20.c.
2013 / 01 / 26 ( Sat )
 エンが訝しげに腕を組み、しかし黙して一連の展開を見守っている。
 ゲズゥはゆっくりとした足取りで歩み寄ってくる女を見上げた。

「ねえ、私も絶対、死んだと思ったんだけど。どんな手を使ったのよ?」
 顔は笑いの形になっているが、アズリはじっとりと絡みつく、追求する目をしていた。サファイア色の瞳がミスリアに移った時、少女は僅かにひるんだ。
「気にするな」
 それはアズリに言っているように聴こえて、その実、ミスリアに向けた言葉だった。

 彼女はおそらく聖気を使ったことを気にしているのだろうが、それはゲズゥにとっては些事だった。
 これは公平性を重んじる純粋な闘技ではなかったし、誰がどの賭けで大損害していようが、こちらの知ったことではない。無事に生き残って山脈を抜けることが第一の目的で、それに至るまでの過程はどうでもよかった。

 その時、言い合いながら会場に降りてきていた数人の人間が、しびれを切らしたようにこちらに向けて走り出していた。ミスリアが不安そうにそれを見つめている。
 アズリは唐突にエンの方へ向き直った。困ったわね、と呟いて頬に片手を添えた。

「この事態を招いたのは、アナタでしょ? どうする気」
 どんな時も、アズリは急がずに話す。
「この事態ですか」
 対するエンは曖昧に笑った。「さあ、どうしましょうね」

 客席の至るところで乱闘が勃発していた。そのほとんどは賭け事で揉めているのだろう。
 だがこちらに走ってくる人間の目は、もっとぎらぎらと欲や謀に光っていた。
 奴らの目的はおそらく――この隙を利用し、敗して倒れた山賊団頭領の首を持ち帰ることだ。

「私たちの取引相手たちをはじめとした外部の人間に文を飛ばして呼び寄せたのは、イトゥ=エンキ、アナタね。こうやって、かき乱す為……あわよくば、ユリャンに巣くうこの山賊団を壊滅させるか、どこかに乗っ取られるか、したいの? それとも、この人を追い込んで、何かをおねだりするのかしら」
 この人、と発音した時にだけ、地面に仰向けに横たわる巨漢に視線を落とした。アズリは悪戯っぽく笑って、指で髪を梳いた。

 ――なるほど、あんなに客が多い理由はそれだったのか。
 ゲズゥは心の内で納得した。

「気付いていたなら止めれば良かったでしょうに」
 エンが肩をすくめた。
「そうね。正直言うとゲズゥが勝つとは思わなかったから……」

 前触れなく、矢が飛んできた。
 元々何(または誰)が狙いだったのか定かではないが、軌道を辿り切れば矢はアズリの太腿当たりに止まるはずだ。ミスリアが小さく息を呑むのが聴こえた。

「姐さん!」
 横から誰かが飛んできて、円形の盾を振りかざした。矢は軌道を逸れ、地面に刺さる。その勢いで砂利が飛ぶ。
「あら、ありがとう」
「いえ。アニキも危ないっす、ココはおれらが!」
 わらわらと現れた団員が、襲撃者の前に立ちはだかる。

「おー、悪いな」
 エンが片手をポケットに突っこんだまま、軽やかな足取りで下がった。
「貴女が挙げた理由も全部あながち外れちゃいませんが、本当はもう一つあります」
「ふぅん? 何かしら」

 こともなげにエンとアズリの会話が再開した。
 エンが言うもう一つの理由に心当たりは無いが、この事態がゲズゥらに取って都合の良い結果を導くであろうと、何故か予感していた。が、動機を占める大部分は個人的な感情や理由だろうと、それもなんとなく察しがついていた。
 
「こんなカンジで、頭が居ないと絶対収拾つかないような状況を作ってさ。オレは、チャンスに乗じてうっかり自分が頭を殺しちまわないように、わざとこの事態を招いたのかもしれない」
 そう言って、「紋様の一族」の生き残りの男は、鮮やかに笑った。

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