66.b.
2016 / 12 / 31 ( Sat )
「ではそのように計らいましょう。記録係、お願いします」
 猊下の一言から、要人たちは書類を更新する為に大仰な扉の向こうにまた消えて行った。大使は未だに不服そうにしていたが、きっと他の二人が説得して下さることだろう。
 カイルサィートは折を見て席をより前の列の方へと移動した。眼前で、ミスリアたちが会話している。

「もしかして今、ものすっごくうんざりした顔しませんでした?」
「……気のせいだ」
「そうですよね。あ、お礼なら要りませんよ。だって私たちは迷惑かけたりかけられたり、半永久的に助けたり助けられたりする仲ですよね」
 にこやかに宣言する少女。ハッ、と青年は微かに笑ったようだった。

「ああ、礼は言わない。十五年が三年になったのは、『よくやった』」
 褒められたミスリアは満面に微笑みを浮かべる。それからしばらくして、俯いた。
「三年なんてあっという間ですよね」
 自分に言い聞かせるような声色だった。

「出逢うまでの二十年に比べると、随分と長そうに感じるが」
「い、いくらなんでもそれは大袈裟ですよ……」
「事実だ」
 ――ジャラリ。
 瞬きの間に、ミスリアが移動していた。手足を鎖で繋がれている青年に、人目も憚らずに抱きついたのである。
 観衆はひそひそ話を繰り出したが、大っぴらに口を出す者は居なかった。そこには、第三者がおいそれと侵せないような空気が流れていたからだ。
 二人は互いに何かを耳打ちしてから、離れた。

「生きていて、くださいね」
「そっちこそ。石みたいな味の飯が出ても、残らず食うことだ」
「任せてください。石でも砂でも、最後の一粒まで食べます!」
 それには、傍観していたカイルサィートが思わず噴き出した。二組の双眸が驚いてこちらを向く。

「ああごめん、邪魔するつもりじゃなかったんだ。でもミスリア、砂は食べなくてもいいんじゃないかな」
「砂は栄養に……なりませんか?」
 これから長い年月を独房で過ごさねばならないというのに、彼女は実に楽しそうに手を合わせてくすくすと笑っている。つられて、カイルサィートも自然と笑んだ。
「君たちは変わったね。なんていうか、明るくなった感じがする。楽しそうで何よりだよ」
「ありがとうございます。カイルも、また会える日まで絶対に元気でいてくださいね」
 少女が両手を前にして歩み寄ってくる。なのでとりあえず伸びてきた両手を取って引き寄せ、意味もなく笑い合う。
 その間、脳裏では少し前の会話を思い返していた。

 ――カイル、私は聖女であることが誇りです。でも大義を果たせた今、新しい目標に向かって歩みたい。これからの私が望む人生、は――
 
 気が付けば小さな手をぎゅっと握り返していた。

「うん。君たちは、君たちの好きなように生きればいいんだよ。これまで一杯、頑張ってくれたんだから。後のことは僕たちに任せて……魔物信仰の残党対策も、ね」
「はい、頼りにしてます」
 でも無理だけはしないでくださいね、とミスリアは小声で付け加えた。「秘術って寿命を消費して使うものだとか」
「え、そうなの? それは初耳だよ」

「全知全能空間から持ち帰ってきた、ほんのちょっとだけの知識です。実は術式も幾つか憶えてるんです……」――そこまで言って、ミスリアはキッと眉根を寄せた――「でも教えません。カイルも、たとえ今後出世しても、長生きしてくれないと嫌ですからね。秘術は使っちゃダメです」
「ありがとう。善処するよ」
 ぎぃいいい、と扉が大きく軋んだのを合図に、ミスリアがトコトコとゲズゥの傍に駆け戻った。

「君も、またね。三年間頑張って」
 無言で佇む青年にも、カイルサィートは挨拶を投げかけた。
「……そうだな。こう何度も再会できたなら、おそらくまた会えるだろう」
 と、彼はつれないながらもちゃんと返事をくれた。

 やがて組織の成員が近付き、二人の身柄をそれぞれ確保した。
 彼らが自身の決断により引き離されてゆくさまには、言いようのない哀愁があった。

_______

 首都の外れの刑務所にある「遮断独房」は、去年から三人の囚人によって使用されている。中年の男が一人、若い男が一人、そしてなんと若い女が一人居る。
 三人の内、中年の男はもうそろそろ駄目だろうと看守は踏んでいる。近頃は食事を持って行く度に必死に会話をしてくるのだ。看守は気の向く程度にしか受け答えをしないし、あの男とは何を話しても面白くないので、無視している。このまま行けば囚人は発狂するしかないだろう。

 残る二人は妙に平静を保っていて、気味が悪いくらいである。
 二人がこの牢獄に居ることは極秘事項だ。なんでも男の方は一時期世間を騒がせた「天下の大罪人」で、女はその懲役を共に負担しているとのことだ。女は以前は世界を救った聖女だと言うらしいが、看守には世界が救われたという実感がそもそも無かった。町中の人間が聖獣の姿を見上げて感動していた間、彼はただ黙々と仕事をしていただけである。

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