4. e.
2026 / 01 / 20 ( Tue ) 何でおまえがここに――と男は視線で訴えかけている。 シェリーは恐怖に硬直した。 十年以上前、リクター家の父親が酒に荒れていた時を思い出したからだ。物を投げたり、殴ったり、とにかく怖かった。 家族を反面教師にしていたはずの彼が、同じ真似をするはずがないのに。普段から粗暴な印象がありながら根っこでは常識人なのだと、シェリーは思っている。 「ゴミ出しか」 訊ねられても、本能的に声が出せなかった。委縮して一歩下がるまでした。 「貸せ」 こちらの反応に気付いていないのか、男はズカズカと歩み寄り、ゴミ袋をひったくった。 目元が赤いし、息がだいぶ酒臭い。理性が保たれている状態なのか否か、シェリーには判断がつかなかった。 放っておけない気がして、後ろについていった。 「くっせえな。何か死んでんじゃねえのか。ゴミ捨て場だから当たり前か」 悪態をつきながらリクターはゴミ袋を豪快に投げた。六フィートはある高さのゴミ捨て場なのに、綺麗な放物線を描いて、袋は目的地にしっかり到達した。 感心する間もなく男がふらふらと歩き出したので、シェリーは慌てて後を追った。 玄関を通る瞬間まで互いに無言だった、が―― 「無理。こりゃ、戻しちまった方がいいな。廊下のトイレ使っていいか」 青い顔でそう言われて、シェリーは激しく首肯した。 酒を飲み慣れているがゆえの躊躇のなさか、口元を黒い手袋で押さえつつも、リクターは靴を脱がずに廊下を進んで、やるべきことをやった。 (あ、髪ほどけてる) 困るかもしれない。 シェリーは邪魔しない程度に背後から近付き、肩まで伸びっ放しになっている茶髪をヘアゴムで緩く結び直してあげた。飛沫がつこうものなら不潔だし、臭いが眠りの妨げになるかもしれない。 (お水取って来よ) 他に何をしてあげられるか考えた結果、そうなった。自分は決して酒を飲み慣れている方ではないが、これでも大学に数年通ったので、脱水が人類の敵なのはよくわかっている。 シェリーが台所でコップに水を注いだ間に、リクターはコートと靴を脱いでソファに仰向けに寝転がっていた。身長があるぶん、足先がはみ出ている。 歩み寄り、水を差し出した。 一言なりとも「大丈夫」或いは「お水どうぞ」と声をかけたいのに、できなかった。正確には、まだ声が出ないようである。 幸い、差し出したコップは受け取ってもらえた。男は気怠そうに上体を起こして水を飲み干し、コップを返してきた。常ならぬモゴモゴとした発言だったが、たぶん、礼を言っている。そうしてドサッとソファにまた倒れ込んだ。 シェリーが台所に行ってから、しばらくして、鼾が響いてきた。 あまりの音量にびっくりして振り返った。これも異性と関わらなかった人生の弊害か。そういえば父も鼾がすごい方だったと思い出して、懐かしくなった。旅行先でホテルの部屋が一緒だった時は、父より先に就寝しないと鼾がうるさくて寝付けなかったものだった。 (でもこれ大丈夫なの? 無呼吸症候群とかじゃない?) 額に手の甲をのせ、眉をぐっと寄せるさまは、寝苦しそうだった。 忍び足でソファの傍まで寄り、覗き込んだ。 ワイシャツの上から三個目までのボタンが外れているのは、先ほど自分でやったのだろうか。冷えないよう、シェリーはウール製の毛布をそっと肩までかけてやった。 (さて、私は今夜どうすれば……) 寝室に入るのはどうにも気が引ける。かといってここに残るなら、誰かが寝ている以上、電気は切るべきだ。もはや静かに思考するくらいしかできることがない。 結局は予備の毛布に包まり、ソファに寄り添う形でカーペットに座した。数分ほどして、鼾が落ち着いてきたのか、段々と煩いのではなく心地良い音と感じるようになった。 そのままの体勢でシェリーはうとうとし出した。 冬に床で寝たというのに、不思議と寒くはなかった。 * いつになく穏やかな睡眠を得られた気がする。夢すら見ない、深い、真っ暗な休息。 物音で目が覚めた。 左手の腕時計を手繰った。部屋の中は薄暗いが、時計に使われている蛍光顔料のおかげで十一時四十五分なのが見て取れる。 果たしてそれは午前か午後のどちらなのか。カーテンの外は暗いし、周囲が静かすぎるので、おそらくはまだ夜。首を巡らせると、ソファが無人となっているのを知った。 廊下の床に明かりが伸びている。それをじっと見つめていると、明かりの上に、影が揺れた。 |
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