八 - d.
2017 / 08 / 06 ( Sun )
 川での行水。寒いだろうけれどもプライバシーは守られる。セリカも納得したようで、頷いている。
「町の結界がありますから魔物の心配はないでしょうけど……治安は気がかりですね。夜にお一人で行かせられません」
「ヤチマさん疲れてるでしょ、休んでていいのよ。防犯にはエランを連れて行くから大丈夫」
「お前、それは、何を」
 ――血縁関係の無い男女が連れ立って水浴びへ向かう?

 なんて非常識な提案をするのかと唖然とした。ゼテミアンではそういうものなのだろうか。否、かの国にそんな風習は無いはずだ。
 ――我が領の部族民並の奔放さじゃないか。

「ちょっと離れたところで見張ってくれればいいんだけど」
 こちらの狼狽をよそに、彼女はのんきそうだ。
 離れた位置からの見張り――文面だけなら当初に連想したほどの破廉恥さは無い。部屋の隅で「エランさまを番犬代わりに!?」とヤチマが顔面を蒼白にしているが、それはともかくして。
 他に良案が浮かばないのも確かだ。
「わかった。行こう」
 前髪をかき上げて投げやりに承諾した。


 目的地に至るまでに徒歩二十分、三歩の距離を保ったまま共に一言も発さなかった。
 夜の川辺には野良犬と浮浪児の気配が疎らにあった。それらは、ヤチマに教えられた穴場に着いた頃にはすっかりいなくなっていた。
 先日よりも満ちた月の涼しげな光が、川面に映って揺れる。

「じゃあ入るけど。ちゃんと見張っててよ。……覗いたりしないわよね」
 暗がりでヘーゼル色が濃くなっている双眸が、不審げにこちらを見る。目線の高さが近いからか、こうして見つめ合うと心の奥まで覗き合えるような気分になった。
 あくまでそれは錯覚に過ぎない。婚約者であるはずの女の心中は、依然としてまるで見えないのだった。

「信用が無いな。良識や自制心くらい、ある」
「せ、制しなきゃならないようなナニカがあるんですか」
 今度は不安げに瞳孔が伸縮した。
「いいから早く行け」
 セリカが抱えている手巾と着替えの束をひったくって、背を向けた。ここに来て無防備な面を見せられたら、要らぬ感情が巻き起こるだけだ。

 数秒後、微かな足音がした。それは遠ざかり、止まって、果てには衣擦れの音に入れ替わる。
 それなりに離れているというのに耳は正直だ。どんな小さな音も漏らさずに拾おうとしている。
 とりあえず座った。
 他者の気配に用心しているつもりで、感覚を研ぎ澄ます。

 濡れた土と草の匂い、冷えた風。蛙と虫の鳴き声。月明りに薄っすら浮かぶ草花の輪郭。周りに注意しようと頑張れば頑張るほど、頭の中は別のイメージに蝕まれた。
 ぴちゃり、と控えめな水音が耳朶に届く――
 ――払えない。

 あの柔らかい足が冷たい水の下に潜ったのか。旅をしていた間ずっと編んで結い上げられていた長い髪は、解かれたのだろうか。
 髪と言えば、滑らかな項(うなじ)や肩を思い浮かべた。女性らしく華奢だが頼りないほどでもない、名状しがたい曲線美を。触れてみたいと思ったのは一度や二度ではない。

 なんと言っても、普段は隠れている肌部分を想像してしまうのである。
 水音は未だに不定期に聴こえてきた。日常的な音なはずが、これほどに劣情を煽るものだったとは――
 さすがに息が詰まり、眩暈がする。
 懐から鉄笛を取り出しかけて、考え直した。雑念だらけで奏でてみても気が紛れるどころかひどい騒音を作ってしまう。

 時間が過ぎるのが異常に遅い。
 早く戻ってきてくれと願うも、戻って来られたらそれはそれで厄介だ。何せ手巾はこちらの手にある。つまり彼女は、一糸纏わぬ姿で歩み寄ってくるのである。
(こんな精神状態で、曲者が現れたとしても果たしてまともに対応できるのか)
 ――落ち着かねば。
 愛用のペシュカブズをおもむろに鞘から抜いて、掌でも切ろうかと真面目に検討した。

 検討している間に大きな水音がした。思わず息を潜める。
 足音が徐々に近付いた。そしてすぐ後ろで止まった。肩越しに白い腕が伸びて、手巾と衣服の束をさらっていく。

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