終 - c.
2017 / 11 / 28 ( Tue )
 慣れと言われても、今すぐにはどうしようもない。セリカは毛布に突っ伏した。タバコの匂いも、意図せずお揃いになってしまった石鹸の残り香も、意識しないように必死だ。
 とにかく間を埋めよう。何でもいいから話を振るのだ。

「それで退位後の、後継者の件は解決のめどがつきそう――]
 言った直後に後悔する。
(ああもう。日頃の激務に追われてるエランに、私的な空間でまで政治の話を振ってどうするのよ)
 毎日結婚式の行事が済んだ後に執務室にこもっていたのも知っている。
 己の至らなさに嫌気がさした。これでは気の利かない女だと呆れられそうだ。やっぱり今のはナシ、って続けようとして顔を上げた。

「二人で決めろと、あいつらに課してからなかなか結論が出ないな。セリカは、どうした方がいいと思う?」
 予想外に質問が返ってきた。話題に気を悪くした様子は感じられない。
 ならばと唇を湿らせて、考えを述べる。
「そうね、適正についてはあんたの方がよくわかってるし。あたしが気になるのは……第六公子なら大公即位までが三年、第七なら九年。空位が長く続いても、周りから付け込まれる隙ができてしまうとこね」

「他の三国で、遠くない未来に動きそうなのがいると思うか」
「少なくともうちは無理よ。知ってるでしょ。あんたんとこに街道を設けたいのは、ヌンディークの主要都市と、果てはヤシュレとの通商を強めたいからよ。大陸の南西海岸四か国の戦争に首突っ込んで以来、食糧難の兆しが見えてきたからね」

 ゼテミアン大公は懇意にしている国への義理立てに、南西海岸に遠征軍を出している。食糧難と言ってもまだ先のことだろうが、父は呑気そうな顔に反して抜かりない君主だ。数年先の情勢を見据えて交易の道を開こうとしているのだ。
 ゆえに、祖国にはヌンディーク公国との友好関係が必要だ。セリカはその為の人質でもある。攻め入るなどありえない。

「協定があるとはいえ、ディーナジャーヤ帝国とヤシュレ公国がどういうスタンスかはよくわからないわ」
「まあ他国の思惑はともかく、いつか帝国の傘下から抜け出たいのが有権者たち過半数の意見だ。協定は恩恵も多いが、最も望ましい形ではないと。長い目で見るなら、独立も視野に入れたい」

「エランがそういう考えだったの、なんか意外だわ」
「私は戦という手段に反対であって独立という目標には反対していない。で、戦を介さずして果たすなら――長期に渡る繊細な交渉が必要だ」
 ふう、と彼は白い霧を吐いた。燭台の光を受けながら、幻想的な形がうねる。

「ベネ兄上は臣下や州民からの信望が厚いが、腹の探り合いに向かない。人格破綻者のアスト兄上、ウドゥアル兄上は論外」
「わかりやすい消去法ね」
「扱いが面倒な親類や貴族をまとめた上で、外交官を管理し、宰相が力をつけすぎないように牽制できるとすれば……ハティルしかいない。父の件で誰より動揺しているのもあいつだが、平静に戻ればもっと広い視野で物事を見渡せる奴だ」

「その線でいくなら、役割分担してアダレム公子を大公にした方が良くない? 九年待つのは痛いけど」
「それもひとつのやり方か。どの道、ここがハティルの檻だ。混沌を根こそぎ失くそうと極論を目指したあいつは、結局は、混沌を宥める中心人物となる。目指していたものはそう違わなかったはずだがな。私に負けたから、私が敷く道を歩むしかない」
 霧越しにエランが笑うのが見えた。この男、実は鬼畜な一面があるのではないか。

「できることなら当人たちに決めさせてやりたいが、いっそサイでも投げるか。結論を先延ばしにして、得られるものなど何もない」
「サイコロって、あんた。投げやりすぎでしょ」
「優柔不断よりはマシだ」
「…………」
 亡き大公を指したのだろう。非常に返答しづらく、セリカはまた毛布の上で横になる。目線だけ、夫の後ろ姿を捉えたままにして。
 ガリヤーンを置いて、エランは後処理をし出す。

「安心しろ。どんなに面倒だろうと、逃げるつもりも見捨てるつもりもない」
「うん。あんたは、優しいからね」
 自分ではわかっていないのかもしれないが、根が真面目で責任感も強い。温かい人だ。心底そう思う。
 エランが唇を噛んだ。つられて、照れくさく感じる。

 会話が止まってしまった。心地良いはずの沈黙が、今夜ばかりは気をそぞろにさせる。
 ――カタン
 喫煙具を片付ける際に、小さく物音がした。それだけのことに驚いて、セリカはびくりと身じろぎした。振動がベッドを通して伝わる程度に。

 物入れに向かって歩き出したエランの背を、よくわからない気持ちで見つめた。怯え、ではない。暴行されかけた時に味わった底冷えのする恐怖と屈辱とは、似ても似つかない心情だ。
 怖いもの見たさとも違う。怖いけれど、先にあるものを望んでいるのか、いないのか。いずれにせよ青年の動向が気になる。

「セリカ、一応言っておくが」棚の前で、彼は肩から振り返った。「何もしてほしくないなら、私は何もしない」
 ――立ち去ろうとしている?
 心臓が見えない手に握りしめられた気がした。
 ――待って。行かないで。
 落胆と、傷付けてしまったのかという懸念で、顔からサッと血の気が引いた。起き上がり、ベッドから飛び上がろうと床を踏む。

「何も、だなんて思ってない……!」
 けれども足の指が絨毯に降り立った瞬間、迷いが生じた。「で、でも、何をするにも、何があるのかわからない……し。何かをしてほしいとは思うけど、たぶん」
 言葉がうまく出てこないどころか途中から共通語ではなく母国語になってしまった。まるでダメだ。泣きたい。

「まずどうして欲しいかを具体的に言ってくれ。私に読心術の心得は無い」
 対するエランの言葉ははっきりとしていて、丁寧だ。
 優しさが眩しい。なんとなく俯いて視線から逃れた。
 ローブの締め付けが緩んで前が開きすぎているな、直さなきゃ、とぼんやり自分の胸を見下ろす。やがて口を開く決心がつく。

「…………もっと近くに来て……構って、ください」
「いいですよ」
 ちらりと目に入った微笑までもが眩しくて、セリカは身を翻してまた突っ伏すしかなかった。
 毛布がずれ、ベッドが軋むのを感じる。



なっげえ。でも多分完結までこんな調子です。
誰だ、イチャイチャさせるとか言ったやつ。甲はHPがすり減っています。

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