62.i.
2016 / 09 / 26 ( Mon )
 血だらけの広場を改めて見渡す。

「……勝者は食べられるそうですけど、敗者はどうなるんですか」
「息絶えて魔性に変じるもよし、変じないなら別の魔物に喰わせてもよし」
「むごいですね」
「そうかな」
「死してなお苦しむのでしょう」
 ミスリア自身は死を生からの解放とは考えていないが、生以上に辛いのはいかがなものか、と思う。
 プリシェデスは気持ち良さそうに大笑いして、手すりから降りた。

「それは違うよ、聖女サマ。生きていてもこの世は苦しみしか与えてはくれない。どうせ生きていても死んでいても苦しむんだ、穢れを受け入れて最期には魔に転じることが、終わらぬ苦しみへの解答ではないだろうか」
 ――そうじゃない、神々はそんな願いを込めて魔物が発生する仕組みを創ったのではないはずだ、と反論する力も無く。
 頭の中で不協和音を作っている、魔物たちの声を想う。
 自身の成れの果てを喜んでいる者の声は、こんな風に響くだろうか。こんな風に、生者を誘い招くだろうか。一緒になって欲しい、喰う相手が欲しい、と渇望するだろうか。

 五感に混じる雑音を想う。
 彼らは本当は現状から脱したくて暴れているのではないか。
 生者を引きずり込んで、他者を巻き込んで、仲間を増やして、少しでも自分を正当化したいだけではないか。これでいいと満足しているなら、もっと楽しそうに人間を喰らいそうなものだ。

 摂理から外れ、歪んでしまった存在は、在るだけで苦しいのだとミスリアは想像する。毎朝陽の光を浴びて霧散し夜にまた再構築される過程は、世界そのものから拒絶されているようで、きっと辛くて虚しい。
 では何故存在しなければならないのか。結局そこがわからないのなら、この集団の在り様を否定することはできない。

「ごらんよ、これがこの世の奇跡。生物が、完全なる霊的存在となって具現化されるとき――」
 最後まで聞かずに、ミスリアは息を呑んだ。
 何度か瞬きをすると、視界がみるみるはっきりしていった。五感を妨害していた雑音が急に止まったのである。
 ――キセキ。
 その単語をきっかけに、記憶が呼び覚まされる。

『ああ。そうだったな……お前は、奇跡を起こす女だった』

 微かな笑顔が脳裏を過ぎる。
 肺がぐっと縮まって息を吐き出す。次の呼吸がうまく繋げられずに喘いだ。この空間に充満している悪臭に、眩暈がした。
 まるでどこか遠くに飛んでいた自分の意識が、身体に呼び戻されたような感覚だ。
 心は耐え難い状況の重圧に潰れたのではなく、逃げていただけだった。
 己の弱さを反省する。感じることさえ放棄した時間を、深く恥じた。

(私は覚悟を決めたのに。どんなに強烈な人生観を見せ付けられても、信念を貫くだけ。私の役目は変わらない……!)
 広場では、劇的にとどめを刺そうとして雄叫びを上げる勝者、今にも命の灯火が消えそうな敗者の姿がある。急がねば手遅れになると、すぐに理解した。
 ミスリアは息を力いっぱい吸い込んで、口を開いた。

『尊き聖獣と天上におわします神々よ。聖なる光をお貸しくだされ、天地を清め地上人をお導きくだされ――』

 短い人生の内に数えきれないほどに奏上してきた祈言の出だし。
 紡ぐ。聖なる因子の流れを促す、祈りを。

「何してやがる!?」
 プリシェデスの近くに控えていた男性が叫ぶも、意に留めず。
 ミスリアは右の掌をかざし、聖気の流れを広場に向ける。
 突如、体当たりされる。
 思わず目を瞑ったけれど、何かにのしかかられたのは明らかだった。ユリの香りに包まれ、肋骨を圧迫する硬いものがプリシェデスの膝だと知る。幸い、祈言を一通り言い終えた後だ。

「余計なことをしないでおくれよ、聖女サマ」
「……余計、でしょうか。貴女には貴女の主張があるように――私にも私なりの主張がありま、す……」
「死にたがっている者を無理矢理生かしているようにしか見えないけれどね。かれらが何度でも死に挑めば、その都度引き戻すつもりかい。きみこそ、むごいね」
 どう言い返せばいいのかわからなかった。
 その隙に、バタバタと足音が石畳を打つ。あっという間に大勢の人に取り囲まれた。

「教主! あいつら傷が全部完治した上に、戦意までごっそり失くしちゃってますぜ! やっぱりペンダント没収すべきだって言ったでしょ。あの光に当たって、もしもコヨネさまに万一のことがあったら……」  
「じゃあおまえたちがおやりよ。悪女ラニヴィアの教団の象徴なんて、ぼくはさわれないよ」
「勘弁してください教主……あんたが嫌がったのと同じ、おれたちだってあんなもん触りたくねーです」
「ふむ、そうだね。どうやらぼくらではきみをこれ以上脱がせることはできないようだ。よかったね」
 ――蹴られた。ミスリアが呻き声を漏らす間も無く、追い打ちの攻撃が肺から空気をさらう。

「なんて、言うと思ったかい」
 ビリリと破ける布の音。背中が石畳から浮き上がるほどの衝撃が素肌に弾けた。
「教主様。その娘は聖女だったのですね」
 人だかりから何者かが進み出た。視界が滲んでよく見えないけれど、齢五十は超えていそうな男性だ。
「そうだよ。ああ、そういえばお前は元聖人だったね。気になるかい」
 プリシェデスが何気なく零した情報に、ミスリアは愕然とした。今、なんと言ったか。

「よろしければ、その娘のアミュレットは私が外しましょうか。穢れを蓄積してから私はもう聖気を扱えませんが、貴女がたと違い、聖気の器に全く触れられないわけではありませんので」
「なるほど、頼んだよ。二度とあの光が出せないように、いっそ壊しておくれよ」
「お任せください」
 男性は屈み込んで、ミスリアの胸元に手を伸ばす。



主人公が怖い目に遭うことはあっても、ここまでの暴行を受けたのは初めてでしょうか。
頑張れ主人公! 魔物を指差して「私のご先祖様なの☆」とかぬかすクレイジーな連中に負けるな!

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