55.i.
2016 / 04 / 25 ( Mon )
「カタリア…………? じゃない、か……似てるけど、幼すぎる」
「え」
「誰だ」
 不可解な発言に続いて、男がミスリアに顔を近付けようとした。

 一歩、二歩。ゲズゥは大股で近付いて、間に割って入る。
 そこでシュエギは初めてミスリアの他にも人間が居ることに気付いたようだった。
 パニックに彩られた視線があちこちを飛び跳ねて、他の面々を順次巡っていく。

「おまえは――おまえらは、誰だ!?」
 物狂わしい叫びが嫌に煩く鼓膜に響く。思わず身じろぎをした隙に、ミスリアが背後から飛び出て、惑乱の真っ只中にある男の肩を小さな両手で掴んだ。
「落ち着いて下さい! 私は聖女ミスリア・ノイラートと申します。カタリア・ノイラートとは血の繋がった姉妹です! 似てるのはそのためです!」

 びくりと男の筋肉が痙攣して、静止した。

「姉妹」
「はい、そうです」
「あー……あいつ、歳の離れた妹が居るって言ってたな」
 感心して息をついたのも束の間、シュエギは表情を歪めて口元に手をやった。次いで上体を捻ってミスリアの縛を逃れ、後方の茂みに向かって反吐を出した。

 極度のストレスか怪我の後遺症が原因か、生理現象はしばらく続いた。
 この機にゲズゥは今一度状況を分析した。そして直感に従い、抜きかけていた短剣を鞘に戻した。

「はいはーい。ちょっと整理しようかー」
 焚火から離れてこちらに来たリーデンが、男の隣で膝を揃えてしゃがむ。膝の上に組んだ腕をのせ、にっこりと笑った。
「記憶と人格の統合は済んだかな」

「……あんたは、いやあんたらは――……俺が道端で寝てた時に、出会った――んだったか」
 胃の内容物を一通り大地に還したシュエギが、しわがれた声で答えた。
「正解だよ。とりあえずお湯飲むー?」
 無音で現れた従者の女の手からリーデンの手へと、水筒が渡る。男は有り難そうにそれを受け取ってごくごくと飲み干した。空になった水筒は三者の間を、今度は逆の順に渡って戻る。

「君は、自分がダレなのか思い出したんだね」
 リーデンが問いかけると、男はおもむろに胡坐をかいた。数度の咳払いを経て、答えを語る。
「俺は『エザレイ』って名だった。エザレイ・ロゥン。聖女カタリア・ノイラートに誘われて、大陸を旅してた……いや、旅するところだった……?」
 取り戻したばかりの記憶が定着しないのか、実名をエザレイと名乗った男が、目を泳がせている。
 これでは未知の「箱」の蓋はまだ開いていないのと同じだ。

「ロゥンさん。改めて、気分はどうですか」
 ミスリアが恐る恐る問うた。
「ああ、さっきは怖がらせて悪かったな、カタリアの妹。気分は良くないが、一応生きてる。あんたのおかげだ。ありがとう」
 男は座したまま、深く頭を下げた。

「礼には及びません――」
「そうじゃないでしょ、聖女さん。僕らが訊きたいのは体調のことじゃないよね」
 裾をはためかせてリーデンが立ち上がる。男に目線を合わせたしゃがんだ体勢から、見下ろす体勢になった。

「ずばり、君は、全部思い出したの?」
 容赦なく主点を探るリーデン。
 蒼白な面に暗鬱とした笑みを浮かべ、その男は応じた。
「…………全部じゃない」
「ふうん?」

「全部じゃねえよ。一番肝心なトコだけ――あいつらと会えなくなった時期の、前後一か月くらいの記憶だけがまだ霧の向こうだ」
 ――やはり箱の蓋は開き切っていなかった。
 ゲズゥは何とも言えない心持ちでミスリアの反応を窺った。小さな聖女は拳を握り締めた以外には、これと言って動きを見せていない。

「使えない奴だって思ったか?」
「うんまあ、ぶっちゃけ思ったけど」
 包み隠さずに答えたリーデンを見上げて、男は陰鬱に笑った。

「銀髪、あんた俺に怖いかって訊いたよな。そりゃ怖いに決まってる。忘れてないと生きてられない過去なんて、絶対ろくでもないだろ。取り戻したいわけあるか」
 数度咳き込んでから、続ける。
「でもいつまでも大事なモノが欠如したままなのは、それはそれで、気持ち悪い。こうなったら腹括るしかない」
 男の自嘲気味な嘆息が、先ほどの叫び声とは違った意味で鼓膜に長く残った――。


ん~~、あとがきはなしでいっかな? 次回でお会いしましょう!
エザレイは「あんた」で他人を指します。混乱してた間だけ「おまえ」になってました。

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