63.d.
2016 / 10 / 10 ( Mon )
「わ、はい!」
 モグラの如く、少女は穴の中に引っ込む。
 ゲズゥはゆっくりと穴の中に身を下ろし、トンネル状の内側の壁を掴んだ。防寒着のコートを脱いで穴の蓋代わりにし、その上に剣を載せて簡易的な重石とする。

 戸締まりも終えたので土を掴んでいた手を放し、滑り落ちていく。ゲズゥは屈んだ体勢で着地した。
 落ちた先には枯れ葉と枝の感触。そこで、手を伸ばして天井の位置を確かめる。流石に立ち上がるのは無理だが、膝立ちになれる程度の高さはあった。
 火を点けるぞ、と闇に向かって言った。目がまだ慣れないため姿は見えないが、気配があった。

「どうぞ」
 了承の声が返るよりも前に手を動かしていた。壁沿いに小さな焚火を作る。
 この場合は穴の中心に、ちょうど二人の間に割り込むように焚いた方が身体を温めるには効率的だったろうに、なんとなくゲズゥは中心から横にずらした位置を選んだ。
 炎から滲む熱に温まりながら、リーデンに状況を連絡する。

 ――聖女さん、見つかったの!?
 ――無事だ。とりあえず悪天候が過ぎるまでは地中に篭る。そっちも気を付けろ。
 ――大丈夫、かまど作ってるよ。はー、でもよかったー……後で合流しよう。聖女さんには、おやすみって言っといてね。

 会話はそこで終わった。その内容を、おやすみと言っていたぞとの報告も込みで、ミスリアに伝えた。
 当のミスリアは、わかりましたとだけ答え、自分の指を噛んだり手の甲をつねったりしていて挙動不審だ。その様子に、攫われていた間に精神に悪影響を及ぼすようなことをされたのかと想像する。

「どうした」
 思わず問うた。素早く顔を上げたミスリアは、しかしふるふると頭を振った。
「なんでもありません」
「…………」
 誤魔化そうとしているのかと思い、訝しげな顔で応じる。

「なんでも、ないんですけど……また会えるとは思ってなくて。夢、じゃないかと、確かめてるんです」
 ミスリアは早口にまくし立てた直後、目を逸らした。
 二度と会えないのではないかという疑念は、こちらも強く抱いていたものだが――。

 ゲズゥは焚き火に照らされた頬を見つめる。涙筋の他に、先ほどは気付けなかった、茶色く変色した痕があった。
 手袋を外し、一思いに互いの膝の間の距離を詰める。

 顔は依然逸らされたままだ。それを両手で包んで、半ば強引に上を向かせる。掌に触れる肌は冬の空気に乾燥させられていて、普段の張りをすっかり失っているように思えた。
 そんな中でもはっきりと――でこぼことした触感をもたらす痕を、右手の親指の腹で拭ってやった。乾き切った薄片(はくへん)が、抵抗なく剥がれ落ちる。

「この血は」
 訊くと、茶色の双眸が頼りなげに視線を絡めてきた。
「血……? あ、はい、きっと返り血です……。いただいたナイフで、女の人を、切って……」
「そうか」
「わ、私は。ひどい、ことを……いえ、あれでよかったのです……よね」
 何故言葉を濁すのかが理解できない。恐ろしい出来事を思い出しているのだろうか。

「尋常じゃない目に遭ったのはわかる。もっと早く来てやれなくて、悪かった」
「そんなっ! 謝らないで下さい! そちらも大変でしたのに、私こそ自分の身くらい自分で守れなくて、すみません」
「いや。お前が此処に居ることが、自分で自分の身を守れる証明だ。よくやった」
 そう否定してやると、ミスリアは唇を噛んで俯いた。やはり、ゲズゥには少女の心中がわからない。

「…………それにしてもひどい恰好だな」
 胸部分を派手に切り裂かれた肌着を一瞥して言った。しかも布がぺらりと開いた先から下着が露わになっていて、随分と寒そうである。
「ひっ! す、すみません、はしたない姿で。お目汚しを」
「……? 扇情的ではあるが」

「せんじょうてき……!?」
「はしたないと表現するのは不的確だ。自らそうしたんじゃないだろう」
「そ、そうですね」
 ともすれば劣情を催すこともあるだろうに、疲労もあってかそんな気分ではなかった。

 そもそも、現在ミスリアに抱く感情や、関係性の捉え方があまりに複雑で不明瞭だった。
 聖女ミスリア・ノイラートとはかけがえのない存在であり、身近な少女だが、人を大切にするというのがどういうことかまともに学んで来なかったゲズゥには、どうしてやればいいのかがわからない。

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