4. d.
2026 / 01 / 19 ( Mon ) とにかく手足を動かすとこからだ。 髪の毛を団子にまとめ、冷蔵庫の中を拭いて、玄関先を掃いて、昨日は途中までだった埃拭きを続けて、手当たり次第に掃除してみた。 カウンターに立っておそるおそるサンドイッチの半分をかじったのが、午前十一時。 本棚の一角に目をやった。 リクターは雑誌や新聞紙の他にも、ハードカバーのノンフィクションから、ソフトカバーの小説も多数所持しているらしかった。家族が残したものはほとんど手放したか物置代わりの二番目のベッドルームに押しやっていると、確か彼は言っていたので、私物なのだろう。 とあるオレンジ色の背表紙の本が気になって、取り出してきた。 表紙にはトカゲの絵が描かれている。短いタイトルからは内容が想像できない。裏表紙のあらすじ書きは敢えて確かめず、シェリーはソファに座り込んで、最初のページからめくってみることにした。 元軍人男性が砂漠で死にかけるところから始まった。 文章は読みやすく、展開もスピーディ。ジャンルは近未来SFでいいのだろうか。キャラクターはひとりひとりが作り込まれていて、掛け合いに信憑性があった。主人公は凄惨な過去を乗り越えて、儚げな女性と愉快な仲間たちと絆を育みながら強大な敵に立ち向かっていった。表紙のトカゲは実は二足歩行ができる幻獣だったらしく、仲間の一人だった。 水を飲むなりトイレに行くなりの休憩を除いて、時間を忘れて読み耽った。 (超面白かった) 気に入っていた登場人物の最期が衝撃的だったが、読み終わって更に丸三十分は呆けてしまう程度には物語にのめり込めた。娯楽に我を忘れたのは、実に何年ぶりだろう。 気が付けば陽が傾きかけている。 ようやく、意識が小説の内容以外のことに向かった。 (すごいな彼は) 無趣味な自分と違って、家の中にあるもののほとんどに「個性」を感じる。埃を被っていた小説の一冊にすら、選んだ者の性格が滲み出ているようだ。 つまらない自分がつまらなくなるためのヒントが、ここにあるかもしれない。他人にそれを求める時点で、結局ダメな気がしなくもないが―― カーテンを開けて窓の外を眺めた。 夕焼けの空が暗闇に転じるのが早い。 ここから見下ろせる電灯の先に何があったろうか。かつてシェリーが住んでいたユニットは建物の反対にあったので、駐車場側のこの眺めには慣れない。 数分こうしている内に、大きな白いビニール袋を手にした住人を二、三度見かけた。 ゴミが回収される日は何曜日だったか。集合住宅はいつでも捨て場に家庭ゴミを持って行っていいのだが、業者が回収に来る前日に出すと、すっきりするものだ。逆にこのタイミングに限ってゴミ置き場(ダンプスター)がいっぱいになっていて置く場所がないこともあるが。 さっき、台所のゴミ箱が限界だったのを目にしている。シェリーは袋を取り外して、今から捨てに行くことにした。 寒い上に、暗い。 十分に着込んできたものの、ゴミ袋が思ったより重くて、外階段を降り切ったところでシェリーは立ち止まった。ゴミ捨て場までの道のりはそう長くないが、電灯が点滅していて気味が悪い。 (こっちだったよね) 数歩歩き出し、駐車場を横切り始めて、突然現れたヘッドライトの明るさに怯んだ。すぐそこでタクシーから誰かが出てくるようだ。 「ねえアレクス、待ってー、泊めてよぉ。宅飲み二次会しよーよ」 降りたばかりの乗車客を引き留める白い手が、車内から伸びている。 「あぁ? ふざけんな。平日だっての」 女性の手が乱暴に振り払われた。 「いいじゃなーい。明日休みになったじゃーん。前は泊めてくれたのにぃ、ケチ」 「うるせえぞ酔っ払い。タクシー代払ってやったからさっさと帰れ」 アレクスと呼ばれた長身の男は、大げさな音を立てて扉を閉めた。 ええー、と女性の抗議が窓越しにも伝わったが、タクシーの運転手はすかさず車を出した。 (酔っ払ってるのはどっちもじゃないかな) 世間のレストランとバーでは平日だいたい午後五時から七時の区間を「ハッピーアワー」と称してメニューやお酒を大幅に割引するのが流行らしいと、大学時代から聞き知っていた。 深い緑色のトレンチコートを着た男は道端に唾を吐いてから、振り返った。 目が合ってしまった。 |
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