20.f.
2013 / 02 / 06 ( Wed )
 ぽたっ、とどこかで水滴が天井の鍾乳石から滴っては、地面で弾けた。
 アズリの形のいい鼻が頬をかすめた。

「旅の道中、何を見て、聞いて、体験したのかしら? 誰かの生き方に感化でもされた?」
 右耳のすぐ近くに放たれたその一言をきっかけに、今までに関わった面々が脳を流れ過ぎた。

 迷いながらも何か目に見えないモノに立ち向かおうとする小さな聖女。目的を達成する為に、進むべき道を模索し続ける聖人。夢を抱いて命尽きた赤毛の少女と、その遺志を汲もうとする、魔物狩り師を志す少年。高みを目指して飽くことなく進むオルトや、奴に心酔して付き従う元・女騎士。或いは、己の目指す場所を見失って迷走した司祭でさえ、ゲズゥに影響を与えたというのだろうか。

「心当たりがあるのね」
 ゲズゥは無言で瞬いた。アズリの指の背が、頬を撫でる。

 ――わからない。
 誰も彼もが理解しがたく、自分とは異質な世界に生きているのだと割り切っていた。
 割り切っていた、が。他人の在り様を眺めつつ「何故?」と疑問に思う頻度は、近頃上がっているように思えた。ことミスリアに関しては特にそうだ。

「波紋が広がってるわ」
 主語が省かれたので、どういう意味か想像した。――「風無き日の水面が如く揺らぎを知らなかった心に、波紋が広がってる」――?
 サファイア色の双眸に慈しみの色が過ぎったように見えたが、次の瞬間には消えていた。

「それがアナタの今後の人生をもっと豊かにするのか、それとも辛くするだけなのか、私にはそこまで予想がつかないけれど、ね。好きなだけもがけばいいわ」
 しゃらん、と腰回りのアクセサリーを鳴らしてアズリが身を翻した。
 すっかりゲズゥへの興味が失せたかのように、すたすたと歩き去ってゆく。十ヤード先で止まり、こちらに手招きしてきた。呼ばれるがままに、ミスリアを両手に抱えたまま、ゲズゥは歩み寄った。

「そろそろお邪魔するわよ」
 布で仕切られた入口に向けて、アズリが声をかける。
「おう、ヴィーナか。入っていいぞ」
 あの頭領の野太い声が、カーテンの向こうから響いた。

 優雅な仕草でカーテンをどけて、アズリは部屋に入った。ゲズゥが一歩遅れて続いた。
 会議室の役割を担う部屋なのだろう。長方形に削られた、大きな石造りのテーブルが空間をほとんど占めている。
 テーブルの中心に高価そうな蝋燭立てが置いてあった。樹木みたいに大元から枝分かれした形で、十本もの蝋燭が使われている。

 長方形テーブルの両端に――頭領は胡坐をかき、エンは片膝を立てて、それぞれ座している。
 どちらも微妙な笑顔を面(おもて)に張り付けていた。エンは先程の状態が納まったのか、模様が左頬だけになっている。

 闘技場で勃発した乱闘が収まってからも諸々の後始末があったらしいが、ゲズゥ自身は傷の手当や着替えを済ませて、遅い朝食を摂っていた。
 山賊団の問題に関与する気は毛頭なかった。誰かが絡んできても、丸きり無視してやった。
 そうしてミスリアの様子を見つつ通路の隅に座り込んでいた時に、アズリの取り巻きに呼ばれたのである。あの二人の「取引」の結末を見に来い、と。

「気は変わらないのか。イトゥ=エンキ」
 何か落ち込むことがあるのか、頭領の声音は重苦しかった。
「無理。今更だと思うかもしんねーけど、オレはココにいられないんだよ。理由は、知ってんだろ」
 これまで頭領には丁寧な口調を使っていたエンが今は砕けた言葉で、答える。

 どうやらエンの離脱が会話の論点らしい。

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