35.a.
2014 / 07 / 28 ( Mon )
 ベッドの中で食事を取るのも、記憶の限りでは初めての経験だった。花瓶に移された花束を横目に眺め、今日は初めての多い日だ、と聖女ミスリア・ノイラートはぽつりと思った。
 イマリナが用意してくれた麦と野菜のスープを食べている間も、護衛の青年たちは部屋に残って母語で話し合っていた。何を言っているのかはこちらにはわからないが話題は何となく察しがついた。

 湾曲した大剣の手入れをしているゲズゥに、リーデンが革のベストみたいな代物を見せている。
 ゲズゥが頷いた後、リーデンがいきなり南の共通語に切り替わった。

「僕も防具の類は動きが鈍るから好きじゃないんだけど、こういう革のヤツを中に着てるだけでも違ってくるから。自分のを新調するついでに兄さんの分も買ってくる。あんまり聖女さんの治癒能力に頼らなくて良いようにね」
 最後の方はミスリアに笑顔を向けて言った。

「お気遣いありがとうございます。あの……つかぬことをお訊きします、私どのくらい眠っていました?」
 ミスリアはベッド脇のゲズゥに答えを求めるような目を向ける。
 黒い右目と、白地に金色の斑点が散らばる左目が、静かに視線を返した。一度瞬いてから左右非対称の目がリーデンへと流れた。意図を受け取り、兄の代わりに弟が答える。

「二十日だよ」
「二十日!? 数え間違いではないのですか!」
「ううん、数字に関することで僕に記憶違いはありえない。君は僕を助けた後に倒れて、そのまま二十日の間、微動だにしなかったよ」

「そんな……」
 ミスリアは己の四肢に意識を向けた。やけに長い間筋肉を動かしていない気がしていたのが、そういう理由だったとは。
「心配したよー。前にもこういうことあったって兄さんが言うから大人しく待ち続けたんだけど」

「ご迷惑をおかけしました」
 二十日も二人を待たせたのかと思うと申し訳ない気持ちで一杯になる。ミスリアはぺこりと頭を下げた。
 それにしても、下手すれば二度と目覚めなかったのかもしれない。胃の底に冷たい石が沈み込んだような感覚を覚えた。

「あははー、違うよ聖女さん。そこは『よく尽くしてくれたな下僕ども』とでも言ってどんと構えてればいいんだよ。ま、そういう控え目な姿勢が可愛いんだよねぇ」
 絶世の美青年はさも楽しそうに笑う。

「い、いいえ」
 ミスリアは懸命に頭を振った。下僕だなんてとんでもない。どちらかと言えば、誇り高き猛獣たちになんとか認めてもらえている気分だ。

「さてそれじゃ、僕はちょっと行って来るね」
「あ、はい。いってらっしゃい」
 リーデンは軽快な足取りで戸まで歩み寄り、流れる動作で戸を開閉した。勿論、戸が閉まったと気付いた時にはもう彼の姿は消えていた。

 数分後には入れ替わりにワンピースにエプロンを着けたイマリナが入ってきた。いつも通りに長い髪を三つ編みにまとめている。今日のヘアバンドは薄黄緑色だ。よく考えたらそれはリーデンが着ている衣装と同じ色かもしれない。
 イマリナはにこにこ顔で「もういいですか」と唇だけで無音に問いかけた。

「はい、ごちそうさまでした。今日もとても美味しかったです」
 と答えると、イマリナは一層嬉しそうにはにかむ。彼女はミスリアの膝の上からトレイや食器を手際よく片付けては去った。
 ベッドの上がさっぱりしたので、いざ降りてみようと試みる。

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