46.c.
2015 / 07 / 25 ( Sat )
 ――それにしても、推論なのにやけに真に迫っている印象を受ける。

「あの時生き延びた従者が『事の発端は邪悪な左眼をした男だった』と言い伝え、ゲズゥの悪評は広まった。同時に、カルロンギィ渓谷の民はヤツを我が国を自由にした救い主として密かに崇めた。だが本人はこれっぽっちも気付いていない、そうだろう」

「はい。ゲズゥはカルロンギィの地に何も感じていないようでした」
「ふ、人の世というのは荒唐無稽なものだな」
 何故か彼は清々しそうに笑っていた。今の話を聞いて理不尽な世の中に失望しかけたミスリアには、そんな風に考えられるのが、羨ましいとさえ思う。

 ふいに笑い声が止んだ。それどころかそれまで饒舌だった王子が一言も発さなくなった。どうしたのかな、とミスリアは久しぶりに目を開いた。首を巡らせてみると、もう岩棚はすぐそこにあった。

「泣いているのか」
「あ……」
 前を向き直った瞬間、不思議そうに彼は呟いた。藍色の瞳の見つめる先はミスリアの頬だ。言われて初めて、自分が流している生温かい涙を意識した。

「まあいい。着いたぞ」
 王子はミスリアの腰の下に腕を回し、押し上げるようにして崖の淵に移した。硬い大地の感触に安堵した後、すぐに一ヤード(0.91メートル)に満たない幅を仰向けの四足歩行で後退る。
 次に王子も崖をよじ登って、ミスリアの隣に座り込んだ。

 眉毛についた汗や血管の浮かんだ腕などに、疲労の色が滲み出ている。大部分は自分の所為だとわかっていて、ミスリアは礼を言った。オルトファキテ王子は軽く目配せをして――

「あの男の命運を想うとやるせない気持ちになるか?」
 ――話題を戻した。
「…………」
 いきなり弾けた感情の波に飲み込まれて、口を開いても喉からは音が出せない。
「なんとかしてやりたいと強く願うか?」
「は、い」
 己でも形にできなかった心の内を、会って一時間も経たない他人に言い当てられるのは、どうしてか悔しい。

「それはお前が、ヤツに対して特別な感情を抱いているからだ」
 フードを下ろした王子の横顔は遠くを見つめていた。
 この断言する口調には、やはり、よくわからない悔しさを覚える。
「では……貴方はどうなのですか」
 一分近く黙り込んだ後、ミスリアはようやくそう訊き返せた。自分のことはおいておくとして。

「無論、私はゲズゥを愛すべき有能な人間と思っているさ。シウファーガを掌握する際に最初に共犯者となった悪友であり、最後には断りなく姿を消した薄情なヤツではあるが、そういうものだと思っている」
「共犯者?」
 彼は今、何をどう掌握したと言ったのだろう。けれども訊く機会は無かった。

「そろそろ往(ゆ)くぞ」
 そう言って突然立ち上がった王子を、数秒ほど呆然と見つめる。
「ま、待ってください。イマリナさんは――」
 未だに崖下にぶら下げられたままのもう一つの檻では、中の人物が起き上がっているのが見える。彼女を捨て置くなど考えられない。

「見張りは定期的に回ってくる。その女とゲズゥの両方を逃がすには猶予が足りない」
 王子はにべもなく答えた。「選べ」
「そんな……!」
 胸を押し潰されている想いで、ミスリアはもう一度イマリナの方を見た。穏やかな気質の年上の女性は、ミスリアの視線に気付いて微笑み返した。

 声が出せない代わりに、手先が動く。
 イマリナの扱う手話を多少なら覚えていた。何とかその意図を探る。

 ――わたしは、大丈夫。
 「行って」、と彼女は笑った。

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