23.g.
2013 / 06 / 29 ( Sat )
賊であった以上、人を恐喝した事も、拷問にかけた事も、殺した事もあるはずだ。生きる為だったとしても、世間が認める道徳に反しているのは事実である。何より、穢れた手で家族に触れていいものか迷う気持ちは、ゲズゥには自分の事のようによくわかった。自分がソレをするのはどうでもよくても、大事な人に伝染させたくはない。

「知った時にどう反応するのか、それが怖いんだよ。臆病者で情けないだろ?」
 紫色の双眸が映し出す哀しみは深い。
 その問いに、少女はぶんぶんと頭を振って否定した。

「そんなことありません。過程がどうであれ、貴方は危険を冒して行動に移しました。大切な人と再会できた今では、それを『遅すぎる』と批判できる人はいないはずです。彼女にすべてを打ち明けるのが正しいのかどうかまでは私にはわかりませんけど……」
 語尾に向けて声が沈んでいく。

「でも、イトゥ=エンキさんがお姉さんの心の動きを恐れるのは人として当然のことだと思います。情けなくなんてありません」
「はは、ありがと。気休めでも嬉しい」
 エンがミスリアの頭を優しく撫でると、ミスリアは益々複雑そうな顔をした。エンはミスリアから手を放した後はまた片手をポケットに突っ込んだ。

「……それはそうと、いい加減、謝りに行くかな」
 時計塔の方角を見上げてエンは呟いた。
「多分、夕飯時にでもまた会うだろ。じゃーなー」
 既に踵を返し手を振るエンに対してゲズゥは「ああ」と答え、ミスリアは「頑張って下さい!」と答える。

 人混みに溶けて消える後ろ姿を見送った後、ゲズゥとミスリアは町の散策を再開した。
 目に映る景色や道を記憶の内に刻みながら、二人は歩を進める。

「お昼、どうします?」
 先を歩いていたミスリアが、振り返って訊ねた。言われてみれば、いつの間にか胃袋が空洞と化していた。
「食えれば何でもいい」

「ではあちらに見えるカフェで――」
 道の向かい側を通る小さな集団を目に入れて、ミスリアは露骨に後退った。そして恐怖に鋭く息を呑んだ。

「え? な、何か問題が?」
 向かい側を歩く男がこちらに気付いて、困惑している。だが少女の目が釘付けになっていたのは人間の方ではなかった。

 三頭の山羊だ。
 黒い毛皮のそれらは縄でできた首輪によって繋がれ、まるで飼い主の男に散歩をさせられているようにも見えた。実際は、男は山羊たちを売る為に移動させているのだろう。

「何でもない」
 顔面蒼白で硬直したミスリアに代わってゲズゥが口を開いた。強引にミスリアの腕を引いて歩かせる。面倒臭い状況に発展しないようにさっさとその場を去った。
 カフェまでの間、ミスリアは唇を噛み締めたまま何も言わない。何か苦々しい思い出に囚われている――山羊から連想できる、何か。

 ユリャン山脈付近の集落。
 瞬時に脳裏に浮かんだのは、無残に殺された赤い髪の少女。そう、その晩に襲ってきた異形どもは、身体の一部が山羊と羊の姿に似ていたのだ。

 確かにあれは楽な退治ではなかったし、犠牲者も出た。
 だが過ぎた事だ。トラウマという形で精神に影響を残していてはいずれ先に進めなくなるのも必至。普通に生活しているならいざ知らず、ミスリアは大きな目的を抱いて旅をしている聖女だ。

 こんな調子で本当に聖獣まで辿り着けるのか。
 ゲズゥがそれを思い悩むのおかしいが、多少の疑念が沸いた。

_______

 ドタバタと走り回る七、八人の子供の渦中に、探し人は立っていた。ここは教会の二階にある、いわゆる「子供部屋」である。床には木馬や人形などのおもちゃが散りばめられている。

「こら! 土足で部屋上がっちゃだめだっていつも言ってるでしょ! 言うこと聞かないと今日はご飯抜きにするわよ!」
 腕に三歳くらいの子を抱くその女性は周囲の子供たちに怒気を放った。
「うっそだあ」
 子供たちは聞く耳持たない。

「いいわ。人間は三日くらい食べなくても、平気だものね。悪い子たちには緑期日まで何も食べさせるなって、皆に言っておくから」
「ええー。ヨン姉ひどいっ」
「わかったら靴脱いで! それと、食事の前はちゃんと手を洗うのよ」
 はーい、と誰もが合唱する中、一人だけ部屋を飛び出す少年が居た。

「やなこった!」
「あ、待ちなさい――」
 そこで更に説教を畳み掛けたかっただろうに、腕の中の子供が泣きだしたため、ヨンフェ=ジーディはあやす方に意識を集中した。

(ふむ。手を貸すか)
 さっきから廊下で静観していただけのイトゥ=エンキは、逃げ行く少年の足を引っ掛けた。少年は、どてん、と大きな音を立てて転んだ。我ながら単純な手段だ。

「なにすんだよっ」
 転ばされた少年はイトゥ=エンキの足に殴りかかる。
「まーまー。ご飯三日も抜かれんのはマジでやばい。悪い事言わんから従っとけって、な」
 イトゥ=エンキは少年を楽々と腕に抱えて、子供部屋に返す。抱えている間も何かと殴られたり蹴られたりしたが、気にならなかった。

 下ろされた少年はふてくされながらも、他の子たちに合わせて靴を脱ぐ。皆はその後は部屋の片隅の水瓶に向かっていく。
 ヨンフェ=ジーディのブルー・ヘーゼル色の瞳が、静かにイトゥ=エンキを見つめていた。彼女の肩に寄りかかる幼児は、眠そうな顔で親指をくわえている。

「…………えーと、ただいま」
 なんとまあ、気まずい。ひとまず何か言おうと思って、無難な言葉を選んだ。今笑っていいものか自信が無いので、自分でもよくわからない顔になっている気がする。

「お帰りなさい」姉は眉根を寄せたが、応じてくれた。「言いたいことはたくさんあるけど。……お昼もう食べた?」
「や、まだ」
「作り置きで良ければ、温めるわ」
「ん。じゃーもらう」
 ありがと、と小さく追加しておくと、ヨンフェ=ジーディは何も言わずに微笑んだ。

 締め付けられる想いがした。
 痛いのは喉なのか胸なのか、とにかく息が詰まった。微笑みを返そうにも顔の筋肉が言うことを聞かない。
 一体それをどれ程の間、切望したことか。

 彼女の笑顔を最後に見たのが何十年も前だった感覚がある。泣き顔ばかりが浮かんで、笑った顔を忘れてしまうのが怖くて、洞窟の闇の中で幾度と無く思い出した。おかげで思い出は薄れても、消えはしなかった。

 もう二度と見られないと思っていた。
 それを言うなら、二度と声を聞くことも、手を握ることも、叱られることもできないと思っていた。
 今更、生きて再会できたのだという実感が全身を駆け抜けた。同時に、紋様がじわじわと広がっているのがわかる。

 ――会いたかったよ、ヨン姉。

 そう伝えるのは、後の機会に取って置こう。これからゆっくりと、色々な話をしていけばいい。今はまだ話せないことも、いつかは――。
 顎を引いて、くくっと喉を鳴らして笑う。

「どうしたの」
 心配そうな声がかかる。
「あー、いや」
 顔を上げた時にはもう、イトゥ=エンキはいつもの人を食ったような笑みを浮かべていた。紋様の広がりも引いている。

「アイツら、下まで連れてくんだよな。手伝うぜ」
「え? うんそうだけど……いいの?」
 首を傾げたヨンフェ=ジーディは、どこか嬉しそうだった。

「もたもたすんなよ、ガキどもー」
 ユリャンでもたまに子供の相手をすることはあった。イトゥ=エンキは嬉々として群れに混じった。
「おにいちゃんだれ?」
「さあ、ちゃんと二十まで数えて手を洗ったら教えてやるよ。ほら、せっけん」
「あーい」
 少女が石鹸の欠片をイトゥ=エンキから受け取る。

(ま、今はこれでいっか)
 まだ考慮しなければならない問題は多くあったが、これからどうすればいいのかの決断は先延ばしにしても大丈夫だろう。急ぐ必要は無かった。
 どうせもう、他に行きたい場所も会いたい人も居ないのだから。

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