
「そう感じていただけて光栄です」
 と、生まれついての公子は優しい笑顔で答えた。

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七 - b.
2017 / 07 / 06 ( Thu )
 魔物が一刀両断される。切り口から飛び出す体液が、なんとも美しい弧を描いた。
 痛快な光景であった。剣圧から生じた風ですら気持ち良いくらいだ。自分を脅かしていたモノがこうしてあっさりと無に帰すさまを眺めるのは、気分が良かった。

(って、いけない。見とれてる場合じゃない)
 己にもたれかかる重みを思い出して、セリカはハッとなった。そっと草の上に寝かせてから、呼びかける。
「エラン!」
 ふと人の気配が近付いた。警戒して思わず身じろぎした。

「安心してください。私は聖女です」
 例の少女が膝を付き、銀色の鎖に繋がったペンダントを取り出して見せた。ペンダントの部分は銀細工に紫色の水晶が左右に一つずつついている、左右対称的な形だった。十字にも似た紋様は、この大陸で生活する人間ならばほとんどが見知っている象徴だ。

「教団の聖女が……どうしてこんなところに……?」
「お話はまた後にしましょう」
 浮かべている微笑みと裏腹に、聖女の声音は厳しかった。何かの呪文を小声で唱えてから彼女は慣れた様子で手をかざした。「どこが悪いのか、わかりますか?」
「胸――肺を多分、さっきやられて……それからお腹にも内出血、かな」
 指で示しながら教える。先ほどはだけさせた服がそのままになっているため、患部が露わになっている。

「わかりました。胸とお腹ですね」
 少女の手の中に握られたペンダントが、金色の光を発している。光は淡く伸びて帯のような形になり、エランを包み込む。
 セリカは目を凝らして一部始終を見つめていた。その上で、目を疑った。
 胸の皮膚を抉った傷や腹部の痣が、忽ち治っていったのである。服に付いた血痕は変わらないが、ほんの数秒前まではそこにあったはずの痛々しい生傷がすっかり消えてしまった。唇も元の色に戻っているし、顎にまで流れていたはずの血の痕も無い。

 幻覚かと思ってセリカは何度も目を擦った。手を伸ばして、触れてみたりもした。
 ――この弾力、感触。何の仕掛けもない、まごうことなきただの肌だった。
 仰天した。セリカとて聖人や聖女が摩訶不思議な力を施すのを見たことや経験したことはあったはずだが、せいぜい擦り傷や頭痛を治したという程度の話だ。
「すごっ! 『聖気』ってこんなことができるの!?」
 感嘆して聖女の方を振り向く。一方で彼女はとても息苦しそうに答えた。

「これで、彼はもう、大丈夫でしょう。後は頼みましたよ、ゲズゥ……」
 どうしたのと訊ける間もなく、ふらりと小さな聖女は前のめりに倒れかける。横合いから伸びた腕がその肩を支えた。魔物はもう倒し尽くしたのか、長身の男がいつの間にかすぐ傍にいた。
 一拍置いて、彼はこちらに首を巡らせた。不気味なほどに無表情な男は、やはり不気味な、真っ白な左目と真っ黒な右目をしている。
「…………女」
 低い声だった。威圧感に竦み上がりそうになる。セリカはぐっと顎を引いて、視線を返した。

「何よ」
 この男には命を助けてもらった――更に言えば彼の連れにエランを助けてもらった――のだから、なるべく好意的に応じたい。そう思っていても、一体何を要求されるのか、恐ろしい想像をせずにはいられない。
「体力に自信は」
「体力? なくはないけど、何で」
 男は大きな布の袋を投げてきた。二本のストラップが付いていて、おそらくこれは背負って運べるデザインなのだろう。

「街道沿いは夜盗が出る。野宿できる場所を探す」
 そう言って彼はエランを左肩に担ぎ、少女を右脇に抱えた。ちなみに先ほど振り回していたあの大剣は、背中側の鞘に収まっている。
「えっと、あなたは手いっぱいだからあたしに荷物を運べってことね」
 男は答えずに走り出した。

(言葉が足りない奴……)
 呆れて、セリカはため息をついた。置いて行かれても困るから、急いで荷物を背負って走り出す。
 森の中を駆けるも早くもはぐれそうになり、男の背中に向けて叫ぶ。
「足の長さを考えて速度調整してよ!」
 そもそもあの男、人間を二人も抱えていながらどうやってこうも巧く森の中を走っていられるのか。狭いし、地面は石や枝ばかりで踏みづらいし――天性のセンスなのか、そうなのか。

「こっちは旅装じゃないし、サンダルなんですけど!」
 そこで、ちょっとだけ速度を落としてくれた気がした。
 なんだかんだ文句を垂らしながらも、セリカは必死に男の後ろについて行った。
 ――きっとそうした先に、安全な場所があると信じて。

_______

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七 - a.
2017 / 07 / 04 ( Tue )
 助けてくれ、と御者が叫んだ。悪いが前金だけでずらからせてもらうぜ、分が悪い戦いはしない主義だからな、と用心棒は叫び返した。宣言した通り、彼は魔物の一体を切り伏せてから即座に退散した。
 なんとかセリカは起き上がることができたが、足がその場に凍り付いてしまっていて動けない。

(分が悪いって……)
 或いはセリカが認識した二体以外にも魔物が居るのか。周囲を見渡そうにも、できない。御者の男が四本腕の魔物に喰われている、その惨劇から目が離せないのである。
(逃げなきゃ)
 魔物が弓なりに仰け反った。腕が多い点を除けば人に似ていなくもない形状だ。首の付け根辺りから垂れる大きな舌らしき器官が、気味悪く宙をうねった。

 異形のモノの次の獲物に選ばれるのも時間の問題だ。そう思うと手が勝手に動き出した。視線で敵影を捉えたまま、指だけで近くをまさぐってみる。
 そうしてセリカの指が枝と似た手触りのものを探り当てたのと、魔物が捕食行為を再開したのは、ほぼ同時だった。
 その隙に手の中の物を確認する。

(ああ、逃げるなんて選択肢は、取れないわよね)
 弓矢を構える。
(任されたんだから)
 小さく笑みを零した。初対面で「生き物を狙ったことがないだろう」とエランに言われたのを思い出す。
 実際のところ、生き物を狙ったことはある。ところが魔物を狙ったことは――。

(どこに狙いを付ければいいのよ。あんなのに弱点なんてある!?)
 視界の中心で、矢頭が激しく震えている。弦を緩めて一度深呼吸をしてから、再び引く。
 頭部らしき箇所に向けて矢を放った。一瞬後に矢は的中し、耳障りな絶叫が響いた。
 魔物はこちらに向かって四本の腕を伸ばした。そして、跳んだ。

「ひっ!?」
 恐怖に喉が引きつった。それでもかろうじて手は動く。
 ――次の矢を番えて放つ――!
 放った矢がアレの胴体らしき部分に当たったのは、奇跡としか思えない。魔物は身をよじり、セリカからは十歩離れた地点に落ちた。

 そこでほっと胸を撫で下ろしたのがいけなかった。
 生ゴミのような臭いが鼻を突いたため、反射的に、左に首を巡らせたら。新手の獣(けだもの)のかぎ爪がすぐそこにあった。
 骨の髄までしゃぶり尽くされるイメージに支配される――が、目を瞑った間に、甲高い衝撃音が弾けた。

(どうして? どこも痛くない……)
 疑問に思って目を開ける。
 目の前に人影があった。地べたに腰を抜かしたままのセリカを庇うようにして、魔物の前に立ちはだかっている。湾曲した長いナイフでかぎ爪を止めたのだ。

「え――エラン!?」
「おまえ、は……さ、がれ……!」
 途切れ途切れながら、返事があった。瞬間的に意識が浮上してきたのだろうか。
 いつかのように、腰が抜けて立てないですなんて返せる雰囲気ではない。セリカは這って後ずさり、脅威との間に距離を開けた。

 魔物と応戦するエランの援護をしてやりたいけれど、双方の立ち位置が目まぐるしく入れ替わっていて狙いを付けられない。
 やがて魔物は倒れ、肩で息をする青年だけが残った。その時点でセリカはもう、立てるまでに回復していた。

「エラン!」
 駆け寄り、顔を覗き込む。青ざめた唇から鮮血が溢れているのを見つけて、セリカは顔から血の気が引くのを感じる。
 続く言葉が見つからずにあたふたした。
 すると瞬く間に彼は倒れ込んできた。対するセリカは抱き抱えて尻もちをつくしかできない。
 濡れた感触が胸に伝わる。
 血の臭いに眩暈がした。動悸が速まり、頭が真っ白になる。

 そんなタイミングで、道の脇から物音がした。
 また魔物だろうか。嗚咽を堪えて、セリカは抱き締める腕に力を込めた。無駄なあがきだとわかっていても、守りたい、その想いだけは強固だった。

 ――がさり。
 草を踏みしめる音が軽い。虚を突かれ、つい顔を上げた。
(……女の子?)
 あどけなさの残る柔らかそうな頬っぺたと栗色の髪が特徴的な小柄な少女が、大きな茶色の双眸を限界までに見開いた。

「大変! その方、どうされたんですか!?」
 南の共通語だ。少女は脇目もふらずにこちらに駆け寄る。瞬間、彼女めがけて地面から歪な影が飛び上がった。
「だめ、逃げて!」
 セリカは必死に警告した。
 しかし少女は足を止めない。ふわりと長い髪を風になびかせ、微笑を浮かべて、「だいじょうぶですよ」と唇を動かす――

 また新たな物音がした。少女の通った後を追うように、長身の男が現れた。
 その男は成人男性の身長と同等の丈をした大剣を、信じられない速さで振るった。




ぃやっほう! この展開はミスリア本編44話を書いてた辺りかちょっと前に考えてました。

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03:50:44 | 小説 | コメント(0) | page top↑
六 あとがき
2017 / 07 / 02 ( Sun )
うん、うんw 

阿鼻叫喚が聴こえる気がするw

私だって本当はここで止めるつもりじゃなかったんだ、もっと手前で切るつもりだったんだ、でもなんかいざここまで書いてみるとしっくり来てしまったYO



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08:46:16 | 挨拶 | コメント(0) | page top↑
六 - g.
2017 / 07 / 02 ( Sun )
「ちょっと、このお金」
「見つかった場合は十枚も渡せば口封じにこと足りるでしょう。荷馬車に忍び込んで西門から脱出してください」
「くちふうじ……? え?」
 疑問符を飛ばしている間にタバンヌスがまた何かを渡してきた。硬貨の入ったポーチなどよりもずっと重くて冷たいものだ。見下ろせば、セリカの弓矢とエランがいつも持ち歩いていた剣が両手の中にあった。
 嫌でも察してしまう。

「あんたはどうするの。見つかったら始末されるんでしょ」
 声が震えていると自覚したのは、言い終わってからだった。戦士風の男は首を横に振った。
「お二人が逃げおおせるように時間を稼ぎます」
「そんなっ」
 抗議する間もなく、遠くから喚声が聴こえた。目を凝らすと――彼方の果樹園から、槍を持った兵士らしき人影がわらわらと出てきた。

「待ってよ! 首謀者は誰なの? 何でエランがこんな目に、っていうか様子が変なんだけどどうしちゃったのかわかる!?」
 焦り、矢継ぎ早に質問をぶつけてしまう。
「誰が何故企んだのかは公子が一番よく知っています。後でご本人にお聞きください。それからこの状態……ヌンディークで手に入る薬物の中で、人を放心させられるものがあります。命に別状はありませんが毒が完全に抜けるまで数日かかるかと。態勢を立て直す時間が必要です」
 疑問のことごとくをタバンヌスは丁寧にさばいてくれた。

「後で意識が元に戻ったら、エランはあんたの自己犠牲を怒るんじゃないの」
「ご心配なく。そういう契約です」
「そういうってどういう……」
 しかしタバンヌスはその質問にだけは答えず、ふいにエランの両肩をガシッと掴んで何かを言った。それまでぼうっとどこを見ていたのかもわからなかった青灰色の目が、視線を定めるように何度か瞬いた。そして青年もまた、ヤシュレの言葉で何かしら応じた。

「――エラン。どうか達者で」主の肩をまたトンと叩いてから、タバンヌスはこちらを一瞥した。「頼みましたよ、公女殿下」
「まかせて、って豪語できるほどの力も人生経験もあたしには無いけど。できる限りのことはすると、約束するわ」
「はい。お気を付けて」
 彼は自らの外套を脱いでセリカに差し出した。目立たないように、特徴を隠せと言っているのだろう。

 ありがたく借りることにする。有り余る布の面積で派手なドレスを隠し、フードを被って赤い髪も隠した。
 振り返ると、いつの間にか大男は両手にそれぞれ抜き身の曲剣を握って、喧噪のする方へと颯爽と走り去っていた。
 死闘が始まるのを見届けずに、背を向ける。  

(尊き聖獣と天上におわす神々よ、どうかあの者にご加護を)
 大いなる存在に向けて短い祈りを捧げる。今日の内に別れを告げた二人に、バルバティアにもタバンヌスにも生きてまた会えればいいと、切に願った。
「ほら、行くわよ」
 セリカは随分と増えてしまった荷物を抱え直した。それから、依然として地面に座り込んでいる青年の手首を引っ掴む。

_______

 居眠りをしていたらしい。唐突に揺り起こされて、セリカは身震いした。
 道がでこぼこしているのか――車輪の立てる騒音が荒々しく、数秒ごとにお尻を打ち付ける衝撃は強まる一方だ。

(公都を出たのかしら)
 この荷馬車に忍び込んでからというもの、道がこんなにも険しかったのは初めてだ。道路が整備されていない、つまり都市部を離れているのだ。わかるのはそれだけで、荷馬車が何処へ向かっているのかなんて、皆目見当もつかない。
(むしろ何処で降りればいいのよ)
 まさに未知の世界に旅立っている。孤独感に潰れそうで、何度も拳を握りしめては開いた。

 セリカラーサ・エイラクスはゼテミアン公国の公女だ。外出時には常に数人の供が、護衛が付いて回った。自分の命を背負って立つ重圧をほとんど知らずに生きて来たのである。他の誰かの命をまるごと預かったことなんて、あるわけがなかった。
 肩が小刻みに震えている。心労からだ。寒さは、別に感じていない。

「ねえエラン……自由って、怖いね」
 膝の上で頭を休める人間に向かってぼんやりと呟く。何を口走っているかなんて意識していない。どうせ聞こえていない、返事が無いのだから。
「寝すぎて脳がとけるんじゃない? 人がせっかく、こんなガッタガタの道でも安眠を守ってやってるってのに、ありがとうの一言もないの」
 ここ数時間、独り言ばかりで心細かった。けれどもこうして温もりを近くに感じられると安心できた。その点に関しては、感謝の気持ちを抱いている。

(何時だろう。お腹空いた……)
 荷馬車には布を張った屋根がかかっているため、外の景色が遮断されていて見えない。多少の明暗は伝わるが、夕方かもしれない、と感じ取れる程度だ。
 突然、膝が妙にくすぐったくなった。エランが寝返りを打って咳をし出したのである。焦燥した。

(やばっ、御者にばれる!)
 これまで静かにしていたのに急にどうしたというのか。咳と言っても、彼が無意識に取った行動は、口元ではなく腹を押さえることだった。
 その理由が気になって、セリカはエランの帯に手を伸ばす。他人の召し物を、ましてや異性のそれを強引に脱がせるなど言語道断だが、恥じらいならどこかに置き忘れていた。

(え、痣……?)
 めくれた衣服の下から、数えきれないほどの黒い痕が現れた。この暗がりでも確かに痣と見受けられる。色濃い暴力の痕跡に、ぞっとした。
「なんだ!? 誰かいるのか!」
 前方から響く怒号でセリカは我に返った。口封じ、お金、と囁きながら懐に仕舞ったポーチを探る。

「聞き間違いだろ。大した荷でもねえのに神経質になりすぎだ」
 用心棒の声に続いて、馬の嘶きが聞こえた。停める気なのだ――
 ――しかし想像していたよりもずっと乱暴に、停車する。
 轟音が耳朶を殴りつける。尻が浮き上がった。

(浮き上がって、え? 何で!?)
 思考する間にも身体は何かに叩きつけられ。
 衝撃、激痛、そして眩暈がした。急に寒くなった気もする。
 上体を起こせるようになって、知る。もはや天井がなくなり、頭上に広がるのは透き通った夜空のみであるということ――馬車が破壊されたのだ。

 その夜空に、誰かの悲鳴が響き渡った。
 続いた咀嚼音と異臭が全てを物語っていた。泣き喚く御者に覆い被さるナニカ、少し離れた場所で別のナニカに斬りかかる用心棒。

(魔物…………!)
 緊張に、セリカはガッチリと歯を噛み合わせた。

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08:29:26 | 小説 | コメント(0) | page top↑
六 - f.
2017 / 06 / 28 ( Wed )
「立って! お願い」
 懇願しながらエランの腕を引っ張ってみた。抵抗しているのかと疑うほどにその腕は重かった。しかも袖が汗で湿っているらしく、もっと力を入れて引っ張ろうとしても、手の中から滑り抜けそうになる。
「生きたいでしょ、あんたも!? 立ってよ!」
 セリカは荒く囁いた。返ったのは咳だった。

「こんなところで朽ちていいの!? 立ちなさい! 生きがいとか心残りのひとつやふたつ、あんたにもあるわよね」
「……か」
 やっと彼はこちらを見上げた。名を呼んでくれたのかもしれないし、「わかっている」と言おうとしたのかもしれないが、重要なのは内容よりも反応があったという事実だ。

「そうそう、その調子。頑張って」
 まずは起き上がるのを手伝って、それから肩を貸してやる。夢中で励ました甲斐あってか、数分後には独房の外に一歩踏み出すことができた。
(けどやっぱり重い)
 踏ん張っているからか額に大粒の汗が噴き出て気持ち悪いが、致し方ない。身長は同じくらいなのに、これが男と女の差か――気を抜けば一緒に地面に引きずりおろされる。
 出口がとてつもなく遠く感じられた。本当にセリカの思う方向に出口があるのかどうかすら、定かではないのに。

(やってやるわ。素顔を見せてもらうまでは死なせたりしないんだから)
 この緊迫した場面において、それは雑念の類に入るだろう――今なら、ターバンから流れるこの布をめくってしまえないか、なんて。
 気になってしまったものは仕方がない。けれどもそれをやるのは、人の寝室に土足で駆け上がるのと同じことだ。緊張に紛れて、とんだ好奇心が鎌首をもたげてしまったものだ。

 ズルや近道を選んではいけない。
 これまでに受け取ったのと同等の誠意で応え、真心を伝えたいのだ。

「ま、ごっこっろー、まーごこーろー、つーたわれー」
 即席でつくった鼻歌を歌い、気を紛らわせてみる。案外それで歩が軽くなった気がした。
「おひさまのーしたにでられたらー、まずは、なにがしたいですかー? たべたいものーはありますかー」
「…………サンボサ」
 適当に歌っていただけだったのに。耳元で答える声があって、セリカはぎょっとした。何か言ったのかと訊き返しても、青年は沈黙したまま浅い息だけを繰り返す。

(どの問いに対してだったのかしら。さむぼさ、って食べ物?)
 これもまた気を紛らわせるいいきっかけとなった。「さむぼさ」の正体に想いを馳せている内に、手探りで地上への階段と出口を探り当てられたのである。
 セリカは空いた手の指先だけでかんぬきを外した。手先が器用な人間でよかった、ありがとう神々――と変な方向性の感謝をしながら。

 ガコッ、と古びた戸を外向けに開く。地上から漏れ込む光の刺激が強すぎて、思わず顔を逸らした。
 けれどすぐに再び上を見据える。
 澄んだ空気をもっと吸いたい、心休まる場所に行きたい。転がり出るようにして戸をくぐった。さすがに二人同時に通れるほどの広さは無かったので、まずはセリカが出た。
 それから振り返って、エランに手を伸ばす――

「ン!?」
 急に呼吸ができなくなった。無骨な大きな手によって、鼻や口を封じられたのである。
 瞬間、謎の人物の手に噛みつこうと口を開ける。
「お静かに」
 北の共通語だ。セリカはピンと来るものを感じた。この場合「暴れるな」ではなく「静かにしろ」と注意するのは、まるでこちらの身を案じているようにも解釈できる。

 口を覆っていた手が離れた。
 恐々と振り返ると、歳は二十代前半くらいの、逞しい骨格の男と目が合った。その顔付きは強面と精悍の間くらいに属している。途端に、強張っていたセリカの身体から力が抜けた。

「……タバンヌス。あんた今までどこに? ううん、それより、いいところに来てくれたわね」
 寡黙な戦士は頷いて、地下に残っていた青年を楽々と引きずり出して片腕で支えた。
「昨夜、よからぬ企みに走った者が居たことに気付いてから、身を隠して機を窺っていました」
「機を窺ってたって……何それ。あたしが動くのを待ってたって意味じゃないでしょうね」
 つい語調が厳しくなる。

「己はエラン公子との関係性ゆえ、一度でも姿を現せばその場で始末されます。この身だけで救い出すことは不可能でした」
 ご容赦ください、と大男は頭を下げた。
「貴女の行動力を測りかねていましたし、ここまでするお方だとわかっていれば、もっと早くに協力を仰いでいました。敵も、他国の公女を下手に扱えません」

「へえ。あんたには嫌われていると思ってたわ」
「主に害を成す者ではないかと危惧しただけです。今は考えを改めています」
 全くの無表情でタバンヌスは懐から紐のついたポーチを取り出し、それをセリカの右手に握らせた。ずしりと重い。感触や音からして、硬貨が入っているのだと直感した。

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11:40:36 | 小説 | コメント(0) | page top↑
六 - e.
2017 / 06 / 24 ( Sat )
「なんだ!」
 怒鳴り声が闇の中で反響する。床に落ちている装飾品を目にすると、看守は愕然となって呟いた。「何でこんなところに宝石が……」
 男の両目は最初に疑惑に見開かれ、瞬く間にそれは醜い欲望の色に取って代わられた。男は視線を首飾りに集中させたまましゃがんだ。

 ここだ、と決めてセリカは飛び出した。
 ――狙うは腰の鍵束!
 右手を伸ばす。冷たい鉄の輪を掴み、思い切り引っ張る。

(抜けない!?)
 落ち着いて考えれば予想できたことだが、革のベルトに繋がれた輪が引いただけで外れるわけがなかった。それに気付かなかったのは焦りゆえだろう。金具を外すまでに数秒は必要だ。
 看守が振り返りかける――
 セリカは頭の被り物を脱いで、男の顔に被せた。

「ふぐっ! 何奴!?」
 くぐもった怒声が浴びせられる。
 誰何に答えてはいけない。顔を見られてもいけない。ならばどうすればいいのか?
 肘から先が、激しく震えていた。そうだ、もっと力を込めよう――刹那の衝動に従った。
 男が暴れて掴みかかろうとしているが、しゃがんでいる態勢の彼と背後に立っているセリカとでは、アドバンテージはこちらに傾いている。

(気絶するまで、窒息、させる)
 狂気じみた決意。存外それは早くに実りを得た。
 看守の手足から力が抜けていった。ぐったりと、その場に崩れる。

 ――怖気がした。試合や喧嘩のような項目とは比べるべくもない。
 暴力。己の意思で人を害したのだ。男の首を絞めた感触が掌に残っていた。
 人を蹴ったり殴ったりするのとは違う、もっと生々しい悪意――その悪意を放ったのが自分だという事実に、慄くしかない。

 セリカは涙していた。罪を省みる時間すら惜しくて、震える指で何とか鍵を物色する。目的の独房まで這い寄り、鍵穴を手探りで見つけ出した。
 ひとつずつ鍵を差し込んで試していく。
 その間も絶えずに咳が聴こえた。何やら頻度と激しさが増している上、音が次第に濡れたものが絡んでいるようにも聴こえて、セリカの中の危機感が強まっていった。
 鍵との試行錯誤に焦れる。

(あと三本しか残ってないわよ……今度こそ、当たれ!)
 願いが通じたのか、ついに「がちゃん」と爽快な開放音が耳に響いた。
(やった!)
 重い扉を押し開け、狭い独房の中に転がり込んだ。
 奥の方に人影が見える。地面に蹲っている人物は、背格好や服装から見るに、まさしくエランディーク公子その人だ。

「エラン! 大丈夫!?」
 駆け寄り、すぐ傍で膝をついた。顔を覗き込んでみたり、肩を軽く揺すったりする。
「ねえ、聴こえる? あたしがわかる? えーと、あなたと結婚する予定の、セリカです。とにかくこっち見てください」
 ゆっくりはっきりと呼びかけてみた。

「え、何?」
 咳の合間に青年は何かを言おうとしてるらしかった。まずは意識があるようで、安心した。
 耳を近付けた。吐息がくすぐったいほどの距離だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。懸命に言葉を拾おうとするも失敗に終わった。掠れた声が囁く音の羅列が、セリカの中でうまく意味を成さないのである。

(もしかして……ヤシュレ公国の言葉かしら)
 寝ぼけた人間などは自分が普段から思考に使っている言語を口走りやすい。ヤシュレの言葉がエランの母語であるのだろうが、残念ながらセリカにとってはいくら勉強しても身に付かなかった言語だ。

(つまり、意識が朦朧としてるってことね。どうしようか)
 もう一度エランの苦しげな横顔を見下ろすと、その仮定を裏付ける点を更に見つけた。
 青灰色の瞳は潤んでいて焦点が合わない。こちらを全く見ていないのは明らかだった。怪我をしているのか、熱を出しているのか、おそらくその両方か。
「だからってあたしじゃあんたを運べないのよ。肩を貸すのが精一杯よ。自分の足で歩いてくれなきゃ困るわ!」
 八つ当たり気味に吐き捨てたのは、絶望に打ちひしがれたくないが故の鼓舞である。

 こんなにも具合が悪そうなのに。どうしてやるのが最善なのか、セリカには判断がつかない。動かさない方が良い気がするけれど、ここに放置していても誰も治療してくれなそうだ。
 そして何より――ここにいては、もっと凄まじい危機が迫ってくるのではないだろうか。
 とにかく逃げなければならない。どこへ、どうやって逃げ延びればいいか、は後で考えることにする。



私も昔は寝ぼけてよくルームメイトに日本語で話しかけて「あれ、何故彼女は私の質問に答えてくれないのだ?」と疑問に思ったりしましたw 通じてなかったという。

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12:58:29 | 小説 | コメント(0) | page top↑
六 - d.
2017 / 06 / 21 ( Wed )
「じゃあその地下への入口はどこにあるの?」
「存じません。頑張ってお探しくださいませ」
 突き放すように言ってリューキネは茶菓子に夢中になった。これ以上聞き出せることは無いのだと察し、セリカは感謝の意を述べてその場を後にする。

 周りに人の気配がなくなった途端にセリカはよろめいた。
 近くの柱に片手を付き、我が身を支える。ふと視線が地面に落ちた。石造りの道が視界の中で変に揺れていて、何故だか恐ろしいもののように思える。

 ――地の下に、何がある――?

 リューキネを疑うわけではないが、どうしても理解が追い付かない。追い付きたくないのかも、しれない。
(危険は承知の上だとか、さっきはあんなこと言ったけど)
 自分の力量で何ができるのか改めて考えてみた。しかし先ほどバルバの前では毅然と冷静さを保っていた頭も、今やプディング並に柔らかく形を失っているように感じられる。

(ええい、もういいわ。まずは見つけ出してからよ!)
 いよいよ考えるのが面倒になり、セリカは走り出した。行き詰まればとりあえず突っ走る、こういうところは兄と似ているな――と苦い笑いを漏らしながら。

_______

「聞こえてるなら返事しなさいっ! エランディーク・ユオン!」
 気が付けば、地下牢を駆け抜けていた。
 けれどもどれほど呼ばわっても探し人からの応答がない。次第に、不安という名の刃が数本、胸を突き刺した。
(そうよ。あいつがまだ生きてるなんて誰が言ったの)
 彼の妹姫が「隠す」という表現を用いたから思い込みをしてしまったのであって。エランが殺されていないという確証は、どこにも無いのである。

 死人は返事ができない。かと言って、牢を細かく確認するには、さすがにセリカは気力が足りなかった。
 迷いは見えない足枷となって足をもつれさせる。次いで転倒したが、かろうじて腕と膝をついて着地できた。

 ゆっくりと顔を上げて、闇に浮かぶ鉄格子の鈍い輝きを見つめる。恐怖で声が出ない。
 こんな恐ろしい場所で――生きているかどうかもわからない人を捜している。一国の公女が、なんて滑稽な姿だろう。

「んっ」
 滲み出る涙を、セリカは袖で擦った。膝立ちになり、意気消沈しかけている自分を奮い立てる。
 ――そんなことより、悲しい。
「ね、エラン。死んじゃったの……?」
 もう一度あの笛を聴きたいし、くだらない話もしたいし、約束を果たしたい。ただそれだけだ。それだけを願って、手足を動かす――

 瞬間、微かな咳が聴こえた。
 驚いて思わず静止した。そういえばこの辺りは大分静かである。空いた独房ばかりで、周りから囚人の気配がしないことに、今更ながらセリカは気付いた。
 ではこの先はどうか。恐る恐る足を踏み出してみたら、また咳が聴こえてきた。

(ちょっと、ねえ)
 確信交じりの興奮が沸き上がる。通常、咳で人を識別できるものではないし、希望的観測かもしれない。たったこれだけの音を、昨夜喫煙具に噎せたエランに重ねるのもおかしいかもしれない。
 だが再び走り出す力を振り絞るには十分だった。
 間もなく行き止まりに当たりそうになり、そこで人影を見た。今度は一人だけである。

(わざわざ守ってるってことは別の出入り口があったりして)
 来た道を戻らずに地上へ逃げられるという可能性に、一気にやる気が跳ね上がる。
 幸いと看守らしき男は眠そうに天井を見上げていてこちらの足音に気付く様子もない。隙をついて鍵を盗むくらいは、セリカにもできそうだ。
 咄嗟に身を潜めた。もはや、咳の音源がかなり近い。

(隙を作らなきゃ……)
 胸中で逸る気持ちをなんとか宥めすかし、打開策を考える。思い付いたキーワードといえば、光るもの、金目のあるもの――
 首の後ろに手を回した。豪奢な首飾りを外して、看守の目に入りそうな位置まで投げ捨てる。
 落下の際に、じゃらんと派手に音がした。

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10:25:39 | 小説 | コメント(0) | page top↑
六 - c.
2017 / 06 / 18 ( Sun )
 ――誰がエランの本当の居場所を知っている? 真実は、誰なら教えてくれる? 今すべきことは何だ――

「バルバ。早急にゼテミアンに戻りなさい」
「ひ、姫さま!? 何を!」
「来た時の旅費、まだ余りがあったわよね。全部持っていいわ。なるべく人に見つからずに出て行って……地図も、来た時に使ったものがあるわね」
 狼狽する侍女に次々と指示を出す。自分でもぞっとするほどに頭は冷静だった。

「姫様、まさかわたしから大公陛下にお伝えせよとお考えで」
「いいえ。お父さんとお母さんには黙っていて欲しいの。何食わぬ顔であなたはあなたの人生に戻るのよ。この国で何が起きているかはわからないけど、まだ国家間の問題にしちゃいけない気がする。そうなったら、絶対に後戻りできないわ」
「後戻りって何ですか! 仰る意味がわかりません!」

「ごめん、あたしもよくわかんない。でもこの縁談は国の発展の為に必要なことだから、簡単に反故にしちゃいけないと思う。たとえ別の誰かの思惑が妨害しているとしても」
「だからってわたしだけ帰るなんてできません! 姫さまの御身はどうなるんですか!」
 なかなかバルバは引き下がらなかった。セリカは深く息を吸って語気を強める。

「バルバティア・デミルス、これは命令です。主を捨てて祖国へ帰りなさい」
「嫌です! 嫌です、姫さま……」
「駄々をこねないで。元々、帰す約束だったじゃない」
 困った顔で笑って見せると、ついにバルバは項垂れた。幼馴染との将来を想ったのだろう。

「では太子殿下にだけ相談をしますこと、お許しください」
「お兄さんに? ……いいわ」
 それくらいの譲歩はしてやってもいい。そう思って承諾したのだが、一瞬、不穏なイメージが脳裏を過ぎる。セリカの兄は、行き詰まった時は、剣でものを言わせる人だ。妹の危機と知れば軍を動かさずとも一人で乗り込んで来るやも――いや、さすがにそこまではしないだろう。

「姫さまはこれからどうなさるおつもりで?」
「探るわ」
 それだけ答えて口をきつく引き結んだ。探すべき対象は人物であったり、「事件の実態」でもある。
 もはや一秒たりとも無駄にできない。
 共に国境を超えてくれた友人の肩を抱き寄せ、今まで尽くしてくれた礼と別れの挨拶をする。彼女は終始、目を潤ませていた。最後にセリカは強引にバルバの身体の向きを変えた。やや乱暴に背中を押す。

「……幸せになってね」
「姫さまもどうかお気を付けて」
「わかってるわ」
 返事をするや否や、セリカも踵を返して歩き出した。心の中に押し寄せる寂しさと不安の波を、短い祈りの言葉を綴ることで紛らわす。

 きっとバルバはこちらの急な思考展開についていけなくて、ひどく戸惑っているのだろう。セリカ自身、己の気持ちを整理しきれていない。そんな猶予も、無い。
 あの男に情が移ったとも考えられるし、見捨てるのが不義理だとも思っているし――それでいながら、セリカは自分が土壇場でやはり保身に走ってしまう可能性をも否定できずにいる。確信を持てる一点といえば、急がねばならないこと、それだけだ。

 怪しまれない程度に小走りになって、宮殿の中を移動した。思い付きのままに足を運ぶ。そして目的地に着くなり警備兵に声をかけた。
「リューキネ公女に取り次いでいただけませんか」
 彼らはこちらのただならない様子に驚いたようだったが、それでも申し出を受けてくれた。しばらくして兵士が戻ってきた。

「公女さまがお会いになるそうです。どうぞ」
 促されて、セリカは歩を進めた。ここはちょうど昨日の朝にエランとリューキネ公女が談笑していたバルコニーだ。
 絨毯に腰を掛けて、優雅な仕草で茶を飲んでいる少女がひとり。

「まあセリカ姉さま、ようこそいらっしゃいました。ご一緒に、一杯いかがかしら」
「いえ、あの」
 お茶の誘いを断ろうとして、途中で思い直した。濃い緑色の双眸が威圧的な視線を注いできたからだ。
 数秒遅れてその意図を理解した。周りの侍女や警備兵たちに不審がられない為の、公女からの配慮である。
「いただきます。ありがとうございます」

 セリカはリューキネと向き合うように、卓の前に腰を下ろした。それから果実の香りが濃厚なお茶を二杯ほどいただき、他愛もない話をした。このような何気ないいつものやり取りが、今日ばかりはもどかしく感じられる。
 ようやく公女が人払いをしてくれたところで、間髪入れずにセリカはエランの居場所を訊き出そうとした。

「姉さま……忠告いたしましたわよね。殿方の事情に、姫君が踏み込むべきではないと」
「憶えてるわ。危険は承知の上で、訊いてるの」
 向かいの席の美少女は憂いを帯びた表情で遠くを見つめ、そっと息を吐いた。
「わたくし、兄さまたちが本格的に争い合う日が来れば、アスト兄さまの側に立つと前々から決めていましたの」
「…………顔の崇拝者だから?」
 敵対宣言をされていると解釈すべきか。セリカは目を細める。
 ――これは仮定の話だろうか。それとも公女は既に宮殿内の異変を、兄弟同士の諍いが原因だと、そう突き止めたのだろうか。

「ご恩があるからです。わたくしが自暴自棄になっていた頃に、救ってくださいましたの」リューキネ公女はキッとこちらを睨みつけたが、すぐにまた表情を緩めて嘆息した。「けれど、エラン兄さまにも恩があります」
「じゃあ……あなたの知っていることを話してくれるわね」
「ええ、知っていることであれば。誰がエラン兄さまを隠したのかは存じませんわ。知りたくもありません、巻き込まれたくありませんもの。そうですわね――エラン兄さまでしたらきっと、地下にいらっしゃいますわ」
 地下、とセリカは思わず呆然となってオウム返しにした。

「普通は誰も近付かない場所に『それ』を建てるでしょう。実際に都のすぐ外にあります。でもこの宮殿の敷地内にも、ありますのよ。特殊な理由で公にできなかったりしますから」
 リューキネは、主語を省いた意味深な言を並べ立てる。
「すぐに兄さまをどうこうするには、時間が足りなかったのでしょう。思い立ってから行動に出てまだ一日と経っていないはずです。地下で間違いありませんわ」




返信@ナルハシさん

スマホでしたか! 当初ミスリアをガラケーで読まれていませんでしたっけ? 懐かしい…w

私もたまにスマホからブログの表示を確認したりするんですが(そしてやはり呪われる)、基本的にブログのレイアウトはデフォルトなのですよね。いえまあ、レイアウトで広告が消えるのかは謎ですが… 2011年頃はPCテンプレしかいじれなかったんで、数年後にスマホテンプレができてからも放置状態…一度くらいはいじってみた方がいいですよねw

呪いよ、なくなーれー!

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07:52:12 | 小説 | コメント(0) | page top↑
えいやーさっさ
2017 / 06 / 16 ( Fri )
(記事タイトルに意味はない)

どうもー
明日ようやっと自分の家に帰って、日常に戻ると思われる甲です。

え、今日は何をしたのかって? サンキューカードを80枚ほど手書きでしたためたんですよw しかも住所はラベルにプリントアウトして貼り付けられるように、エクセルに名前・住所・備考ETCを事細かに入力したりして、フォーミュラでぴしっと出力。いやはや、我ながら、まるで本職がデータ管理の人であるかのようだ(⌒∇⌒)ノ(そうだよ)

昨日で一週間経ちました。たかが一週間、されど一週間。そのうちつらい思い出が褪せて幸せな思い出だけが残るのかなと思ったり、それはそれでもったいないなと思ったり。色々がイロイロです。

さて。更新再開は今週末って感じです。ふと思い返してみると、やっべえ黒赤いまめっちゃいいところじゃねーか! 書かないと! ぎゃー! って気持ちになりますw



拍手返信@ナルハシさん

おお、ありがとうございます。
その呪い、もしや…携帯から読まれているのですかw?

そうなんですよー、恋愛カテとさんざん豪語しておきながらなんちゃって戦闘もまじってます。私はどうもお子たちにストレートに恋愛をさせられないようです。しかし必ず爆発させますので(笑)、ごゆるりとお楽しみくださいまし( ^^) _旦~~

読了報告ありがとうございましたー!!!!

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