21.g.
2013 / 03 / 27 ( Wed )
 唾を飲み込み、腹部に広がる不快感を抑えつけた。
 柔らかい苔の下に感じた硬さを、石か木の根かと当然のように思っていた。まさか、骸骨があろうとは。

「まあ、そういうことだか……」
 返事半ばに、イトゥ=エンキが急に黙り込む。

 ――びゅぅうん。
 風を切る大きな音と共に、物影が彼の面を過ぎったのである。
 数秒後に、何かが樹にぶつかる音がした。

 思わずミスリアは頭上を見回した。音を立てたであろう存在が見当たらない。
 更に数秒の間、誰も微動だにしなかった。
 無意識に堪えていた吐息を放した瞬間、また物影が過ぎり、今度は確信できた。

 巨大な何かが樹と樹の間を跳び伝っている。それも、急いでいるのではなく――
 もう一度、影がゆっくりと上空を通り過ぎた。滑空、しているのだ。原理はムササビの動き方に似ていた。

 状況を思えば魔物であることが最も可能性が高い。その場合、囚われた魂を救ってやりたいけど、自分一人の力で成し遂げられるとは思えない。
 ミスリアは残る二人に視線を移し、彼らの発言を待った。

「トビトカゲ」
 上方を見上げたまま、ゲズゥが一言告げた。
「って、南東の暑いとこに住む、樹から樹へ跳びながら蟻を食べるトカゲのことか? 膜のついた肋骨を広げたり畳んだりできて……でもこーんな大きさだよな」

 イトゥ=エンキは広げた右手を左手で指した。指の長い彼がそうしていると、親指の先から小指まで6~8インチはある。

「ああ。俺が見たことある一番大きいのもせいぜいこんなだった」
 人間の赤ん坊程の長さを、ゲズゥは両手を使って表現した。
 小型爬虫類にしてはそれなりの長さだが、それでも今飛び回っている物影の大きさには遠く及ばない。

「突然変異か、魔物か。生来のトビトカゲなら、雌が卵を産む時以外は樹の上から降りて来ない、ってどっかの本で読んだぜ。命を預けるには些か頼りない情報かな」
 ガサッ、という音と共に、また影が動いた。遥か上空を滑空していて、今のところは降りて来る気配が無い。

「走って逃げてみますか……? 下手すると樹海の中で迷いそうですが」
「背を向けるのは避けたい。でも逆にアレがすぐに降りて来なかったら、オレらはこっから動けないぜ。アレが襲ってくれないと、降下してくれないと、こっちにも反撃のチャンスが無い」

 あんな高さまで行ける飛び道具も無いからな、とイトゥ=エンキは付け加えた。ミスリアは一瞬だけ顔を伏せ、次いである方法に思い至った。

「では、聖気でおびき寄せられないかどうか試してみましょうか」
 ミスリアの提案に、イトゥ=エンキは「なんだそれ」と首を傾げ、ゲズゥが片眉を吊り上げた。
「……二つ、訊く。それが本当に可能なのか。それと、敵が一匹だけで間違いないのか」

「可能です。数に関しては、そこまではわかりません。でも魔物で間違いないなら、近くに居る全ての個体が引き寄せられるはずです」
 ゲズゥの問いに、ミスリアは順を追って答えた。彼が姿を見せていない敵にまで気を回すのは、山羊と羊の魔物を相手にした時の失敗を思い出しているからだろうか。

(遠くからも来るかもしれないけど……加減すれば、きっと大丈夫)
 ――と、その点だけは言わずにいた。

「やってみようぜ。詳しい説明は省いてくれていい。化け物相手に深く考えるこっちゃねーよな、倒すのが先だ」
 イトゥ=エンキはそう言って荷物を下ろしている。
 その言葉に、ミスリアははっとした。心のどこかで、相手と「対話してみたい」という願望があったのだと知る。

 ミスリアは目を瞑った。割り切れ、と何度も自分に言い聞かせる。対話はできなくても、浄化してあげれば十分のはずだ。対話して死者の事情を知りたいのは、覚えてあげたいと思うのは、ほとんど生きている側の自己満足である。

(それでもそうしてあげることで誰かが救われることだってある、けど)
 結果として三人分の命を危険に晒す選択になりうる。既に一生を終えている他人と、現在傍に居る生きた人間とを、天秤にかけたら――。

 急に手首を掴まれ、ミスリアは飛び上がった。
 ゲズゥが、いつもの無表情でこちらを見下ろしている。

「あれ、嬢ちゃん聞いてなかったんか? じゃーもっかい」
「すみません」
 今度はちゃんと、手筈を説明するイトゥ=エンキの声に耳を傾けた。

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