07.e.
2012 / 02 / 03 ( Fri )
 すすり泣きし出した聖女に興味をなくして、ゲズゥは瞑目した。
 眠くないので瞑想を始める。両の膝の上にそれぞれ手のひらをのせた。彼は己の呼吸にのみ意識を集中させるスタイルを好んで用いる。
 
 ――吸って、吐いて、吸って、吐いて、また吸って――

 次に呼吸のひとつひとつに合わせて数字を数える。息を吐く時にだけ、一から十数え、十に達したらまた一に戻る。時計の音が気にならなくなるまで続けた。
 何も思い描いていないので、瞼の裏には暗闇だけがあった。ふわりと自然にそこに踊りこんできた場面を、彼は特に拒まなかった。

 暖かい風にそよぐ木の葉が、ゆったりと揺れる。枝が、木の実が、手を伸ばせば掴めるほどに近い。眩しい光が葉っぱの天井から漏れる。
 地上を見下ろしたら、こちらを見上げて手を振ってくる女性がいた。長い銀色の髪を束ね、腕に生まれたての赤ん坊を抱いている。慎ましやかな笑顔と、清楚な身なり。

 女性の太ももに五歳前後くらいの幼児が引っ付いている。女性と同じ銀色の髪が柔らかそうだ。
 そこで、別の女性も視界に入ってきた。肩より少し長い、まっすぐな漆黒の髪。動きやすそうな短い袖のシャツと短い裾のスカート。

 彼女は、木の上から降りてくるようにと怒鳴っている。
 そこで一気に視界に緑が流れ、飛び降りたのだとわかった。立ち上がったかのように視界がずれる。ため息をついた黒髪女性の端正な顔の、右目の泣き黒子が印象的だった。

 ――カチッ!

 唐突に秒針の音が入ってきて、夢のような映像がはじけた。消えてしまう優しいひと時の欠片に手を伸ばしても、止められない。
 思わず目を開けた。

 そこでゲズゥははじめて、自分が実際に手を伸ばしていたことを知った。

「どうしたんですか?」
 鈴が鳴ったかのような淑やかな声。聖女はさっきまで居た場所からまったく動いておらず、姿勢も蹲ったままだったが、頭を上げていた。

「何でもない」
 伸ばした手を引っ込め、ゲズゥは組んでいた足を崩した。
「そう、ですか」
 聖女は毛布を頭から被るようにして顔だけ出した。

「あの……さっきの、ひと。魔物の彼が……貴方に頭部を切り落とされた時」
 途切れ途切れに、ボソボソと聖女は喋る。この話題がどこへ向かうのか見えなくて、ひとまず黙って続きを待つことにした。

「彼の記憶が視えました。といっても彼だけではなく、あの魔物を形成していた全部の魂の記憶の断片ですが……」
 やはりどこへ向かうのかわからない話だ。ゲズゥはベッドに横になった。

 しかし聖女にそんなにたくさんの記憶が視えていたというのなら、上の空になってた原因にも数えられよう。これは想像に過ぎないが、他者の記憶を視ていたら多分、聖女なら感情も引きずられて心がかき乱されたことだろう。

「彼の恋人は、彼の目の前で亡くなりました。他の魔物に、丸ごと食べられて」
 どこまでも沈んだ声で聖女が語る。視たままの光景を思い出しているのだろうか。

「そのショックに耐えられなくなって、忘れてたんですね……自分も魔物に成り果てて」
 凄まじい話ではあるが、今のご時世では別段珍しいということもない。それだけ壊れた世の中だということなのだろうが。
「それは、哀れだな」
 あまり真心のこもらない声で相槌を打った。

 すると何故か聖女は落ち着かない様子で毛布の中をもぞもぞした。

「あ、あの……」
 何か言いたげだがものすごく言い出しづらそうである。面倒くさい方向の話ではないかと予感がして、ゲズゥは「何だ?」と訊かなかった。

 数秒後、聖女が息を吸い込むのが聴こえた。

「……ゲズゥは過去に人を殺した時、その人の気持ちや苦しみとか、家族の苦しみや遺族がどうなるのかとか、考えたりしなかったんですか? 人一人の一生が終わるという事態の大きさを顧みなかったんですか?」

 カチ、カチ、カチ……。
 ゲズゥは質問の内容を噛み締めるように沈黙に身をゆだねた。

「それとも他人だから、気になりませんか……?」
 少女の儚い声を聴き取って、ああこれは面倒くさい方向の話だな、と思った。

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