52.f.
2016 / 01 / 22 ( Fri )
「ディアクラ・ハリド、イリュサ・ハリド……」
 男は俯き加減に名を復唱する。
「カタリア、ノイラート………… 」
 何故かミスリアの姉の名を口にした時だけ、男は手の中の武器に視線を落とした。厳密に言えば、メイスやグレイヴの柄部分にそれぞれ結び付けられた灰色のリボンにだ。どれも古びて糸がほつれている。

 視線は固着するだけで、これといって認識の色を浮かべない。
 しばらく沈黙は続いたが、変化の兆候はいつまで経っても訪れなかった。

「どんな人たちだったのでしょうか」
 やがて重々しい口ぶりで男は問うた。
「私が知るのはカタリア・ノイラートについてのみです。私の姉です。誰にでも優しくて、どこかふわふわしてましたけど、しっかりと大望に向かって生きていました。外見は、私とよく似た髪と目の色をしていて、顔立ちも似ていたと思います」

 姉のことを過去形で話すべきか決めかねているのか、ミスリアは不安定な声で情報を提示する。
 灰銀の視線がようやく動いた。
 ミスリアの面差しを眺めつつ男は眉根に皴を刻んだ。不規則に何度も深呼吸をしている。グレイヴの柄を握る手に力が入るあまり、関節が白んでいる。

「すみません。そのような知り合いが居たかもしれませんし、居なかったかもしれません。本当に何も憶えてないんです」
 思い出そうとするだけで苦しいのか、返事は今にも消え入りそうなほどか細い。
「私の方こそ無理を言ってすみませんでした」
 気を遣ってのことか、ミスリアは落胆を声に出さなかった。

「あなたの姉君はどうされたんですか」
「……何年か前に、旅の途中で姿を消したんです」
 質問に、ミスリアが答える。すると男は羨ましそうに「いいですね」と漏らした。

「もし私にも兄弟が居て、どこかで同じように私を捜して聞き込んだり奔走していたら、と想像すると、少しだけ気分が良いですね」
「その内どなたか迎えに来てくれるかもしれませんよ」
 何ら根拠のない一言だが、ミスリアが相手を元気付けようとしているのがわかる。今日出会ったばかりの人間だろうと、自分の心中よりも他人を優先する人の好さは健在だ。ゲズゥは最早それを当然の成り行きと受け入れた。

「その時は、ちゃんと思い出してやれるか不安です。面と向かって『知らない』と言ってしまいそうで、しのびない」
 男の返答は翳っていた。
「せっかく彼女が励ましてるのに、君は自分から台無しにするねぇ」
 これまで黙って見守っていたリーデンが軽く口を挟んできた。
 白髪の男はぼんやりとした双眸を返し、思い出したように頭を下げた。

「失礼。あなた方には関係ありませんね。無駄話をしてしまってすみません」
 話はそれで終いにするつもりだったのか、男は己の武器に注目を向けた。懐から布切れを取り出し、汚れを拭き取ることに夢中になっている。
 まるで敵意を感じない。一応警戒心だけ残して、ゲズゥも大剣を仕舞った。

「シュエギさんは優しいんですね」
 と、ミスリアがぽつりと言った。男は抜け殻のような瞳を少女に向けた。
「はあ」
「会ったことも無い、居るかどうかもわからない人が傷付くのを想像して、心を痛めているのでしょう?」

「そういう見方もできるんですね。流石は俗世を越えたところに生きる、聖女さまです」
「私は本心からそう感じました」
 見れば、ミスリアは慈愛そのものの微笑をふわりと浮かべていた。ゲズゥにとっては見慣れているものとは言え、滲み出る温かさは変わらず感じ取れる。

 それがちょうど木立の隙間から射す朝日と絡まって、見る者によっては神々しいとすら映るような光景と化した。ただの少女が、聖女像を体現する瞬間。
 ならばシュエギと呼ばれる男はどう反応するか、と興味が沸いた。

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