五 - b.
2017 / 05 / 03 ( Wed )
「食後酒、飲むか」
 いつしかエランはゴブレット二個と酒瓶らしきものを手にしていた。そういえば自分のことに気を取られて相手の様子を確かめていなかったが、同時に食べ終わったのだろうか。それとも向こうが調整して合わせてくれたのだろうか。
 どのような気遣いがあったのかはわからない。ただ、この場から逃げるべきではないとセリカは判断した。

「いただくわ」
 答えるやいなや、彼は食卓を引き寄せて時計回り九十度に回す。そして手際よく酒瓶とゴブレットを卓に並べた。
「自分で何でもするのって新鮮な感じがする」
 ふとセリカはそんなことを思い、口に出した。
 この場からは決定的な何かが不足している。そう、食器まで自分で片付けねばならなかったのは、使用人の影が全く無いからである。

 二人で食事をすると言っても、こうまで徹底して人払いをするものとは思わなかった。セリカまで、倣ってバルバを階下に待機させたほどだ。
 それに対するエランの答えは、どこか翳っていた。

「人の気配に囲まれるのは好きじゃない」
 しばし、酒がゴブレットに流れる音だけが響いた。
 セリカは躊躇いがちに訊ねる。
「あんたの側に仕えてるのって、あの強そうな人だけなの」
「タバンヌスのことか?」
 訊き返され、頷いた。

「あれは私の乳母の長男、つまり乳兄弟だ。今でこそ従者と主人みたいな形に収まっているが、元々は血の繋がった家族以上に近しい存在……あいつの妹も交えて、本物の兄弟のように育った」
「そう、なんだ」
「まああいつだけで大抵のことは間に合っている」
 ――乳兄弟。
 溢れんばかりの忠誠心だと思っていたものは、案外もっと身近な感情と混ざっていたのかもしれない。

「じゃあこの場所を指定したのは人の気配を感じなくて済むからなのね」
「それもあるが、本命の理由はあれだ」
 酒を注ぎ終わったエランが卓の前にどかっと胡坐をかいた。指差す方向は、セリカのにとっての背後となる。
 試しに振り返ってみた。

「えっ、きれい……!」
 思わず感嘆の声が漏れた。
 西の空が赤い。
 山の向こうに沈まんとする輝かしい円が、まだその圧倒的な存在感を放っている。それを覆う薄い膜のような雲には太陽の橙色が伝い、多様に渡る濃淡を描いている。

 言葉では讃え尽くせないほどに美しい一面だった。

「ここから望める落日は格別だ」
「うん、こんなの初めて見るわ」
 同意しつつセリカは逡巡した。せっかくだから、座ってゆっくりとこの見事な風景を堪能したいし、食後酒も味わいたい。
 それら両方の願望を叶える為には――。
 食卓の長辺はかろうじて二人が並んで座れるほどの幅がある。

 類稀なる景色を観賞する為だ。この男の隣に座ることくらい、受け入れるべきだろう。
 そう自分に言い聞かせて、なるべく自然に腰を下ろした。意図的に「自然」を装うことなどできないとわかっていながら。
 いざ座り込んで、足の向きなどを調整している間に、実感する。

(近い! 塔の上でも隣に座ったけど、今が断然近いわ!)
 黙って静止していると、隣の青年が発する熱すら感じ取れそうだった。気温がやや冷えているだけに。
(べ、別に深い意味はないのよ)
 熱は熱でも、それは人間が生きている限りずっと持っている微熱のことだ。セリカとて常に発している。特段、互いに気が動転して体温が上がっているのではない――はず。

 ぐるぐると制御の利かない思考を持て余した。
 このままでは景色を眺めるどころではないと思い、鉄のゴブレットを持ち上げる。ひんやりとした感触、装飾の手触りなどに意識を向けて、心を落ち着かせようとした。
 そうして果実酒が唇を僅かに浸した瞬間、すっかり聴き慣れてしまったあの声が耳朶を打った。

「モスアゲート」
「え?」
 エランの突拍子のない発言に、ゴブレットを傾ける手が止まる。


女子は14、男子は15からお酒が飲める世界観だよ!

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