終 - b.
2017 / 11 / 26 ( Sun )
 離宮の一角を二人だけで占拠できたのは、新婚だからではなく大公特権からだろう。
 静かでなおかつ警備は万全で、都に幾つと見られない風呂設備が内包されている。破格の待遇らしい。浴場が珍しいという感覚に慣れないセリカにも、内装の華やかさからして、ここが特別であることが伝わった。

(生き返ったー)
 うつ伏せに寝そべり、組んだ腕の上に顎をのせる。寝室のベッドの広さも、以前あてがわれた部屋のそれとは比べものにならない。
「一週間もお風呂に入れなかったなんて信じらんない」
 気が緩みすぎて、うとうとする。召使たちは既に下がらせており、気楽だ。

「お前の国の浴場は大抵、温泉を引いたものだろう。ここにそんなものはない」
 独り言に返事があった。
 入り口にかけられた仕切り布がめくられ、同じく湯上りのエランが入ってきた。被り物以外は、羽織って前を重ね合わせるだけの、砂色のローブを身に纏っている。セリカが着ているものと色違いの内着だ。
 入ってすぐに、彼は物入れの棚を漁り始めた。

「うん。お湯を沸かすのって大変だったのね。水も貴重だし……」
 先ほど使用人たちに、この建物の風呂場にお湯を張らせる過程を見せてもらった。実に大掛かりな作業だった。セリカは何やら申し訳ない気持ちになり、これから冬までは水浴びで済ませようかと検討中だ。
 更には地形や風向きの関係上、ヌンディークの領土は雨が不定期で、一度に得られる水量もそう多くない。降る度に貯蓄するのが常識らしい。水道橋は建てられておらず、主に井戸や貯水槽が生活を支えている。幸いと、この間の大雨のおかげで都の河川と蓄えは当分潤う。

「昔は首都が河沿いにあったくらいだ。戦略的に山の方が護りやすいからと今の位置になったが、国の名が『河の恵み』だからな」
「へえ」
 セリカは感心した。ヌンディークの名にそんな意味があったとは知らなかった。名といえば、と思って首をもたげる。

「エランディーク」
「? はい」
 虚を突かれた表情で、青年が面を上げた。
「呼んでみただけ。いい響きよね」
 どうも、と言ってエランは微妙な顔をした。

「父がつけた。意味は河の星――正確には『河面に浮かぶ星明かり』か。母親譲りの瞳の色から思いついたそうだ。ついでに、国の名と揃えたかったらしい」
「ロマンチストね」
「どうだか」
 壁際の物入れから、エランは喫煙具ガリヤーンを一式取り出していた。部品を腕に抱えて、こちらに近付いて来る。それから彼は絨毯に胡坐をかいて、ベッドの側面に背を預けた。

(母親譲りの瞳の色、か。訊きたいな。お母さんと……傷痕のこと)
 あれからまだ、問い質す機会を得られていない。どうやって切り出せばいいかわからなかったのだ。
 思わず起き上がった。
 今なら自然に話題を繋げられるだろうか。しかもちょうどエランは、ターバンを片手で解いて無造作に脱ぎ捨てたばかりだ。

(どうしよう。せっかく? 新婚……とかいうアレなわけで。暗い話は良くないわよね)
 だが訊き出すタイミングを逸しては、今後もこっそり気にしながら接さなければならない。
(いつまでも黙ってられる自信がないわ)
 かといって相手を傷付けない言葉選びにも、自信がない――。
 悶々と小難しく考え続ける。次第に脳が疲れたのか、大きく欠伸をしてしまった。

「眠いなら、もう寝るか?」
 ガリヤーンを組み立て終えて、エランは石炭に火を点けていた。振り返らずに話している。セリカは、涅色の後頭部に向かって返事をした。
「…………まだ」
 おそらく数日ぶりに二人きりになれたのにあっさり就寝してはもったいない、という思いがある。その他に「寝る」の単語が彼の口から出た途端、変に目が冴えたというのもある。

 この部屋のベッドは相当に広い。広いが、一台しかない。
 世の中の夫婦――政略結婚ともなればなおのこと――は同じ部屋同じ寝具で夜を過ごさなければならない決まりではない。しかし夫が我が物顔で寝室に入ってきた以上、追い払う道理も無いのである。
 エランは答えずに、水蒸気を立ち上らせている。

(声かけもノックもせずに入ってきたってことは、自分の部屋と思っているも同然で。つまり……どういうこと? そもそも「初夜」とかにどういうことも何もないような。あ、うん、頭ぐるぐるする)
 こういった場面での心構えを教わった気はするのに、いざとなると何もまともな考えが浮かび上がって来ない。
 さっきまで気分が良かったのが転じて、吐き気がしてきた。

「吸ってみてもいい?」
 苦肉の策だ。何とかして神経を落ち着かせたい。物入れから酒瓶を探し出すよりも、用意が済んでいる喫煙具を試してみた方が早いと判断した。
「どうぞ」
 エランはガリヤーンを持ち上げて、枝のような長い管部分を向けてくる。
 セリカは管の先を指で摘み、口に付ける。見よう見まねで吸ってみた。すぐに手を放し、咳き込んだ。

「不味かったか?」
「だっ……! 甘いし、美味しいと思うけどね、熱い! うう、水蒸気吸った」
 途切れ途切れに抗議した。苦しい。今更ながら――水蒸気を肺に吸い込むのは、水に噎せるのと同義ではないか。
「お前は何を当たり前のことを。要は、慣れだな」



もしかして旧都はイマリナ=タユスだったかもしれませんね(・∀・)?

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