08.g.
2012 / 02 / 19 ( Sun )
 下手に動ける場面ではなかった。もっともミスリアは目の前の魔物に底知れない恐怖を抱いてか、全身が硬直している。
 魔物の白髪からのぞく象牙の素肌に、苦しげな人面が浮かんでは埋もれた。
 ゲズゥは身じろぎ一つしない。おそらくそれが正解だろう。

(急な動きは危険だし、反撃の機会をじっと待っているのよねきっと)
 魔物はぎょろりと目を見開き、更にゲズゥに顔を近づけた。それこそ鼻と鼻がぶつかり合う距離に。再びふくよかな唇を動かしたが、今度は声を発した。

「マ……ナツ……イ、ニ イ……オ……タ レ シ ヤ……」
 言葉を紡ごうとしているのは明らかだった。

「シャスヴォルの国語かな……『呪いの眼』の一族は自分の言語を持たなかったはず」
 カイルが小声で言う。

 ミスリアもカイルもシャスヴォルの言語には詳しくない。こういう場合は、魔物の内なる心の声を探れば実際に発音している言葉と合わせて解することが可能だ。感情に基づいた内なる思考は言葉という殻を持たず、直接触れさえすれば大方読み取れるからである。

 魔物は続けて声を発したが、やはり途切れ途切れだった。ゲズゥはただ瞬いた。
 返答が無いことにしびれを切らしたのか、魔物が身を引き、怒ったように叫ぶ。もっときつく糸を締めた。反射的にゲズゥが左手をあげてそれを掴んだが、首が更に絞まるのを止められない。

(どうすればいいの――)
 焦りが募る。

「ミスリア、落ち着いて。僕に考えがある」
 カイルが声を低くして耳打ちしてきた。
「え……」
 ミスリアは少しだけ顔を横に動かしてカイルの方へ耳を寄せた。目線の先はゲズゥと魔物を捉えたままだ。

「彼が右手に持っているものに、聖気をまとわせるんだ」
 指を指す代わりにカイルは顎を少しだけ動かした。確かにゲズゥの右手は突出した長い物を掴んだままだった。心なしかそれは、先ほどよりも土から突き出ている気がする。

「でも」
 それが何なのかミスリアにはまだわからない以前に、聖気を無生物に付着させるのは容易ではなかった。対象物と自分の縁が深ければ深いほどやりやすく、そして静止状態の対象物に直接触れていなければならないことなどと、成功させるには条件がある。

「大丈夫、君なら……ううん、君だからこそできるよ」
 カイルは励ますようにミスリアの背中を軽く叩いた。

 首を絞めるのに飽きたのか、魔物は蛇のような形の舌を出した。酸がべっとりとついたその舌で、ゲズゥの鎖骨辺りを舐め始める。またあの嫌な音がして、全身に鳥肌が立つ。

 ミスリアは疑問を捨てた。カイルを信じよう。
 ペンダントを握りつつ両手を組み合わせ、地面に膝をついて眼を瞑り、祈る姿勢を取る。謳うように言葉を紡いだ。

 正体のわからないあの長い棒にも似た物に意識を集中させる。
 数秒後に両目を開いたら、棒は見事な金色の帯に包まれていた。ミスリアは地面に両手を着いた。なんとかできたけど、やはりこれは疲れる。

 魔物はいつしか動きを止め、呆然とこちらを見ている。左手に剣を携えてカイルがミスリアを庇うように立ちふさがった。
 二人めがけて糸が伸びる。それを一本漏らさずカイルが巧く剣にのみ巻きつかせた。

 その隙を待っていたゲズゥが、右腕に力を込めた。瞬間、引き締まった腕の筋肉にいくつかの筋が浮かび上がる。彼は一気に土の中から長い物を引きずり出し、頭上にて両手で構えた。聖気をまとったそれを魔物めがけて振り下ろす。

 咄嗟に白髪をクッションに使って、女は斬撃を逃れた。同時にゲズゥを拘束していた糸が切れる。白い糸と髪が舞う。一部は銀色の素粒子となって浮上している。魔物は木の枝の上へ引き返し、その様をうっとりと見つめている。
 土まみれの棒を持ったまま、あっという間にゲズゥはミスリアたちのところまで移動した。時々咳をしている。

「こっち。入った箇所よりも近いほころびがあるよ」
 三人は走り出した。白髪の魔物が追ってくる様子は無い。

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