65.a.
2016 / 12 / 15 ( Thu )
 金色に光り出した湖を取り巻くのは、侘しい静けさであった。
 或いは頭の中の汚濁が濃すぎるあまりに、五感が使い物にならなくなっているだけかもしれないが。今にも潰れそうになっている自我を、とある単調な行為によって繋いでいる。
 ――数えている。

 歪んだ視界の中に降り積もる白を睨む。当然ながら、結晶を数えているわけではなかった。
 数が二百を超えたところで意識が僅かに晴れた。そうして、弟が横から何かを訴えかけているらしいことに気付く。雪がどんどん積もってきた、このままでは冷える、せめて食べるか水を飲むかしよう、などと言っている気がする。
 言わんとしていることはわかるが、自身は寒さを感じなくなっていた。最早、感覚というものが故障しているようである。元を辿ればそれは、生存本能すら壊れているようでもある。

「弟」
「……うん」
 遅れて返った返事は、訝しげだ。
「三百数えると何分になる」
「五分くらいだけど。何でそんなこと訊くの」
 答えずにゲズゥはその場に膝をついた。ぐらりと上体が傾ぐ。視界に映っているのが膝なのか地面なのか、境目が曖昧だった。息は荒く、吐き出す度に浮かぶ湯気が鬱陶しい。

 あといくつ数えれば――
 二百の位から続ける。七十七、七十八、七十九――と、いつしか声に出していた。
 横から心配そうなリーデンの声がするが、無視して三百まで数え続けた。達成すると、淡い光を発する湖に向き直る。

「五分、経った。あいつは目的を果たし、俺は、確かに約束を守った」
 直後に水面が揺れたのは偶然だったのか、それともこちらの宣言に対する呼応であったのか――真相は謎である。
 手を動かした。僻地にまでわざわざ苦労をかけて持ってきた、唯一の私物に向かって。
 ガチャリ、と音がした。柄に圧をかけて、鞘のカラクリから解放した音だ。
 足を一歩前へ踏み出した。

「兄さん、待って」
 呼び止める声に振り返ると、言葉を失くしたかのようにリーデンがぱくぱくと口を開閉していた。
「止めるな」
「や、止めるに決まってるでしょ。何考えてんの」
 掴みかかろうとする手を、ゲズゥはひらりとかわす。

「このタイミングで剣を抜くなんて、正気!?」
「…………」
「――な、わけないか……!」
 苛立ちに激しく髪を搔き乱す弟の目は、道を見失った迷子を彷彿とさせた。その心情を乱している原因が己にあることに、一種の後ろめたさを覚える。

 頭では全てを理解していた。聖獣は蘇らなければならない――そうでなければ、ミスリアの努力は水泡に帰す。
 聖獣の働きが無ければ、大陸は救われない。それも、わかっていた。

「お前はもう帰れ。これ以上、付き合う理由が無い」
「付き合うとかそういう次元の話じゃないからね!? 聖女さんがいなくなったからって、僕らが家族なのは変わらな――」
「帰れ。不毛だ」
「――!」
 リーデンが噛み付きそうなほど凶暴な表情をしているが、意に留めない。
 そう、不毛なのである。頭ではわかっていた。

 前後に反転する。瞬間、湖からとてつもなく眩い光が昇った。
 続けて、水音ひとつ立てずに、輝かしい巨躯が出現した。聖画に描かれていた像の面影が多少あるものの、実物はサンショウウオなどとはまるで似付かず、角ばった輪郭が恐怖か畏怖を掻き立てる。

 こちらを見下ろす頭部は、一点に向けて尖っていた。鼻は爬虫類のそれよりも遥かに鋭い。しかしよく観察してみると鼻や口と呼べるような開口部は見当たらないので、尖端を鼻と呼ぶべきかは不明だが。
 それにしても、その表面と面貌のなんと不気味なことか。

 ――こんなモノが生物であるはずがない――

 足が竦んで身動きが取れなくなるという、滅多にない経験をさせられる。
 剥がれ落ちた鱗が水晶と化したのではなく最初からその身は水晶に覆われていたのか――と、木の枝に似た形の二組の翼を広げる獣を見上げつつ、思った。
 瞳と思しき玉は六つ。左右にそれぞれ三つ付いていて、角度によっては虹の六色に変動して見える。

 どこにも焦点を定めていなかった三組の双眸が、ぐっと正面を向いた。見透かされている不快感が全身を駆け巡る。
 それでも怖気付くことなく対峙した。ゲズゥは乾いた唇に唾をつけて、大剣を構え直した。

「返せ」
 宙に浮いた圧倒的な存在に、ただそれだけを要求する。



ラスボスが魔物信仰集団だと、いつから錯覚していた…?

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