3. a.
2025 / 12 / 31 ( Wed )
(シャワーを浴びたら掃除でもしてみようかな)
 週末とはいえ、寝てばかりでは自堕落が過ぎる。この家に押しかけて三日目にもなって、ようやくシェリーは朝のうちに目を覚ますことができた。
 陽射しが眩しい、朝の九時半だった。家の主は未だに帰ってきていない。
 リクター不在の中、マスターベッドルームまで入り込んでシャワーを借りるのは気が引けるが、清潔さを保つためこれ以上この問題は先送りにできなかった。

「お邪魔します」
 忍び足で寝室に入ると、しんと冷えた空気に出迎えられた。ここでもタバコと香水の残り香が漂っている。黒と灰色の柄のベッドシーツの上に、脱ぎ捨てられたズボンや革ベルトがあった。リビングと同じで、片付いているとも散らかっているとも言えない、ほどよい使用感のある部屋だ。
 入口から右手奥に、寝室につながる形でバスルームがあった。踏み入ると、タイルの冷たい感触が足の裏をくすぐる。

 シェリーは先にシャワーを付けてから、バツが悪い気持ちで、急いで服を脱いだ。当然ながら、寒い。
 シャワーカーテンは面白味の無い、水色の無地のものだ。バスタブの数フィート上に取り外せないタイプのシャワーヘッドがある。自分も昔はこういう感じのシャワーを使っていたなと、懐かしくなった。今のアパートではシャワー室がバスタブと隣接している形だった。

 意を決し、カーテンをサッと開けて、湯に当たりに行く。
 荷物の中にシャンプーや石鹸は持ってきておらず、この場にあるものを拝借するしかなかった。どれも男性向けの知らないメーカーの製品ばかりだった。石鹸からはミントと、木材を彷彿とさせる香りがする。洗い流す間、終始落ち着かない気分だった。
 木材みたいな匂いは、ウィスキー或いはバーボンを連想させる。飲むのだろうか。だとしたら似合う気がする、などとくだらないことを考えながらお湯を止めた。

(このタイミングで帰ってきたら嫌だな)
 クローゼットの中に折り畳んであったタオルを一枚借りて、手早く髪や身体を乾かした。肌から漂う慣れない匂いに戸惑う。
 左手首を掠めた時、一瞬の鋭い痛みがあった。まだ塞がっていないのか、数日前にできた細い傷口を指先でなぞる。くすぐったいようなかゆいような感覚があった。

(そういえば昨夜……)
 どさくさに紛れて腕をつかまれた時の感触を思い出す。その時は気にしている余裕がなかったけれど、改めて意識してみると、妙な気分になった。
 あんな風に男の人に触られたのは初めてだ。引っ張る力の強さにも、革手袋越しに伝わった体温にも驚いた。
 シェリーは、何年も前にあったひとつの会話を思い出していた。



 大学生活が始まって間もない頃のことだった。ルームメイトは二人いて、片方は勉強一筋の生真面目なクリスチャン、もう一人はその真逆のタイプで、遊ぶのが大好きな明るい子だった。後者は男子にかなりの人気があって、その日も誰かから交際を申し込まれたという話をしていた。返事は保留にしたという。

「受ければよかったじゃない。いまあなた、これと決まった彼氏がいないのでしょう」
 真面目な方の子は男子に興味が無いことを名言していたどころか、「近付きたくない」や「理解不能」とすら言っていた。この手の話題には常にそっけなかった。
「悪い奴じゃないんだけどねえ。顔も好みっちゃ好み……なーんかピンと来ないんだよね、好きになれる気がしないっていうか」
「なら誰にでも思わせぶりな態度をとるの、いい加減にやめたら」

「アタシは普通にしてるだけなんだけどなあ。ね、シェリーはどう思う? 試しに付き合えばよかった?」
 今にして思えば、彼女にとって相談相手は誰でもよかったのだろう。シェリーに交際経験が無いと知っていて、話を振ったのだった。
「私は、好意を向けられるのは嬉しいけど、自分が同じくらいの気持ちじゃないなら付き合うのは失礼だと思うかな」

「でも知らないひとでも、付き合ってみたら案外好きになったりするもんだよ? 相性が良ければ」
「その相性とやらは、どうやってわかるのよ」
 もう一人のルームメイトは教科書に目を落としたまま話していた。
「触ってみればわかるよ。生理的に合わない人は、最初から最後まで無理だから。性格を好きになれても、異性の魅力を感じないのはどうしようもないんだ。恋愛として成立しない」

 それが彼女の持論だった。
 中学(ミドルスクール)の頃から試行錯誤を繰り返すように幾人も男性と付き合っては別れていたらしいが、最終的にちょうどいい相手に巡り会えたのかは、シェリーの知るところではない。




マスターベッドルーム伝わりますかね? 家主が使う一番大きい寝室。

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