50.j.
2015 / 12 / 01 ( Tue )
「終わりも結構騒々しかったけどね。母親らしく、子供が誕生した瞬間を思い出してたのかな」
 と、リーデンが小声で言った。それには「さあ」とだけゲズゥは答える。
「反抗期にしては面倒が過ぎる」
「そりゃあねぇ。でもま、なんとかなってよかったよ。兄さんにとっては聖女さんの心のアフターケアが最重要事項じゃない?」

「…………」
 答えの代わりに、ゲズゥはぱったりと意識が途切れたミスリアを素早く支えて横抱きにした。
「僕は旅の資金とか荷物の新調とか、その辺どうにかなんないか里人をつついてみるよ。転んだからってタダじゃ起きられないしね」
 さすが、ちゃっかりとした弟だ。常人が同じ目に遭っていれば、カルロンギィとこれ以上関わり合いたいとは思わないだろう。だがリーデンは常人ではなかった。自分を謀った民からは諸々と搾取するつもり満々である。この生き辛い世の中ではそれくらいでちょうどいい。

「助かりました。あなたさまは命の恩人です」
 一方でヤン・ナラッサナは気持ちの整理がついたのか、それともそういった感情を奥深くに押し隠したのか。息子だったモノの残骸から離れて、オルトに礼をしている。
「ああ、気にするな。恩を着せたくて動いたのではない」
「ではお客人、わたくしの長女を伴って女王陛下を訪ねて下さい。陛下とは特に親睦の深い者ゆえ、楽に謁見が叶うでしょう。それをもって、借りを返させていただきます」

「よかろう。了承した。これでわざわざこの里に寄った甲斐があったと言うもの」
 ナラッサナと握手を交わしてから、後半の独り言はカルロンギィの民に聴こえないようにか、オルトは南の共通語に切り替えた。
「……事情説明もなく、みなさまがたには、多大なご迷惑をおかけしました。どうか我々の里にいらしてくださりませ。お詫びには足りませんが、おもてなしをいたします」
 ヤン・ナラッサナの意識がこちらに向いた。今度は謝礼ではなく謝罪の意を込めて腰を折り曲げる。

「何の裏も企みもありません。よろしかったら宴の一つや二つ、催させてください」
 ――奪還した女たちの介抱でしばらくは多忙であろうに、宴?
 無理をしてでももてなそうとする姿勢には誠意が感じられた。
「わーい、ちょうたのしみー」リーデンはなんとも心の篭もっていない様子で応じた。「ヤンさんさあ、多大な迷惑をかけたお詫びに物資もくれないかなー」
「なんなりとお申し付けください」

「そ、じゃあリスト作っておくね。後、もう一個だけ言いたいことがあったんだ」
「なんでしょうか、解放主」
 里の代表者たる女が顔を上げる。
「うん、それ。数年前に成り行きで君らの自由を取り戻した救世主さまって、実は僕じゃなくてこっちのでかい人なんだよね」
 一斉に驚きと疑惑の視線がこちらに集まった。

「……そうでしたか」
 探るような視線がゲズゥを包囲する。判別する為の証たる左眼は前髪に隠れている所為か、民の眼差しは一貫して半信半疑だ。
「そうでしたよー。だから崇め平伏すなら兄さん相手にするのが正解だね。ていうかそれ、単に僕が見たいから是非お願いするよ」

 人だかりにどよめきが走った。ところどころ互いの顔を見合わせ、迷いを見せている。リーデンが言うならきっと間違いない、という空気だ。
 これは実際に平伏す者が出てくるかもしれない。

「やめろ、鬱陶しい」
 そうなる前にゲズゥは冷淡に釘を刺しておいた。

_______

 放し飼いにされている山羊の群れに紛れてぼんやりしていた。
 左手には野鳥の骨付き肉、右手には水で薄めた山羊の乳が入ったゴブレット。胡坐をかいた膝の上にはトカゲと蛇の香ばしい串焼きなどが並べ立てられている。爬虫類を食べ物と考えたことはあまり無かったが、今後その認識を改めてもいいとゲズゥ・スディルは思う。

 日頃の生活の中で一番制御されがちな肉料理が、際限なく出される宴という催しは、いいものだ。
 移動をしている間は乾燥食糧で食事を済ますのが多いだけに、ありがたみが違う。時間がかかってもいいから、道中もっと狩りをするべきか。
 ばりっと鋭い音を立てて、野鳥のカリカリに焼かれた皮膚を噛んで裂く。実に爽快な音と食感だった。

 ――聖女さん、風に当たりたいからってそっち行ったんで、よろしくー。
 独りで黙々と肉を平らげていた最中、弟から能天気な通信が届いた。

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