54.h.
2016 / 03 / 26 ( Sat )
 男の投げた槍のような物が、ゲズゥにまとわりついていた敵の片方を弾いた。肉を裂いたのではなく鉄を打った音がしたので、致命傷ではないだろう。
 この隙にゲズゥはすかさずもう一人に斬りかかった。相手の反応速度を上回り、防御として上げられた腕の籠手に溝を刻む。強烈な打撃の果てでは骨に当たる手応えがあった。

 やられた側は何やら叫んでいる。意に介さずに膝蹴りで追い打ちをかけた。
 同刻、ミスリアの傍へは新たに現れた第三者が先に到達していた。手負いの青年が振るう剣を、短めの棒のような何かでことごとく受け止めている。

「いいか。自分が異端なら異端で、他人を巻き込むんじゃねえ」
 第三者の男は、魔物の体液を身体中から滴らせていた。近くで退治していたのかもしれない。
「お説教なら聞き飽きてますよ。彼女からの分だけで満腹です」
 と、青年は苛立たしげに答える。
「どうせ最終的に正義ってやつは、勝った方が決める権利を勝ち取るんだ。俺はお前らの方がくっだらねえと思ったから、こっちに加勢した。悪く思うなよ」

 ――突如、頭上から葉擦れと獣の鳴き声がした。
 青年の方は反射的に顔を上げた。相対する男は手持ちの武器に体重をかけ、拮抗していた力の秤を傾けさせた。青年の剣を押し切り、鳴き声の主を探すのに意識を移している。

 予感がした。
 これは一年近く共に旅をした経験から生まれるものだ。ゲズゥは魔物が本能的に求める標的――聖女を、抱き抱えて跳んだ。
 大地に振動が炸裂する。足がもつれ、倒れ込んだ。

「ギェエエエエエエ」
 ミスリアを腕に抱いたまま、落下してきたモノを見据える。尖った鉄塊が地に刺さっていた。言わずもがな、鉄の塊が叫びわななくわけがないのだから、後は察する通りであろう。
 青白い燐光の中、鉄塊に浮かぶ人面を撲滅する物があった。それはリーデンの長靴に仕込まれたナイフであったり、第三者の男が振り回すメイスでもあった。反撃する間も無く鉄塊は粉々にされ、更には聖気によって浄化される末路を辿る。
 ようやく場が静まり返る頃、当初の脅威であった組織の連中は残らず動けなくなっていた。全員を念入りに気絶させてから、リーデンが首都の役人を呼びに行った。

「シュエギさん?」
 ぼんやりと空を見上げて佇んでいる男に、ミスリアが躊躇いがちに声をかける。男はゆっくりと虚ろな眼差しを巡らせた。
「もはや奇縁ですね。こう何度も出くわすとは」
 与えられた「泡沫」の呼び名と同じで、男の記憶だけでなく人格自体が不安定なのか。現れた時とは打って変わって、言葉遣いも雰囲気も豹変している。以前会った時もこんなことがあった気がする。

「どうしてここに」
 心底不思議そうにミスリアが茶色の大きな目を瞬かせる。これまであったイザコザに掻き乱されていた気持ちも、この男への好奇心によって忘れ去られたようだった。
「私は魔物を狩っているだけの流浪の者です。定住もせず、毎夜魔性を追っている内に、気が付けばこんなところに来ていました」
「そこまでして貴方は……魔物を狩るだけってどういう――……」
 ミスリアの問いは、尻すぼみになった。何を訊きたいのか自分でもわからなくなったらしい。

 シュエギという男のそれは、凄まじい執念だ。なのに人格と記憶の不確定さゆえか、痩せた顔に感情が表れない。全て無意識の行動なのかとも疑える。
 ならばついさっきの熱弁は何事だったのか。語った信条や投げ出した攻撃の烈度は、今の状態とはやはり別人のようだった。

「魔物を狩るのは償う為です」
「償うって、何を? と、訊いてもいいでしょうか」
「わかりません。憶えてませんから。でも……私は、償わなければ、生きている意味が無い」
「――――!」
 その時ゲズゥは、ミスリアのすぐ後ろに立っていた。 シュエギという男は未だ信用ならないと考えたゆえに、華奢な背中にほとんど密着して控えていたのである。  

 男は俯いていた。身長が低いミスリアと目を合わせる為に見下ろしていただけかもしれないが、とにかく首をやや下に曲げていてゲズゥからは表情が見えなかった。
 だからミスリアが何を目にして怯えたのかは、わからない。小刻みに震え出したのが、衣服越しに伝わるだけだ。

「償わなければ……私は、この命に価値など……俺があいつらに――償わないと、魔物を、一体でも多く、やらないと……」
 しきりに低い声で呟き、そしてシュエギという男は膝からくずおれた。

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