五 - a.
2017 / 05 / 01 ( Mon ) ――緊張する。 平常心とはどのようにして保つものだったか、或いは取り戻すものだったか。落ち着け、焦るな、とセリカラーサ・エイラクスは軌道を見失いつつある思考回路をたしなめる。(しっかりしなきゃ) 異性と二人だけで向き合って食事をするなど――かつて百を超える群衆の前で楽器の演奏をさせられた際や、初めて馬の背に乗った際に比べたら、全然大した状況ではないはずだ。しかも昨日は二人だけで塔を上ったというのに。 こんな風にいくら記憶を辿って比較したところで、今この瞬間の緊張は解消されなかった。 (夕食になったのがいけないんだわ。あたしは陽の高い内に、気楽に済ませられそうな朝食に誘ったのであって。妖しい空気が漂う夜を狙ったんじゃないのよ) 不公平なことに、向かいの席に座すエランディーク・ユオンは顔の右半分を布で隠している。無意識の習慣に組み込まれるほど長い間そうしてきたのだろう、彼は実にさりげなく表情に影をかけたりしていた。これを想定して蝋燭の位置まで計算したのなら、大したものである。 (あたしだって、できることなら布のかかってる死角側に座りたかったわよ。その方が目を合わせなくて済む……って、あれ。もしもだけど、わざわざ顔を隠しやすいように工夫したなら……) エラン公子もセリカと同じ心境であることを示唆する。 (う、わあ。違う違う、そんなわけない) 妙だった。相手が同じ気持ちであると想像すれば普通は安心できるものなのだが、この場で二人して気もそぞろなのだと考えると、益々身体が強張った。 それにしてもおかしい。 広大なムゥダ=ヴァハナの公宮内でこれまでに利用してきた食卓のどれもがやたらと大きかったのに、この夕餉に限って、卓は小さかった。まさしく、最大で二人分の食事しか並べられないようなささやかな長方形である。 いっそ、この場所の何もかもがおかしい。 セリカにとっては勝手のわからない宮殿だ、食事をしたくてもどこがいいのかなんてわからない。相手に任せっきりにしたら、なんと提案されたのは屋根の上だった。 ――エランが寝泊まりしているという例の屋根の上である。 寝床は清潔で片付けられているものの、間仕切りが立てられていない。空間自体は丸見えだった。 (見られて困るようなものは無いんだろうけど。むしろ殺風景だけど) 先日感じた通り、どうやら彼はこの辺り大雑把なようだ。寝床を人に見られて恥ずかしいという発想すら持っていなそうだった。 (昨日はあたしも、こいつに部屋を通らせたわ……ううん、ベッドに天蓋がかかってたし、暗かったからいいの!) 脳内で無理矢理自分を納得させる。 ぼとり。何かが落下した音でセリカは物思いから抜け出した。パンに挟んでいた細切れの肉が、いつの間にかすり抜けて落ちたらしい。 視線を感じた。 落ちた肉を指先でかき集めながら、早口でまくし立てる。言わなくてもいいことまでをペラペラと。 「じ、実は手で食べるの、得意じゃなくて。あんまりキレイにできないの。昨日は頑張ったんだけど、気を張りすぎて味がわからなくなるのよね」 「なるほど。気が回らなくて悪かった」 エランは立ち上がって近くの小型の食器棚を漁り、スプーンを持って戻って来た。ほら、と言って柄から差し出してくる。 「落ちた分は後で宮殿の飼い猫にやる。食べなくていい」 「ありがと」 最初から皿の外に落ちた食べ物を食べるつもりなんて無かったが、それは言わないでおく。 エランに相談すればきっと過ごしやすいようにしてくれる――ベネフォーリ公子が自信ありげにそう告げたのを思い出した。あれからずっと、セリカはもやもやとした感情を拭い去れないでいる。 雑念を抱えたまま手を伸ばした。 勢い余って――否、距離を目で測り損ねて――指と指が触れた。 「ごめんっ」 考えるより先に手を引いた。一拍後、謝る必要なんてなかったのではないかと気付いて、改めてゆっくりとスプーンを受け取る。 「……いや」 向かいの席の青年は僅かに顔を逸らして唇の端を噛んでいた。その仕草がどういう感情を表しているのか、考えてもわからなかった。 なんとも微妙な空気の中、皿の上に残る食べ物を平らげた。おそらく、通常よりもずっと早く食べ終わったことだろう。ものの見事に味はあまりしなかった。 ごちそうさまでした、とセリカは手を合わせた、が。 (しまった! 食べ終わったからってそのまま逃げちゃだめよね) むしろ緩慢と食べていれば、口が一杯だから雑談はできませんみたいな暗黙の了解を押し通せただろうに。 視界からパッと皿が消えた。消えた軌道を目で追うと、エラン公子が使い終わった食器を自ら重ねて片付けていた。かちゃん、かちゃり、との音に呆然となった。 すぐにセリカも席から立ち上がって、食器を盆の上に積むのを手伝った。 結局更新しちゃったよー☆ 今週は帰省する予定ですが、それまでにあと1、2回は更新できると思います。たぶん。 |
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