52.b.
2016 / 01 / 14 ( Thu )
 よく見ると不思議な人だった。服は旅装っぽく動きやすそうで、生地や縫い目などの作りはしっかりしている。なのに、汚れや破れが目に付く。男性は身なりに頓着しない方なのか、伸び放題の白髪(はくはつ)は耳飾などと絡まったりしていて、かなり長い間梳かれてもいないようだった。それと、埃と泥と森林の匂いがする。旅人だろうか。

(まだ温かいし、呼吸もある)
 呼び続ければいずれは目を覚ますのだと信じて、ミスリアは揺さぶるのを止めなかった。
 髪と髭に覆われている所為で顔がよく見えない。
 目が開いているのかどうか判然としないまま、ついに渇いた唇が震える。隙間から漏れた声は掠れていた。

「……ア……」
「よかった、気が付きましたか」
 そう声をかけてやると、男性は起き上がり、視界から前髪をどけた。ミスリアの顔を灰銀色の瞳に映すや否や、衝撃を受けたように動かなくなった。

 あの、ともう一度声をかけようとした瞬間。
 ばっと男性は近付いて来た。

「みぎゃ!」
 ただ近付いたのではない。窒息しそうなほど強い力でミスリアを抱き締めたのだ。
「――リア……」
 男性は何かを呟いたけれど、よく聴こえなかった。

 ゴッ、と凄まじい音がして、彼は次の瞬間には離れていた。平たく言えば、ゲズゥに蹴飛ばされたのである。突然のことでミスリアは反応しそびれた。
「は~い、おにいさん、勝手にうちの聖女さまに触らないでね。口より先に足が出る人に、この通り制裁を加えられちゃうからね」

「……リーデンさん、その警告は少々遅いのでは」
 肩にぽんとのった手の主を仰ぎ見て、言った。
「あはは、そうだねぇ」
「はあ」
 ミスリアは呆れはしても、護衛たちの行動を怒ることはできない。彼らは純粋に心配してくれたのだ。とりあえずこちらの落ち度だと考えて、ミスリアは男性に頭を下げた。

「え、っと。大変失礼いたしました。私の方から不用意に近付いたのに、乱暴な真似を」
「こちらこそ失礼しました」
 男性は思いのほかダメージが無いようで、何でもなさそうに立ち上がって頭を下げ返した。
「い、いいえ。もしかして私を、どなたかと間違えたのでしょうか」
 人違いをしたのかと問いかけてみたら、男性は「さあ」と頭を振った。

「よくわかりません。衝動でした。貴女を見て、大事なことを思い出せそうな気がしたのに……」
 僅かに男性の眉根が寄ったが、すぐに無表情になる。次いで平淡な言葉を連ねた。
「本当に失礼しました。では」
 外套が翻る。彼は驚愕の潔さで立ち去ろうとしていた。

「ま、待ってください。行き倒れていたのではないのですか? いきなり立ち上がって大丈夫ですか?」
 なんとなく呼び止める。男性は振り返らずに答えた。
「眠かっただけです。続きは宿で貪ることにします」
 やはり平淡な返事の後、ぐうぅ、と音がした。ミスリアはリーデンやゲズゥ、イマリナとそれぞれ顔を見合わせる。皆の視線は自然と流れ、男性の背中に集まった。

「あの、もしまだでしたらお昼を一緒にどうでしょうか」
「ご厚意ありがとうございます、親切な方。でも私は寝ているべきです」
「え、でも」
 目を離した隙に柱にでもぶつかりそうなほど、不安定な足取りで再び彼は歩き出す。

拍手[4回]

テーマ:<%topentry_thread_title> - ジャンル:<%topentry_community_janrename>

04:37:20 | 小説 | コメント(0) | page top↑
<<52.c. | ホーム | ホラー短編>>
コメント
コメントの投稿













トラックバック
トラックバックURL

前ページ| ホーム |次ページ