05.c.
2012 / 01 / 13 ( Fri )
 小刻みに震える体を制しながら、ミスリアは馬の首を懸命に抱いた。黒馬はいまだかつてない速さで駆けている。数秒もしないうちに林の中へと突入できそうだ。

 多数の矢が、頭上を通り抜ける。まだ一本も当たらない幸運に感謝しつつ、おそるおそる、左のほうに視線をやった。すると、割と軽装の弓兵の背後に鉄の鎧を纏った数人の兵士の姿があった。右を向いたら、同じような光景が目に入る。
 でも、正面には運良く誰もいない。

「つまらない誘導だ」
 ゲズゥの呟きに、はっとした。言われて見れば、不自然な点が多い。

 矢が当たらないのは、当てるつもりがないから? これではうまい具合に包囲されてしまう。
 あまつさえ、林の中に入ったところに罠が待っている?

「そんな……じゃあどうすればいいんですか!」
 最初から左右を挟まれていたなら、突進するより逃げるべきだったのではないかと焦る。

「…………」
 密着した背中越しに伝わる鼓動は、少しも乱れていなかった。何だかわからないけどこっちまで強引に落ち着かせられる効力がある。

 助かるという根拠がひとつもなくても、信じるだけが唯一の選択肢のようだ。
 林に入ると、一気に周囲が緑色に塗り替えられた。樹の高さとまだ曇り気味の空が相まって、薄暗い。

 矢の雨は止んでいる。
 ふいに、右横から馬蹄の音が聴こえた。

 ゲズゥは馬を操作し、さお立ちに仰け反らせて攻撃を避けた。槍の刃先がミスリアの目の前で空を切る。思わずたじろいだけど、声は出さずに済んだ。

 ――人並みに乗れるなんて言ってた割に、実はゲズゥの馬術は結構のものではないかと思う。鞍なしに乗れるし、方向転換などスムーズだし巧い。どこで身につけたのかとかちょっとだけ気になった。

 黒馬が着地したので、襲ってきた人をみやった。その者は自身の乗る馬を数歩下がらせ、右手に持った槍を構えなおし、二人の正面に立ちふさがった。
 三十路くらいの体格のいい男性が口を歪に引きつって苦笑している。くせ毛の黒髪と褐色肌が印象的だ。鎧を纏っていることから、シャスヴォル国の兵とわかる。

「本当に此処で会えたぞ、天下の大罪人。閣下の書は真実だった。貴様を斬る絶好の機会にめぐり合えた私は幸運に恵まれている」
 くくく、と喉を鳴らして男性は笑う。
 他の歩兵と弓兵が辺りを囲う。

「私はシャスヴォルとミョレンの境目を守る兵隊長が一人だ。名は、」
 男性は当然のように名乗った。ミスリアはもう聞いてなかった。

(逃げ場がないよっ! どうするの!?)
 口で訊くわけにはいかないので、心の中で叫び、後ろのゲズゥを仰ぎ見た。

 すると何故か、彼は少し下を向いてミスリアと目を合わせた。驚いて見つめ返したら、今度は二度瞬きをした。意味があるのだとしたらまったく伝わらない。
 でも、少しだけ混乱と恐怖は和らいだ。
 正面を向き直り、表情を整えてからミスリアは口を開いた。

「こんにちは。私はミスリア・ノイラートです。事情は既にお聞きのことかと思いますが、総統閣下は、五日の間に国境を超えられたら見逃してくださると誓約しました」

「聖女よ、そんなものを信じたのか? 子供の浅知恵だ。たとえ血で誓約を記したところで、所詮は報告書の操作など容易い。その男を今斬り、数日後に死体を首都まで引きずり戻したところで、誰も死した本当の日時を確認しない。事実上、期限に間に合わなかったと報告すればそういうことになる」
 見下ろすように男は笑んだ。
 
 その可能性に思い至らなかったミスリアは、唖然とした。

「他の者は皆貴様を恐れて乗り気でなかったようだが、私は違う。私はこの時を願っていたぞ、ずっと。公開処刑などではなく、私の手で貴様を屠る。楽に死なせはしない!」
 兵隊長は、ゲズゥに向けて敵意をあらわにした。強張った空気に耐えかねたのか、樹の上にいたらしい鳥たちが飛び立った。

「どうして、そこまで……」
 ミスリアの呟きに、兵隊長はカッとなった。

「私の父上はコイツに殺された! 偉大なる大将軍――」
 兵隊長は父の名を叫んだ。

 ゲズゥと兵隊長とを、ミスリアは交互に見比べた。
 告発に、ゲズゥは何の反応も見せない。相手の話を解していないようにすら見える。

「忘れたとは言わせないぞ! 無残に切り刻んで殺しただろう! 決定的証拠がなく、貴様はすぐに姿を消したが、絶対に貴様がやったのだ。私にはわかる! 決して、戦死ではなかった」
 兵隊長は一層怒気を発している。周囲の歩兵たちなどは居心地悪そうに武器を持ち替えたりしている。

 証拠が無いのにそこまで言うには何か根拠があるのだろうか。違ってたらひどい冤罪である。ミスリアは会話に割って入る度胸がないので、はらはらしながら見守った。 

 ようやく、ゲズゥは思い出そうとしてるかのように眉をひそめた。口元が僅かに動いている。
 何か思い当たったらしく、ああ、と小さく頷いた。

「――お前によく似て、褐色肌の、無駄に喚き散らすのが好きだった、ガタイのいいジジィか」
 その言い方に、息子である兵隊長は怒りのあまり戦慄いた(わなないた)。

「アレには、俺の方が恨みがあった。命だけじゃ釣り合わなかったから、生きたままバラした」
 夕飯のおかずを選んだ基準を話してるかのような、何気ない調子でゲズゥは語った。

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