23.e.
2013 / 06 / 21 ( Fri )
 いくら何でも気前が良すぎる。そう思ったが、口には出さなかった。こちらにとって都合が良いのだから敢えて不平を言うのもおかしい。

「そんな――」ミスリアは何かを言いかけて顔を伏せた。
 逡巡してから、再び顔を上げる。
「教団との協力関係への感謝……そして代わりに、巡礼を必ず成功させて欲しいとの期待を込めてのことでしょうか」

「……町の偉いさんの考えはわからんよ。わしらが聖女様の成功を願ってるのは間違いないがね。とにかく気にせんでくれい」
 職人は分厚い手で帽子を被りなおした。屈託の無い笑顔が印象的である。

「わかりました。ご厚意、有り難く頂戴します」
 ミスリアが返したのは、民の期待を一身に背負った聖女に相応しい、使命感と誇りに溢れた微笑みだった。
 鍛冶屋の師弟は反射的に手を合わせて頭を下げる。傍らではエンが物珍しげな顔つきをしていた。

「あ、でもそっちの兄ちゃんは何かして欲しいなら払わないといかんぞ。すまんな」
 職人が祈祷の姿勢から顔を上げる。
「当然だな」名指されたエンはまったく気を悪くした素振りを見せずに笑った。「で、それなんだけどー」

 エンは腰の鉄鎖を外し、先端についている細い三又(みつまた)のフックを掌に乗せた。フックは鋭いものではないらしく、鎖を何かに巻き付ける時の滑り止めに見えた。
 歯の二本が歪に折れ曲がっている。

「む。ぼきっといっちゃってるのう」
「いっそ直さずに取り替えてみては? 確か武器屋に似たものの完成品が置いてあるはずです」
「それが良いな」
 職人は己の弟子の提案に首肯した。

「大剣は預けてもらえんかね。ちょうど今、手が空いててな。ちょっと向こうで時間潰してくれればその間に修理するぞ」
「できれば鞘も頼もうと思っていた」
 ゲズゥは大剣を両手に乗せ、差し出す形で応じる。

「あぁ、なるほど。だったら合わせて数日かかるな。とりあえず代わりになる得物を武器屋から借りるといいぞい」
 職人が剣を受け取った。
 ゲズゥはミスリアを見下ろした――この町で何日を過ごす気でいたのか知らないが、一応同意を得る必要はあるだろう。少女は小さく頷きを返した。

「どうか私からもお願いします」
「うむ。この形だと剣を『引き抜く』タイプの鞘じゃダメだな……二つの面を合わせて留め金付けるのがいいじゃろう。それで後ろ手に外せれば……」
 ブツブツと職人はひとりごちる。やがて、弟子の方も案を挙げていく。

「形はお前らに任せる」
 二人の会話を遮るようにしてゲズゥは言った。彼は鞘の質にはこだわっていなかった。
 それに、こういったものは玄人の考えに従うのが一番だ。この二人ならおそらく大丈夫だろう。工房の壁や床など至る所に積まれているさまざまな鉄器の試作品を見るに、腕は確かなようだった。
「おう、任せとけい」

「では後で教会でお会いしましょう」
「はい。案内ありがとうございました、ラノグさん」
 簡単な別れの挨拶を交わしてからゲズゥたち三人は工房を後にした。
 来た道を辿ると、坂を上ってすぐそこに武器屋があった。

 品揃えはそこそこ良かった。ゲズゥは隠し持てるタイプのナイフと予備の短剣を新調し、ついでに曲刀を借りた。際立った特徴の無い、一般的な曲刀である。
 ミスリアにも何かしら持たせた方がいいのか迷ったが、使いこなせないのならかえって危険だと考えて、止めた。

 エンは鉄鎖に付ける新しいフック、直刀、そして黒革の手袋を買っていた。指の第二関節までの長さの、指先が空いた手袋である。

「ふー、いい買い物したな」 
「私も何か買ってみたかったです」
「や、別にいーんじゃねーの、嬢ちゃんはそのまんまで」
「そう思いますか?」

 昼も近い頃、三人はぶらぶらと町をふらついていた。ふいに小さな花壇の前でミスリアがしゃがみこんで、鮮やかな色の蝶を見つめる。
 ゲズゥはその姿を背後からぼうっと観察していた。一眠りしたくなるようないい天気である。
 
 その時、何か気になるものが目の端を過ぎった。首を振り向くと、横でエンが手袋を付けたり外したりと調整をしている。
 奴の手首の内側、黒い革が途切れるすぐ下。そこにミミズが這うような皮膚の盛り上がりがあった。

 ――あれは……いつも手をポケットに入れているからあまり気付かないが、そういえばごくたまにチラリと目に入ることがあった――。
 他人の事情に関与しない主義のゲズゥは、これまでは無視し続けていたのに、何故かその時声を出さずにいられなかった。

「……エン」
「んあ?」
「お前がやたらと姉を避けるのは、その傷痕を見られたくないからか」
 治った痕を見る限り、それはためらい傷と呼ぶにはあまりに深かった。死ぬつもりだったというより、まさに死にかけたのかもしれない。

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