31.g.
2014 / 04 / 28 ( Mon )
 三人は広い場所に出て河に面していた。
 河の横幅は広がり、両岸の草原に視界を妨げる物がほとんどない。イマリナ=タユスの領域を出ているため、人や民家の姿も無かった。右を向けば、昨夜世話になったあの滝も遠目に見える。
 東の空では太陽が一日の勤めを終えて地平線に眠ろうとしていた。

「町民は以前から気味悪がってあまりこの辺に近付かないんで、放っておいても害は無いだろうと連合も軽く見てたんですが。今月に入ってから不安がる声が増えてるって司教様が気付いて、対策を立てようって連合に問題提示をしたそうです。ボクらも同時期にこの町に来たんですぐに相談を受けてます」

「では聖女レティカが辺境を掃討しようと選んだのは……」
「そーゆーことです。一月近く、毎晩のように頑張ったからやっとちょっと数が減って範囲も狭まったかなー、って思います。でも一番ヤバい中心地はまだノータッチです」
 この地点がそうだとエンリオは補足した。

「連合もついに手が空いたのか、ようやく大人数を率いての連携が実りそうです」
 それを聞いてゲズゥは納得した。大人数を率いるにしても狭い場所では身動き取れないが、この広大さであれば問題ないだろう。
「私たちも参加するんですか?」

「お願いします。昨日誘った時点に予定していたのとはちょっと違いますけど」
「そうですね……」
 二人の会話に、ゲズゥは何気なく耳を傾けていた。

 大変だな、と他人事のような感想しか沸かない。
 そういえばリーデンも連れて行く約束だった。予定変更に関しては、大人数での魔物討伐など、アレは面白がるかもしれない。

「でもそんな深刻な戦局に怪我人を連れて行くのは憚られます」
「本人はどうなんです?」
 二人の視線が杖に寄りかかって立つゲズゥに集中した。

 医者の腕が良かったからか傷はすっかり回復に向かっているが、当分は安静にしていなければならない。
 数秒考えて、答えた。

「自分とミスリアの身ぐらいは、片足でも護れる。俺は攻勢には出ない。戦力になってやれないが、聖女の力は貴重だろう」
「ごもっともです。聖女ミスリアが加わるだけでも皆にとってかなり有利に働きます」
「大袈裟ですよ」
「いえいえ、聖気ってのは重宝すべき奇跡の力ですから」

 エンリオは自分とちょっとしか身長の違わないミスリアに向けて一礼した。小さな聖女は照れ臭そうに笑う。

「さて、少し見回って来ます」宣言してから、エンリオはポケットからラクダ色の紙をパイプ状に巻いた代物を取り出した。「吸ってもいいですか?」
「あ、どうぞ」

 ミスリアはそれだけ言うと、同じく辺りを見回るように歩き出した。
 火打石の音が弾く。エンリオはすうっと一息吸い込んでは吐き、こちらを振り向いた。

「貴方も要ります?」
「断る」
 臭いからして、一般的に普及している煙草とは異なる草であることは明らかだ。

 聞いた話に寄るとそれは長期に渡って使用すると心臓などの機能を低下させ、即ち運動能力の低下に繋がる代物だった。ゲズゥにとって麻薬類は嗜むものであって多用するものではなかった。運動能力に影響が出たら面倒だからだ。

「そーですか。いやぁ、ボクは吸わないと、護衛の仕事中に起きたヤなこととか思い出してやってらんないんですよね。慣れませんね、死は」
 重い台詞を吐き捨ててエンリオは煙をばら撒きつつうろうろし出した。河の水を掬って観察したり、足元を確かめたり、その辺の岩をどかしてみたり。
 ミスリアも似たようなことをしている。

 手持ち無沙汰のゲズゥはただ日没を眺めた。何故だか宵闇の訪れと共に、背筋が疼くような感覚がする。場所の所為だろうか。
 ふと、別の方法で情報を得ようと考えて、彼は左眼を使うことにした。

 まだミスリアには説明していないが、視界の共有だけでなく、血縁関係の強い相手とは意思の伝達ができるという便利な機能が付いている。ただし離れている方が同調が起こりやすい視界の共有とは真逆に、距離が近くなければ通じにくい。現在の距離でギリギリ有効範囲だろう。

 ――河の「分岐点」近くに魔物が多発してる話を知ってるか。

 返答はすぐには返らなかった。普段から、一方的にどちらかが話しかけて終わる場合が多い。しかもリーデンから「話しかけられる」ことはあってもゲズゥがこうやって呼びかけるのは珍しい。いつも応えない仕返しとして無視されても仕方がない。

 それでなくともさっきの出かけた際の別れが穏便ではなかった。
 だが一分ほどして、応答があった。

 ――知ってるケド、それが何?
 ――明日魔物討伐に行く場所だ。今下見に来てる。大人数で討伐隊を組むらしい。

 また、間があった。

 ――ふーん、それはそれは。ていうかそこ、噂話が酷いよ?
 ――噂話?
 ――誰が赴いてもどんな大人数の隊も全滅するんだってさ。よく新しい討伐隊を組もうなんて気になるねぇ。

 ゲズゥはしばらく考え込んだ。噂が本当だとするなら、連合が腰を上げたがらないのもうなずける。

 ――他人事みたく言ってるが、お前も明日行くんだろう。
 ――そうだねー、楽しみだねー。

 楽しそうな弟に対して、ゲズゥは無意識に眉をしかめる。

 ――ねえ、そんなことより、兄さんさっきなんか怪我してない?

 気付かれないように遮断したつもりだが、向こうに漏れていたらしい。怒気を孕んだ問いをゲズゥは無視することに決めた。通信はそこで終了する。

「ミスリア!」
 いつの間にか大分遠くに行っていた少女を呼び止める。
 彼女は弾けるように顔を上げた。

「引き上げる」
 夜になれば面倒なことになるのは間違いない。今の状態では満足に立ち回れないし、危険である。
 察したミスリアはゲズゥの傍へと駆け戻る。

「ボクはもうちょっと見て行きます。敵さんが出てきたら颯爽と逃げるのでご心配なく」
 エンリオはひらひらと手を振った。ミスリアも手を振って挨拶を返す。

 猿も顔負けなあの機動力と脚力があれば心配するまでも無いだろう。ゲズゥは杖を繰ってサッサと帰り道を歩み始めた。

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