63.c.
2016 / 10 / 08 ( Sat ) 魔物は地面を打つ――或いは穿つ――のに夢中で、こちらに気付かない。 この機に乗じて、一振りで毛玉の群れを切り崩した。すると損傷した毛玉から次々と砂埃が発せられる。咄嗟にフードの中で顔を逸らしたが、虚を突かれただけにいくらか吸い込んでしまう。咳き込んだら隙が生じると直感して、ゲズゥは後退した。 すっかり魔物の矛先がこちらに移っている。 足や腕に跳びかかる三つ頭のイタチ数体を、蹴ったり殴ったりして払った。体勢を安定させてから剣を両手で右斜めに構え直す。 助走をつけた。振り下ろす動きは右上から左下へ――ぼぞ、と鈍い音を立てて毛玉の残党は裂かれた。今度は吸わないように、息を止めたまま埃の雲を走り抜けた。 走り抜けた先で待ち構えるイタチの魔物が三体。腰を低くして両手首を翻し、大剣を左から右へと横に薙ぐ。三体の内二体は腸をぶちまけて地に沈んだが、三体目は巧妙に剣の軌道を避けた。 獣(けだもの)の顎がゲズゥの喉元を求めて開かれる。 上体を捻って喉を死守した。結果、三つ頭のひとつがゲズゥの左肩に噛み付いた。防寒着の下にも実は革の鎧を着用しているため、痛みはほとんど感じない。 膝を折った。左肩を接点に立てて、雪の固まった地面に体当たりした。 魔物は苦痛にのたうち回る。絶叫の三重奏ががひどく耳障りだった。ついでに、肩が衝撃で麻痺してきている。 それでもゲズゥは左肘でイタチの腹を連打する。叫び声が鎮まるのを見計らって片膝立ちになり、刃で息の根を止めた。無力化した魔物の破片はこのまま積雪が進めば脅威ではなくなるだろう。 やっと一息つけたところで。魔物たちが取り囲んでいた箇所を見つけ出し、近くまで這う。 何と、地面に穴が空いていた。 その幅は目測二フィート(約61cm)。毛玉群が邪魔していなかったら、イタチの魔物ならこの穴を通れたかもしれない。 だがそんな過ぎたことよりも、穴の内容物だ。人間(エサ)がより多く居たあの砦からこんな何も無いところまで魔性を引き寄せられるものを、ゲズゥはひとつしか知らない。 「ミスリア」 闇の底へと呼びかける。衣擦れの音すら聞き逃さないつもりで、耳を寄せた。 静かだ。地上では風がうるさく吹き荒んでいるだけに、地中に頭を突っ込むと余計に静かに感じる。 聴こえなかったのか、もう一度呼ぶべきか、それとも怯えて出て来ないのではないか、と色々悩んで、身を引きかけたその時。 衣擦れというよりも、葉擦れの音がした。やがて紫色にも見える細い手がぬっと穴の縁を掴んだ。指先は赤みを帯びていて感覚が無さそうだ。 痛々しい。一体、どれほどの時間をこうして屋外で過ごしていたのか。 汚れの固まった栗色の髪に続いて、蒼白な顔が穴の中から上がってくるまで、ゲズゥはただ見守った。むやみに手を貸したら拒絶されるのではないかと思ったからだ。 「……こんなところに居たか」 目が合った途端、深い安堵のため息を吐き出した。吐いた白い息が少女の頬にかかり、一瞬、まるでそこだけが熱を取り戻したように見えた。ミスリアは僅かに震えた。次いで大きな茶色の瞳を瞬かせて、じっとこちらを見上げる。 その瞳が、あまりに虚ろに見えた―― ――認識されていない? ゲズゥはよくわからない焦りを覚えて、両手を伸ばす。衝動だったが、多分肩を揺すろうとでも思ったのだろう。 それを、腕にしがみつく力が阻止した。引きずり込まれそうなほどに強い力だ。驚き、反射で足腰から踏ん張る。 「落ち着け」 面(おもて)を改めて眺めやりながら、呼びかけた。ミスリアは堰を切ったみたいに大泣きしていた。途切れ途切れに何かを訴えかけているが、風の音が邪魔で聴こえない。 「おい、」 朱のさした顔、嗚咽、寒そうに赤らんだ鼻。次第に、不快感にも似たざわめきがゲズゥの胸の内に生じる。 「ミスリア!」 額を近付けて怒鳴った。ようやっと、泣き声が止まる。 「……あ」 「泣き止め。鼻水が凍る」 「はな、みず……」しがみついていた手が離れた。そのまま鼻の下に触れて感触を確かめると、ミスリアはきょとんとした顔になった。「すごい。本当に凍るんですね」 「お前が隠れていた、その穴は何だ」 「あ、えっと、偶然見つけて……動物の巣穴か何かみたいです。結構広いですよ」 「入れろ。吹雪をやり過ごす」 冬には鼻水が凍る地域で育った甲は、雪が恋しいです。 |
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