七 - c.
2017 / 07 / 09 ( Sun ) しゃーり、しゃーり、と硬いものが鉄に擦れる音にいちいち鳥肌が立った。いつになったら終わるんだ――焚き火の傍で腰を丸めていたセリカは、チラリと黒髪の男を盗み見た。 森の中のいい感じの広場で野営地を組んでしばらく経った頃、あの長身の男が刃物を研ぎ出したのである。あれだけ大きな剣だ、表面の汚れを落とすだけでも手間なのに、男はなんともなさそうに手順を次々と踏んでいった。やっと音が止んだかと思えば、今度は男はエランの所持する武器を手に取った。剣とも呼べそうな、長いナイフとも呼べそうな刃物を鞘から抜いた途端、男は不服そうに眉を吊り上げる。 (そういえばエランって武器の取り扱いが雑だったような) もしかしたら手入れも怠っていたのかもしれない。現に男は、錆を落としたり石で研いだりして、自分の剣にかけた以上の時間を費やしてそれを整備した。 ありがたい気遣いである。しかし頭ではわかっていても、セリカがその音にぞわりとするのは不可抗力だった。 「あの。先に横になってもいいかしら」 静かに問いかけた。男は振り返らずに頷く。 セリカはたまらずに安堵した。正直、二人きりでいるのが気まずかったのである。 他の二人は今夜はもう起きそうにないから、この変な空気から逃れるためには自分が寝るしかない。水筒の水を一口飲み込んでからタバンヌスに借りた外套を敷き、荷物入れの袋を枕代わりにして、寝転がった。 「隣、失礼しますよー」 不慣れな環境でせめて少しでも慣れ親しんだものの傍に居たいと思うのは自然だろう。枕元に愛用の弓、腕の長さほど離れた距離にはエランディーク公子。 (顔色良くなってる……安らかそうな寝顔……) 視界が点滅する。瞼がひとりでに下りて来たらしい。 色々と気を揉んで眠れないのではないかと心配していたのだが、肉体の疲労の方が勝ったようだ。泥沼に沈むような深くてねっとりとした眠りに落ちるまでに、大した時間はかからなかった。 話し声によって、実のない夢から覚めた。 始めはただ身じろぎした。尾を引く倦怠感と陽の光の暖かさが相まって、セリカは起き上がるどころか目を開けることすらしたくない。 「――――お礼は要りませんよ。その時その場に居合わせて、できることがあったから、したまでです。私は本心から、貴方の元気な姿が見れただけで満足です」 うら若い女子の可愛らしい声が聞こえる。誰の声だろうか、聞き覚えがある気がする。 「そう思っていただけるのは幸いですが……」 「あっ! でも、お顔の傷痕は古いのでしょうか、聖気では治せませんでしたね」 「ああ、はい。幼少の頃の古傷です。お気に病まないでください」 気になる単語に、セリカの重い瞼が持ち上がる。 ――顔のきずあと? 幼少の頃の古傷―― 今度こそ目が開いた。地に横たわっているため視線の位置は低い。ぐるりと目を動かして、少女の立ち姿を見つけた。栗色の髪を首元で一束に括りつけ、いかにも動きやすそうな麻ズボンを履いている。 少女と向かい合って立つ青年を認め、セリカは胸が狭まるのを感じた。 たったの一日だったはずなのに。その間ずっと話ができなかったのを思い返すと、何故だか目頭が熱くなる。 「聖女さまに助けていただき、私は死の淵から戻って来れました。感謝してもしきれません。口頭でいくら伝えても足りません。私にできることがあれば、どうぞなんなりと」 「うーん、そうですね」小さな聖女が考え込んだ。「私は貴方がたがどんな身の上なのか知りませんし、他人様の人生に願いを押し付けるのは違う気がするんです……だからこれは私のわがままだと思って聞き流してくださっても構いません」 「はい」 「……せっかく助かった命です。いつか貴方にも人を助けられる機会が訪れた際は、活かして――やっぱり、こんなお願いは尊大すぎますよね、すみません」 慌てて聖女は頭を下げる。エランはしばらく無言だったが、やがて地に片膝をついて彼女を見上げた。 「いいえ。この身に生ある限り、世のため人のために尽くすことを誓います。それが聖女さまへの恩返しとなるならば」 彼は彼女の小さな手を取って、指の関節に唇を寄せた。 「ありがとうございます。十分すぎる恩返しですよ」 ――彼らのあずかり知らぬところで、セリカは目を見開く。 「ふふ、エランさんってなんだか騎士さまみたいですね。もしくは王子さまでしょうか?」 「そう感じていただけて光栄です」 と、生まれついての公子は優しい笑顔で答えた。 |
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