41.e.
2015 / 03 / 16 ( Mon ) 高い木々の落ち着いた雰囲気に包まれて佇む夜は、随分と心地の良いものだった。 曇り空はどっぷりと暗い。星明かりに期待できないこの暗闇から逃れたければ、背後の豪邸の方に目を向けるしかなかった。だが今はそれをしない。新月の闇夜を侵す幾つもの気配に向けて、ゲズゥ・スディル・クレインカティは大剣を振るった。 空中を落下してくる異形のモノたちは平べったい形をしている。人間の頭ほども大きい葉形の魔物は、案外斬るのが難しい。間合いが足りずに空圧だけで触れてしまうと、葉は斬れるどころかヒラヒラと宙を舞って逃れるのである。なので自分の身長よりも高い塀の上を走り回って対応した。 ――別にいちいち斬らなくてもいいのではないかと思ったりもする。 何故なら葉の姿をした異形にはこれまでに遭遇してきた魔物と違い、口や歯の類がついていないのである。あの立ち上る青白い光が無ければ、一見ただの巨大な葉っぱと見過ごしたかもしれないほどだ。ただ一つ妙なのは、口は無くても、目があることだ。数や大きさは個体によりけりで、ちゃんと視覚が機能しているのかどうかは完全に不明である。 それらはただ風に弄ばれて舞い上がったり落ちたりするだけだ。人間を襲う動きは無いし、こちらから触っても何も起きない。 偶然に窓にくっついて屋敷の主人を怖がらせる以外に、実害の少ない魔物と言えよう。この程度の敵を延々斬り捨てる毎晩が、もう一週間は続いていた。 思えば強大な結界に守られているらしいこの帝都ルフナマーリのことだ。結界とは、それが隔てる領域から物体――この場合は魔物――の出入りを防ぐ為の代物。夜な夜な結界の中で姿を現す魔物が居たとしたら、それは内側で発生した新たな個体か、先日までに浄化されなかったために再構築された個体、でなければならない。 そのどちらであっても脅威にならない程度に弱い―― ――びたん! いつの間にか気を抜いてしまっていたのか、首の裏に冷たく湿った感触が張り付いた。 魔物の体が首に巻き付く。目の部分は多少出っ張っているようで、ギョロリと動く都度にはっきりと首筋に違和感を与えた。 息を乱したのは一瞬のことで、すぐにゲズゥは魔物を左手で鷲掴みにした。 すかさず握り潰す。ぐちゃり、とゲル状の物体を握り潰す時と似た手応えを覚えた。革の手袋を嵌めていなければ相当な不快感であったはずだ。 更に二十分ほど魔物退治をこなしてから、一旦休んだ。その間にゲズゥは周囲にまんべんなく意識の糸を張り巡らせた。 この場所は都内にしては異例の静けさに包まれている。高地の中でも王城近くに建っているからだろう。 ――閣僚とはそういうものか。 政の類にはとんと疎いゲズゥは、その辺りの事情について考える気は無かった。それは、ミスリアや聖人が分析してくれれば十分なことだ。 両目と首を僅かに巡らせて、五十ヤード以上離れた屋敷へと意識を向けた。全ての窓にはもれなくカーテンがかかっているが、それでも明かりが滲み出ている部屋が幾つかあった。 応接間ではミスリアが老人の茶飲み相手となって宥めすかしているはずだ。傍にはリーデンが付いているので、異変があってもこちらにすぐに伝わる。 ――動きがあるとすれば、今夜が最適か。 魔物にとっては満月も新月も活動する分には何ら違いはない――が、人間の襲撃者にとってはそうではない。新月の闇の方が身を隠しやすい。 既に魔物の方が脅威である線は薄いのだから、後は人間の敵を待つだけだった。 それすらも、空振りに終わる可能性は否めない。 こちらとしてはそろそろ何かしら歯応えのある奴が来てくれないと退屈である。そう思いつつも、ゲズゥは周囲の景色をもう一度注視した。 これだけの高さからでも、下の高度の城下町が明るく賑わう様子がなんとなくわかる。あそこを出てわざわざこの邸内を襲う人間が居るだろうか? 或いは、敵は王城から下って来るかもしれないか? ゲズゥは借り物の懐中時計をポケットから出して開けた。時間を読むのはあまり得意ではない。しかもこの暗さでは尚更苦戦してしまう。木の葉の魔物を拾って光源にし、しばらく針と針を見つめた。 どうやらリーデンと外の番を交替する時刻が迫っているようだ。 塀から跳び降りて、屋敷の正面玄関へと移動した。 |
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