3. e.
2026 / 01 / 07 ( Wed )
「私は今でも、あなたの方が頭が良いって思ってるよ。昔宿題教えてもらったからとかじゃなくて……物知りとかそういうのでもなくて。いろんなこと見てて、考えてて、気付いてる。知恵……なのかな、私の方が教育機関に通った年月が長くても、一生追いつけないレベルにいると思う」
 言い切ってから、シェリーは自身の指先を見ていた。なんとなく目を合わせづらい。
 鶏の形をした可愛らしいキッチンタイマーが鳴った。

 リクターはカウンター下のキャビネットからザルを取り出した。無言で鍋を持ち上げ、中身をザルに通し、五秒ほどマカロニを水洗いをしてから二つのボウルに盛った。均等ではなく、3:1くらいの割合だ。流れるような所作だった。
 シェリーが前もって小皿に用意しておいた調味料を混ぜ込んで、完成である。微量のパルメザンチーズとパセリが飛び跳ねた以外は、なんとかシャツを汚さずに済んだ。
 量が少ない方のボウルを渡された。

「それ持って、座れ」
 言い終わるなり口にフォークを咥え、男はソファを示した。
 シェリーは素直に指示に従った。
 次に彼はテレビをつけた。数回ほどチャンネルを替えてからリモコンを脇に置き、食べ始める。
 湯気の立つパスタをつついて、あの、とシェリーはおずおずと切り出す。

「やっぱり怒った?」
 訊くタイミングが悪かったようだ。マカロニを頬張って咀嚼していたらしい男は、ぐっと飲み込んでから、答えた。
「おまえの感じ方の是非はともかく。頭が良いって言われて悪い気はしねえよ」
「あ、そうなんだね。よかった」
 ごくん、また飲み込む音が返る。
 熱いうちに自分も食べよう――シェリーもフォークを動かした。

「そういうすぐ礼を言ったり謝ったり、相手にちゃんと反応するとこ、育ちなんだろうな。オレはあの母親苦手だったけど。なんだかんだ、おまえは愛されてたんだなって感じがする」
 突然何の話かと思ったが、しばらくして、相槌を打った。
「うん……私も、そう感じてるよ」
 だからこそ苦しい。溢れんばかりの愛と重すぎる束縛の間で、自我を擦り減らしながら成長してきた。

「それでも、もっと早く逃げるべきだったんじゃねえのとも思ってる。まあ、他人にとやかく言われたかないかもだけど」
「逃げるべき、か……」
 ――あ、私がこの人に会いたかった理由って。
 大人になる過程で、取りこぼしてしまった自分らしさ。かつて一番仲が良かった者と過ごせば、再びそれが形になる気がしていた。実際こうしてただ喋っているだけで、とても充実した気分になる。

 それでも家族の話は辛かった。シェリーが肉親と死別したばかりだからというだけでなく、相手にとってもまた、家族は複雑な想いを抱く対象だからだ。
 目に滲んだ水分を袖でこすり、話題を変える。

「ね、もしかして写真を撮るのが好きなの」
 瞬間、なぜかリクターは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「違った? さっき仕事で写真がどうとか言ってたし、あの箱の中の写真もあなたが撮ったものかと」
「いや……あってる」
 言いづらいのだろうか。ボウルの中のパスタを食べ終わってから、彼はひとつ溜息をついて、語り始めた。

「ハイスクールの一時期、ヤケになってて。勉強はまあまあ好きだけど、家を見てると全部無意味に思えたっつうか……大学行く金もねえし」リクターは思い返すように視線を宙にさまよわせ、フォークの先をガシガシと噛んだ。「むしゃくしゃして適当な喧嘩売ったり買ったり、軽い万引きとかやってた。ある日捕まって、見かねたスクールカウンセラーから『パートタイム(バイト)でもしてみろ、それともっと建設的な趣味を探せ』みたいに言われた」
 言っただけに留まらず、カウンセラーはいくつかバイト先の紹介をしてくれて、安いポラロイドカメラも買ってくれたらしい。

「いい先生だね」
 彼にも案じてくれた大人が居たのだと知って、安心した。
「助言は的を射てたんだろうな。新しいスキルを学ぶのも、金を稼ぐのも楽しかった。写真も気が向いたら撮ってる程度だけど、続けてる」
 スウェットパンツのポケットから、使い捨てカメラを出して見せた。実はいつも持ち歩いてる、と呟いた。

「その人は今はどうしてるの?」
「何年か前に膵臓ガンで逝っちまったよ。……別れを、言う間もなかった」
「そっか。残念だね」
 こういう時、あまり余計に言葉を重ねてもどうにもならない想いがあるということを、シェリーは知っていた。

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