62.h. +拍手コメ返信
2016 / 09 / 24 ( Sat )
「我々を活用とは随分な言い草だな」
 女の声に振り返る。
「あれ、お姉さん」
 女は掌に乗る大きさの物を投げ渡してきた。条件反射で、左手で受け取る。荷物に積んであった非常食の乾パンだ。次に水筒が飛んでくる。

「これで力を付けろ。ああそうだ、口のきけない女は何事もなく馬たちと居るぞ」
「マリちゃん? 見てきたの」
「魔物退治のついでに寄った」――女は表情を険しくして前方を振り仰いだ――「この丘の向こうは山岳地帯、傾斜が厳しくて道も狭い。ソリは置いていくしかない」

「だね」
「正直生きて帰れる確率は、百中、一桁と無いかもしれん。だが行かないと言う選択肢はそもそもありえない」
 ありえないね、とリーデンは兄をチラリと一瞥しながら同意した。そっぽを向いていて表情が見えないが、心中は大体察せる。

「あんな新鮮な恐怖を味わわせてくれたんだ、きっちりとお礼はしないとね」
 無意識に舌なめずりする。女は、一度首肯して同意を見せた。
「フォルトへ、笛を持っているな」
「はいここにー」
 上司の呼びかけで、部下が懐から銀色の笛を取り出した。頂点(ケデク)の大烏を呼ぶ為の代物らしい。烏の足に文を括り付けて、組織に帰すのだと言う。
 待っている間、リーデンは乾パンと水を兄と分けつつ腹に収める。

 ――ピィイイイイイ――
 高音が夜空を切る。
 辺りは吹雪の気配が強まっていた――。

_______

 ふと、気が付く。
 誰かの声で目が覚めたのかもしれない。

 ――して……ちを、……少し――

 水を伝って会話を聞いているような、曖昧な音だ。
 五感が遠い。
 麻痺していると言えばいいのか。肌を赤く擦り減らしている冷風は感じられないし、怪我をして痛んでいるはずの部位がどこだったかも思い出せない。

 視界がぼやけていながらも動いているので、移動している、というのはなんとなくわかった。
 自分の足で歩いているのではない。身体が動かせないのだから、そんなはずはない。
 両腕を左右から掴まれて雑に引きずられている。
 前方を歩くは、曲線なだらかな肢体――女性の後ろ姿だ。オンブレと呼ばれているのだったか、長い髪の色は根元が赤黒い色に始まり、毛先にかけてだんだんと色が明るくなる。
 女性はおもむろに立ち止まって、振り返った。

 ――きみにぜひ、見てもらいたいものがあるんだ。
 彼女の言葉に、はいともいいえとも答えず、ただ首を傾げる。
 ――もっと近くにおいで。
 声に引き寄せられるかのように、近づいてゆく。実際には、引きずられている。
 地面を擦る服の裾が汚れて破け、膝頭からは血が出ている。それでいながら、痛みは感じない。

 女性の隣に並べ立てられ、手すりのような何かにもたれかけさせられる。そこはバルコニーのような場所だった。四角い広場を観察する目的で作られているのか、広場を取り囲む四つの壁にそれぞれついている。
 広場には、向かって右に巨大な檻がひとつ。左に、何か揉め合っている様子の男性が二人。
 ――檻の中に大きな魔物が居るだろう?
 こくん、と頷いた。

 ――あのお方こそがぼくの先祖、コヨネ・ナフタさまだよ。ラニヴィア・ハイス=マギンの元を去った後に、魔物の研究を先駆けた人だ。
 ラニヴィアさま、と半ばオウム返しをする。
 ――ラニヴィアは、信仰の統一なんてつまらないことをした女だよ。あれから崇める対象の自由が失われて、洗脳が始まった。ご先祖さまはそんな未来が来るより先に、魔物の可能性を見出したのさ。
 かのうせいですか、と上の空で答える。

 ――そうさ。教団は教えを摂理だと説いているけれど、それはあくまで表裏一体の現象の片面だけだ。人の素行を望むように捻じ曲げる為に、そう教えているんだ。ご先祖さまだけが別の真理を追い求めた。
 女は不敵に笑った。
 どうして私にこんな話を、とゆっくりと訴えかける。
 ――どうしてかって? きみへの憎しみと、愛しさゆえだよ。さあさあ、注目するんだ。

 彼女が示す先を見下ろす。
 途端に、現世のあらゆる苦痛を凝縮したような凄まじい悲鳴が広場から上昇し、四方の壁にこだましてバルコニーまで届いた。
 僅かに世界に彩りが宿った気がした。
 見える。片方の男性が、もう片方を組み伏せて殴りに殴っている。血反吐を吐いている方は、諦めずに殴り返している。

「そこだ! やれ! 殺せ!」
 周りの人々がわっと歓声を上げる。心底楽しそうに観戦している様子だ。
「悪趣味ですね」
 ミスリアは、淡々と指摘した。
「あはは、きみがそう思うのは、まだこの行為の真価が見えていないからだ。ぼくらは探究者だよ。かれらは自ら望んであの場に立ったんだ。生き延びた方が、コヨネさまに喰われる権利を得る……この上なく名誉なことだよ」

「はあ、そうですか」
 未だ水を通して聞いているように、自分の声もくぐもって聴こえる。
 繰り広げられる死闘をぼんやりと眺めながら、ミスリアは手すりの上で手を組んで顎をのせる。
「きみは知っているだろう。この世界では、生者は死者に囲まれて生きている。きみたちの教団の介入さえなければ、魔物は不滅だ。地上では常に生きた人間よりも死んだ人間の方が数多く蔓延っている、そうだね?」

「貴女は、大陸中を旅して魔物の数でも数えたのですか」
「そんなことをしなくてもわかるよ。人間としての寿命は平均で何年だい? 四十、五十年かな。では魔物は?」
「…………」
 気怠さのあまり、ミスリアは口を動かそうとも思わなかった。
 眼下の広場では決着が着いたのか、一人の男が膝立ちの姿勢から勝利の拳を突き上げている。

「人間の肉体に囚われたつまらない人生じゃない、魔物とは――解き放たれた『永遠の命』の形なんだ! 質量や体積の限界なんて無い! 時間の流れに沿って存在が褪せることも無い! 喰らい合うほどにソレは膨れ上がり、普遍さを体現する!」
 プリシェデス・ナフタが急に声を荒げた。
「こんなに素晴らしいことって無いだろう!?」
 その勢いで手すりの上に上った。絶妙なバランスを保って、彼女も拳を突き上げる。
 他のバルコニーの者がプリシェデスの姿に気付いて、更に色めき立った。

「善行に励んで天上の『神々へと続く道』に辿り着くのが真にヒトの生き甲斐であり使命であるなら、何故魔物は存在する? 何故神々は魔物が発生しない理を創らなかった!?」
 ――問いの答えがわからない。
 聖女ミスリア・ノイラートはただ静聴、傍観する。
「魔物が人類の進化の終着点だからさ!」
 ――狂っている、その感想が湧き出て来なかった。そもそも彼女は本当に狂っているのだろうか。これもひとつの摂理の解釈なのだろうか。
 違うと言いたいのに、思考回路が強引に方向転換させられる。納得――或いは共感、しそうになっている。

「……魔物を、つくる……サエドラでも似たことがあったような……」
 ぽつりとミスリアは呟いた。
「ああ、ウフレ=ザンダの町だね。あれらも、コヨネさまの教えに触れたのさ。記録には、弟子の者が流浪の旅の最中に寄ったとあったかな。ふ、あんな辺境の蛮族だけで答えに至れるわけないじゃないか」
 はあ、そうですか、とまた空返事をする。
 姉の死を――そしてエザレイの不幸を引き起こした事件の話だと言うのに、心は動かなかった。
 ミスリアは己に起こった異変を、まだ自覚できずにいる。

「きみも参加してみるかい」




拍手コメ返信@ 62.g. はるさま

1ニマニマいただきました、やった! 二章でのさらわれイベントで「助けに行くか否か」でちょっと葛藤してた彼が今やこのザマw

ミスリアを心配してくださってありがとうございます… ええ、ここからもジェットコースターです。是非、絶叫しながらお付き合い下さい。
いつもお読みくださってありがとうございます!

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