48.b.
2015 / 09 / 14 ( Mon )
「ワインをお持ちしました」
 言うや否や、ヤン・ナラッサナの背後から盆を持った若い男が現れた。赤紫色の液体を陶器製のゴブレットに注ぎ、男はそれをリーデンに差し出した。
「こりゃご丁寧にどーも」
 ゴブレットを受け取り、漂う甘い香りに鼻を近付けた。「どうせなら僕は……ヤンさん、君みたいな美しい女性と一杯を共にしたいね」

「そう誘っていただけるのは光栄でございますが、謹んでご遠慮申し上げます。わたくしはただ、あなたさまが快適に過ごされているか気になりましたので。このような簡素な天幕でなく、ちゃんとした宿をご用意しますのに……」
 女の表情筋はまるで仮面を被ったかのように変動しない。発した言葉が嘘か真かを見抜くのが容易ではないということだ。

(布で鼻から下を隠してる時点で表情なんて見えやしないけどねー)
 おそらくは砂が気管に入らないように覆っていたのが元々の理由だったはずが、今となっては別の用途に役立っている。
(僕も明日からはそーしよっかな)
 と思ったものの、偽りの顔をつくるのは楽しい。誰にも見てもらえないのは些かもったいない気がする。

「快適快適。僕は天幕の方が良いって言ったでしょ」
「しかし……」
 なおも食い下がる女は、俄かに首を巡らせた。天幕の外が騒がしくなったのである。彼女は厳しい声色で問い質す。

「何事ですか」
「ナラッサナ様! 魔物が出現しました」
 ヤン・ナラッサナは眉間に皴をよせて「わかりました」と呟いた後、すぐに周りといくつか問答し、指示を出し始めた。出現した方角はどちらか、近くの女子供の避難は済んだか、迎え撃つ手筈は整ったのか――。

「手伝ってあげようか?」
 未だにワインに口を付けず、リーデンは親指と人差し指との間でくるくるとゴブレットを弄る。
「いえ、このような些事に解放主のお手を煩わせるわけにはまいりません。あなたさまは、後日の作戦の為に力を温存していてください」
 振り向きざま、ナラッサナはハッキリと断った。

(温存……? 適当な魔物相手にぶつけて、僕の実力を測りたいってキモチはないのかな)
 正直、意外だった。彼らが何かを企んでいるとするなら、それくらいやってのけるのは当然である。
(相変わらず何かを隠しているのは明らかだけど。解放主ってヤツを、戦力を必要としない「使い方」をする気?)
 その疑問が沸いたからには、リーデンは直接質問することにした。

「君たちは結局僕に何をさせたいの?」
 ――大いなる敵の餌にして、その隙に全員で総攻撃、とか?
 笑顔の裏にそんな問いを潜ませてみたのだが、相手方が気付いたかどうかは知れない。

「解放主たる者、勇敢に先導して下さるだけで我々は救われます」
 ヤン・ナラッサナは深く一礼して淀みなく応じた。

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