59.d.
2016 / 07 / 05 ( Tue )
 通行人の男は振り返りざまに激昂した。神聖なる教団の敷地でなんて非常識な奴らだ、痛いではないか、そもそも貴様ら何故服を着ていない――吐き出される文句の数々を、リーデンが笑顔であしらう。

「失敬な、服ならちゃんと着てるでしょー」
「このような人目のつく場所で下半身だけ覆って上半身を晒しているのは『ちゃんと服を着ている』とは言わない!」
「えー、でも動き回ると暑いし。洗濯物かさばらないように気を遣ってるんだよ」
「こ、こんなところで暴れ回っていることとて非常識だ!」

「木剣を当てたのはごめんって、わざとじゃないんだ。何なら手当てするよ」
「断る! 訓練場を使えば良いものを――」
「僕らは入れないのに?」
 さすがにその返し方には文句の付けようがないのか、男はぐっと怯んだ。
 とにかく気を付けろ、と捨て台詞を吐いて通行人の男は立ち去った。

「あーあ。まだ時間あるけど、兄さんはどうすんの」
 つまらなそうに木剣を回収したリーデンが、これからの暇潰しについて訊ねる。
「森で走る」
 ゲズゥは無機質に答えた。
「ん、いってらー。うっかりミソギをサボったら聖女さんにシワ寄せが来るだろうだから、ほどほどにね。僕は適当に寝るかな」
 言ったそばから、リーデンは草の上で仰向けになった。

 ゲズゥも間を置かずに敷地を出た。注意されたばかりだが、更に汗だくになる予定なのだからやはり衣服は最低限で十分だ。門番の非難の視線を顧みずに、軽く走り出した。
 まだ会話をしようと思えばできる速度で、考え事も然りだ。
 自然と思考の流れ着く先は定まっていた。

 言いたくないのなら無理に話さなくていい、ただ言いたくなったら聞く者が居ることを忘れるな――そんな言葉をかけてやったのも、最近のことのように思う。思いやりだったのだろう。それが今は、己の我儘としか形容できない、「知りたい」欲求とせめぎ合っている。
 結果、大切にすべき対象を傷付ける有様となった。
 本当にミスリアの為を想うなら、無理強いせずに成り行きを見守るのが正解かもしれない。それができないのは、明らかに葛藤しているとわかっていて、頼ってもらえないことが悔しいからなのか――

 ――何が正しいのか、何をどう割り切れば良いのか。あの助けを求める目をどう捉えればいいのか。
 もう何も考えたくなかった。
 進む速度を全力疾走にまで繰り上げる。
 筋肉が軋み肺と心臓の動きも追いつかなくなり、思考が完全に停止するまで、無心に走った。

_______

 リーデン・ユラス・クレインカティがその後、次に聖女ミスリアと顔を合わせる機会を得たのは夕餉に近い時刻だった。道沿いのベンチに腰を掛けて、祈祷書を熱心に読んでいる姿を見かけたのだった。
 此処に来てからは彼女は聖職者たちと食事を採る傾向にあり、リーデンたちは寄宿舎で淡々と食事を済ましている。
 なんとも、窮屈な日々であった。

(早く調べものとか報告とかお勤め終わらせて、サッサと旅の続きに出ないかなー)
 と思っていても、口には出せない。口元に笑みを貼り付け、手を振る。
「やあ、聖女さん。奇遇だね。邪魔しちゃってもいい?」
 我ながら白々しい挨拶であった。

 偶然ではないのはわかっている。一日の予定が詰まっているはずのミスリアが隙間時間を此処で過ごしているのは知れたことだ。寄宿舎に泊まる護衛たちとは近過ぎず遠過ぎず、かと言って直接会いに来るわけでもなく、微妙な距離を保ち続けている。
 その様子は、少しゲズゥのそれと似ていた。心の乱れを単調な作業などで強引に正そうとしているのだ。
 ミスリアは祈祷書から顔を上げて、ふっと笑った。

「こんばんは、リーデンさん」


久しぶりに場面転換多めですみませぬ

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